原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

アンリ・マティス  ー 色彩の魔術師 ー vol.5 ー

2020年11月14日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼントにて頂いた 「アンリ・マティス 色彩の魔術師 -vol.5- 」より「鏡の前の青いドレス」。)



 このシリーズの先月分の到着が遅くなったため、11月分は随分と早く届けられたような感覚だ。😊 


 今回のシリーズは、2枚共“女性”がモデルの作品だが。

          
 もう一枚は、「大きな横たわる裸婦(ピンク・ヌード)」だが。


  実は私め原左都子は、昔から女性の裸体美術作品というのをよく“理解出来ない”でいる。
 いつ何時著名とされている作品に触れても、(この作品の一体何がいいのだろう??」と不可解に思ってばかりだ。😶 



 これに関連するエッセイを「原左都子エッセイ集」2008.12.28公開の「裸婦像のヘア」と題するバックナンバーにて公開しているため、以下に引用させて頂こう。

 先だっての(2008年)12月25日、冬休み中の子どもと一緒に東京の“青山ユニマット美術館”へ出かけた。
 上記美術館では09年1月13日まで「シャガールとエコール・ド・パリコレクション」展を開催中なのだが、20世紀最大の巨匠と言われているマルク・シャガールの作品25点をはじめ、モリディアニ、藤田嗣治、ユトリロなどのエコール・ド・パリの作品も常設展示されている。
         
        写真は、当該美術展のチラシを撮影したもの。

 シャガールは赤、黄、青等原色の色彩使いと、猫、鳥、牛等の動物を多用しているのが特徴的な画家であるようだ。(チラシの左上がシャガールの作品「ブルーコンサート」)
 藤田嗣治は“白”の微妙な色使いが特徴的な画家であるが、展示されている数枚の作品すべてにおいてそれぞれにこの微妙な“白”が表現されていた。(チラシの右下が藤田嗣治の作品「バラ」)
 その他、面長の肖像画が特徴的なモリディアニ(下段右から2番目「褐色の髪の少女」や、ローランサン(左下「チューリップと女性」)の淡く柔らかい雰囲気も印象的である。

 なかなかの名作揃いで、私のような素人にも飽きることなく楽しめる美術展である。 現在油絵を習っている中学生の娘も、私よりも時間をかけて絵画の巨匠達の作品を見入っている様子だった。

 ところで今回の美術展での絵画鑑賞において、ド素人の私が気付いたことがある。
 この年の瀬に相応しくない話題で恐縮なのだが、それは展示されている作品の中の裸婦像のすべてに“ヘアがない”ことだ。
 例えば、下段左から2番目キスリングによる「長椅子の裸婦」など、裸体が輝けるように美しく描かれた作品であるが、ご覧のように“ヘア”がない。
 この美術展には裸婦を描いた作品が数多く展示されている。例えば、シャガールの「赤い裸婦」「白い裸婦」、藤田嗣治の「2人の裸婦」「横たわる裸婦」「裸婦像長い髪のユキ」、ナルシスヴィルジル「キューピッドと戯れるヴィーナス」、ルノワール「横たわる裸婦」、カバネル「ヴィーナスの誕生」……
 これらのすべてにおいてヘアがない!!
 私がこの“裸婦にヘアがない!”事態になぜそれ程興味を抱いたのかについて、ここで正直に話そう。
 先だって訪れたインドのお土産として「カーマ・スートラ」の日本語版絵本を購入したのだが、これによると「毛を取り除いて清潔にすると女性は愛するのはますます喜んでいる」(日本語版原文のまま引用)とある。それが印象的だったためだ。
 これらの裸婦はどういう状況で描かれたのであろう。単なるモデルなのか、それとも…。 私個人的には“愛”を一身に浴びながら描かれた裸婦を見たい気もするのだ。

 そこで私は某男性画家の方に、今回のコレクション展における裸婦像になぜ“ヘア”がないのか、果敢にも尋ねてみた。
 私の無謀な質問に対し、ありがたくも頂いた回答は以下の通りである。
 クールベ(フランス写実主義の画家、1819~1877)以降はあるべきところに描くようになったが、ヘアとは目立つものだ。色の白い肌に一箇所だけ黒々と描いたのではそこだけ強調し過ぎるようにも思える。 描く側からすれば、ヘアがない方が卑猥感が消えるかも知れないし素敵に描けるかもしれない。せっかく綺麗に仕上げていったヌードもビーナスの丘を黒々と塗りつぶすと味も素っ気もなくなる。かと言って、描かないと…。 北斎の絵のようにヘアを1本ずつ丁寧に書き上げると大変な労力がいるし…、等々で“ヘア”とは難しい存在だ。 存在を保持するために黒々しているのかもしれないな…。

 芸術とは素人には計り知れない程、奥深いことを再認識である。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより引用したもの。 参考だが、当該バックナンバーは公開して後12年が経過している今現在尚ネット上で少なからず閲覧されているようだ。)

 補足説明をすると、上記我が質問に応えて下さった男性画家氏は、当該gooにご自身の美術作品を日々数多く掲載されていた。 当時、私は3、4度都内で開催された氏の個展へ出向かせて頂き、美術に関していろいろと学ばせて頂いたりもした。 現在に至ってはご高齢化と共に、残念ながら氏のgooブログページを拝見することがない…  


 
 さて、マティスの作品に話題を戻そう。

 冒頭写真の「鏡の前の青いドレス」の解説の一部を以下に紹介しておこう。

 胸元に大きな白いフリルをあしらった青いドレスを着ているのは、リディア…デレクトロスカヤである。 ロシア生まれのリディアは32年に助手として雇われ、壁画の制作を手伝う傍ら、病気がちだったマティスの妻アメリーの身の回りの世話をした。 34年頃からはモデルを務めるようになり、助手兼モデルとしてマティスの創作活動を支えた女性である。
 モデルの背後に鏡を置くことで三次元の空間であることが暗示されているが、奥行きはほとんど感じられない。 背景も平面的に構成されている。 
 薄塗りの画面に荒々しい筆跡や線描を残すことによって、マティスは平面性を強調する作品に仕上げた。
 (以上、東京大学大学院 神津有希氏の解説より一部を引用したもの。)