原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「一方的に“ノーベル賞”やるから受け取りに来い!」と言われてもねえ…

2020年11月20日 | その他オピニオン
 今夜も、我がエッセイ集バックナンバーを再掲載させていただこう。


 今夜紹介するのは、2016.11.17付で公開した冒頭表題のエッセイだ。

 早速、以下に紹介しよう。

 
 もしも私がボブ・ディランさんだったとしても、授賞式出席を拒否したいなあ。
 だいたいねえ。 誰が「ノーベル賞」が欲しいと言った? 少なくともディランさんは言っていないと私は思うけど。

 あんなもの欲しいのは、過去に多少の業績を上げた事を鼻にかけ、その業績にいつまでも依存し名誉欲にどっぷり駆られている奴らばかりじゃないの??
 ノーベル財団がどれだけお偉いのか私の知った事じゃないが、ノーベル賞が欲しい奴らが世にうようよしている事を利用して、上から目線で「ノーベル賞をやったんだから、それを喜ぶのはもちろんの事、授賞式に来るのは当然」と言わんばかりのその横柄な態度一体どうしたの?! 
 まあ、受賞者に講演をやらせるのは賞の価値を判断する手段として有効かもしれないけど…。

 そもそもノーベル賞など、国家間の力関係、あるいはそれを受賞させる事で利益を得る背後組織の圧力で決まる事は予想が付くし、それが欲しい奴らがノーベル財団にコネをつけて順番待ちをしているとの事も耳にした事があるよ。

 今回のディランさんの場合、まったくそうではなかったからこそご本人が一番困惑しておられるのだろうし、ましてやヘラヘラと授賞式になど行く訳もなかろうに…
 そのディランさんに、周囲が圧力をかけてどうする?? 

 ずっと前に「ノーベル化学賞」を受賞した日本の化学者 田中耕一さんも、私が見聞した限りでは特にノーベル賞が欲しくも無かったような感じだったよ。
 彼が成し遂げた研究自体は、既に世界規模で多大な経済効果を上げている素晴らしい研究だった事は確かだ。 それにもかかわらず田中氏が受賞直後に「島津製作所の一下っ端科学研究員としていつまでも科学研究に携わりたい…」とボソッと言ったのが、私は印象的だなあ。

 (ここで、田中耕一氏に関するウィキペディア情報より、氏に関する情報の一部を紹介しておこう。
 田中 耕一(たなか こういち、1959年(昭和34年)8月3日 - )は、日本の化学者、エンジニア。 東北大学名誉博士。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発で文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞を受賞。受賞以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
 株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員などにも就任している。)


 2年程前だったかなあ。
 日本人3人がノーベル物理学賞を連名で受賞した時の授賞式に、その中の1名の一家が4名総出で授賞式にしゃしゃり出て、奥方が場違いに浮かれた事例があったよねえ。
 ああいうのを傍で見せられると、私など「何を勘違いしているの? ノーベル賞を取ったのはご亭主でしょ? ご亭主一人で授賞式へ行かせたら済む話だよ。 家族として嬉しい気持ちは分かるけど、少しは恥を知ったらどうなの?」と言いたくなる人種だ。

 さて、2016年の「ノーベル文学賞」を受賞した 音楽家 ボブ・ディラン氏がノーベル賞授賞式欠席を決めたとのネットニュースを以下に紹介しよう。
 ノーベル文学賞の選考に当たったスウェーデン・アカデミーは11月16日、今年の受賞が決まった米シンガー・ソングライターのボブ・ディランさん(75)が授賞式欠席を決めたことを明らかにした。
 アカデミーによると、15日にディランさんから書簡が届き、先約があるため、12月10日にストックホルムで行われる授賞式には出席できないと伝えてきた。 一方で、受賞は大変光栄と強調し、賞を直接受け取りたい考えを示したという。
 アカデミーは、授賞式欠席は「まれではあるが、例外的ではない」と指摘。 過去にもさまざまな理由で欠席した受賞者がいると説明した。
 アカデミーは、授賞式から6カ月以内の講演が受賞の条件であり、ディランさんに実現してもらいたいと期待を表明した。 
 (以上、本日発見したネット情報より引用したもの。)

 引き続き、音楽家 ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報より一部を引用しよう。
 ボブ・ディラン(英語: Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカのミュージシャン。
 「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。 現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。
 グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。 また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月に歌手としては初めてのノーベル文学賞を授与されることが決定。発表からしばらく沈黙を守っていたが、同月28日に授賞を受け入れると発表した。
 (以上、ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報のごく一部を引用したもの。)

 ここで、原左都子の私事に入ろう。
 大の音楽ファンの私だが、実はボブ・ディラン氏に興味を抱いた歴史は無いに等しい。 と言うのも、元々ロック系を好んだ私の耳には、彼の音楽は素通りして行ったとも言えよう。
 加えて、音楽を「詩」として聞くより、体に響くリズムやビートとして受容するDNA体質だった私の場合、特に小中学生時代には「詩」が素通りしてしまっていたのが事実だ。 
 そんな私も、もちろんボブ・ディラン氏の楽曲はよく知っている。 
 私が高校生になった後に、日本のフォークバンド ガロが「学生街の喫茶店」との楽曲を発表したが、その歌詞の中に以下のフレーズがあった。
 「君とよく この店に 来たものだ ♪ (中略)  片隅で 聴いていた ボブ・ディラン ♪ …」どうのこうの…    この歌詞には、私も実に思い出深いものがある。
 あの頃の日本の喫茶店文化に、まさにボブ・ディラン氏の楽曲がはまっていた記憶が鮮明だ。
 私の好みはともかく、ボブ・ディラン氏が我が国内でも十分に受け入れられたことは事実だ。

 
 最後に、テーマを「ノーベル賞」に戻そう。
 今回のボブ・ディラン氏「ノーベル文学賞」受賞は、ある意味では世界中の人民が許容可能な業績に的を絞ろうと志した、ノーベル財団としての斬新とも言える “粋な計らい” だったのかもしれない。 
 そうであるならば尚更、その受賞後の対応に関しては受賞者の意向に任せようよ。
 たとえディラン氏よりの対応が遅れようが、授賞式欠席通知が届こうが、それこそがディラン氏の偉大さと評価すれば済む話だろう。

 ディラン氏ご本人は、後に「ノーベル賞受賞を誇りに思っている」と発信しておられる。 それで世界中の万人にとっても必要十分ではなかろうか。

 (以上、我が バックナンバーを再掲載したもの。)