原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

朝日新聞読者が選ぶ「阿久悠トップ10」

2020年11月29日 | 音楽
 (冒頭写真は、昨日2020.11.28付朝日新聞別刷「be」 “今こそ!聴きたい!” コーナーの今回のテーマ「阿久悠」に於いて選抜されていたトップ10。)


          
           朝日新聞当記事より転載したもの。


          
    こちらは、「また逢う日まで」を歌っていた頃の尾崎紀世彦氏。


 冒頭写真の「阿久悠トップ10」を一見すると、1970年代頃のヒット曲に阿久悠人気が集中している印象がある。

 今に至って尚スタンダードナンバーばかりで、(コロナ禍以前は)一人カラオケに行くとこの私も好んで選曲し歌っていた楽曲ばかりだ。


 中でも原左都子なりに特別な思い出があるのは、4位の「時の過ぎゆくままに」なのだが。
 ジュリー(沢田研二氏)が歌ったこの楽曲は、1974年秋のヒット曲と記憶しているが。  ちょうど私が米国UCバークレー大学夏期エクステンション留学を1ヶ月間こなして帰国した時に国内で流行していた。
 留学に出かけたのは未だ初夏の季節だったのが、帰国してみると時は秋へと移ろいでいた。 (当時は今と異なり、8月終盤になると季節が急激に秋へと姿を変えるのが普通だった。) 
 ジュリーが歌うこの曲を耳にし、我が短期留学は既に“思い出”域へと消え去る運命にあることを、その郷愁感と共に嫌でも実感させられたものだ。😪 



 ところで、私は「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて幾度か阿久悠氏を取り上げている。

 その中から、2008.10.20付バックナンバー 「転がる石」 を以下に引用させて頂こう。
 このエッセイ、年月の経過にかかわらず皆様にスタンダードにお読み頂いているエッセイだが。 我が(ナルシスト)自己評価でも「名作」に位置付けたい作品でもある。😱 😜  

 コメントの一部も含めて、紹介しよう。


    十五は 胸を患って
    咳きこむたびに 血を吐いた
    十六 父の夢こわし
    軟派の道を こころざす
    
    十七 本を読むばかり 
    愛することも 臆病で
    十八 家出の夢をみて
    こっそり手紙 書きつづけ

    転がる石は どこへ行く
    転がる石は 坂まかせ
    どうせ転げて 行くのなら
    親の知らない 遠い場所

    怒りを持てば 夢破れ
    昂りさえも 鎮めつつ
    はしゃいで生きる 青春は
    俺にはないと 思ってた
    
    迷わぬけれど このままじゃ
    苔にまみれた 石になる
    石なら石で 思い切り  
    転げてみると 考えた
     (以下略)

 上記の詩は、07年8月に70歳で亡くなった作家阿久悠氏の「自伝ソング」であるらしい。02年に歌手の石川さゆり氏が歌い、発表している。

 さて今回の私のブログ記事では、突如として話はインドから淡路島へと飛ぶ。

 阿久悠氏は兵庫県の淡路島の出身である。にもかかわらず、本人曰く“淡路島を意識した歌はひとつもない” らしく、小説「瀬戸内少年野球団」でさえ“舞台が淡路島である必然性はなかった” とのことである。
 “故郷からは意識して逃げ回ってきた。風土という言葉のうち、土の部分が嫌いでね。東京がいい。土のない人がたくさん歩いている。” と1992年のインタビューで阿久悠氏は応えている。
 このように故郷の歌を残さなかった阿久悠氏だが、淡路島を舞台にした自伝的な小説をいくつも残しているという。
 01年、癌闘病中に長編小説「転がる石」を出版し、手術が成功した後に初めて書いた歌の一つが上記の詩「転がる石」だそうだ。
 郷里の淡路島の書店の壁には、次のように応えた阿久悠氏のインタビュー記事が貼られているという。“淡路島の風景、情景とかいったものが、僕の精神形成の基本になったことは間違いないでしょうね。” そして、阿久悠氏が76年から構えた静岡県伊東市の高台の別荘から見下ろす相模灘は、淡路島の穏やかな海にそっくりだそうだ。
 (以上、朝日新聞10月18日(土)別刷記事「うたの旅人」“故郷の歌を残さなかった”より抜粋、要約。)

 私(原左都子)は淡路島に程近い地方の出身で、子ども時代には淡路島を対岸から眺めて暮らしている。
 そんな地方から東京に出てきて“転がる石” となっている私に、この阿久悠氏による「転がる石」は重なる心象風景として訴えてくるものがある。
 胸も患わず、父の夢も特に壊さず、決して愛に臆病でもなく、家出した訳でもなく、はしゃいで生きる青春を十分に全うした私ではあるが。
 そんな私も“故郷の歌は残さない”人種であるような気がする。 風土のうち「土」の部分が嫌いだという阿久悠氏の感覚も理解できる気がする私は、同様に東京がいい。
 土のない人がたくさん歩いている東京で、“石なら石で思い切り転げて生きよう” としている私にも。 実は潜在的に故郷の原風景があって私の精神形成の基本になっているのであろうか、とふと考えたりもする。

 来週インドへ旅立って、日々石として転げながら暮らす東京からも故郷からも一時心がトリップすると、何が私の原風景なのか、ほんの少しだけ見えそうな気もする。


  Comments

 響きます、私の心に。 (ガイア) 2008-10-20 21:43:49

 見事なエッセイですね。心に響きます。
 一寸、石川啄木を思い出しました。
 コメントはこれだけです。


 ガイアさん、この詩の響きと“淡路島”に惹きつけられました。 (原左都子) 2008-10-21 10:31:30

 ガイアさん、ありがとうございます。
 インド旅行の諸準備中で多忙な中、ふと目を通したこの新聞記事の阿久悠氏の詩と“淡路島”に惹きつけられました。
 私が住んでいた家から自転車で行ける距離に海があって、海に行くといつも変わらぬ姿で淡路島が直ぐ近くに浮かんでいました。あの島を見て私は育っています。
 淡路島はもしかしたら私にとって、一つの原風景であるのかもしれません。
 そして、淡路島であれ東京であれインドであれ、人が住み生を営む場は、人々の心に様々な姿、形の原風景を与えてくれるのでしょう。

 (以上、本エッセイ集2008.10バックナンバーより本文及びコメントの一部を引用したもの。)