今回の表題エッセイは、少し前の朝日新聞記事を大いに参考にさせていただくことをあらかじめ記載しておく。
(申し訳ない事に日付不明だが)先だって見た朝日新聞記事 メディア空間考 「ウチ」と「ソト」 「何でも言える楽園はない」の一部を、以下に要約引用させていただこう。
ネット空間はどこまでが「ウチ」で、どこからが「ソト」なのだろうか。 新しいSNSが現れるたび、「ここでなら言いたいことが言える」と話題になる。 しかしそのSNSが広まれば、そこはすぐに仲間だけでなく他者も存在する「ソト」になる。
今まで感じていた「ウチ」という意識は何だったのか。 誰も傷つけず誰からも非難されず、何でも言える楽園なんてそもそもあったのか。 それは錯覚ではなかったか。
そして、私たちは気づきつつある。 暴言も「冗談だよ」で許され、しかも見知らぬ人に自分の言葉を都合よく届けられる場所なんて、ないのだと。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
私事に入らせていただこう。
私め原左都子の場合は、最初にネット関与した時点で既にある程度年齢を重ねていたこと、そして、我がネット活動は当該「原左都子エッセイ集」のみである事実が功を奏したと言えよう。 (現在Facebookも利用しているが、そこではほとんど他者との関わりは無く、単に我が「原左都子エッセイ集」記事の公開場所として利用しているに過ぎない。 有り難い事に、今尚Facebookページにてお読み下さっている希少な方々がおられるのは嬉しいことだ。)
それでも我がエッセイ集が“オピニオンブログ”であるがばかりに、開設後半年程から4年目程にかけては、歓迎しないコメントや明らかに誹謗中傷と判断可能なコメントが押し寄せたものだ。😨
その対応に頭を悩ませた挙げ句、当初“コメント承認制”を採用した。 それでも尚、歓迎しないコメントが後を絶たなかった。 (あれを非公開状態で読ませられるのも、心が傷ついたものだ…)
我が決断は早かった。 こんなことで心を痛めている場合では無いと!
(実際、我が娘のサリバン指導教育がまだまだ大変な時期だった。私が今優先するべきは娘の成長であるはずだ!)
いやもちろん「原左都子エッセイ集」執筆は我が生き甲斐でもあり、それを続行するには“コメント欄閉鎖”に限る!!
そうこうして、我が「原左都子エッセイ集」はコメント欄閉鎖後既に10年の年月が経過している。
そんな私の、今現在のネットおける「ウチ」と「ソト」との区別感覚とは??
正直言って今尚その区別感の実感が掴めない、と言うのが正解だろうか??
「原左都子エッセイ集」開設初期時にはそれが確かにあった。
(現在の若造達の例外ではなく)、我がエッセイ集に素晴らしい、あるいは肯定的なコメントをお寄せ下さる方々は「ウチ」。
そうでなかったり、誹謗中傷コメントを寄せる奴らは「ソト」…
ただ、今現在この事案を考察するに。
考察する程に困難な課題である事に気づかされる。
というのも、所詮“ネット世界”での課題に過ぎない。
一度とてお会いしたことがない相手と少なからずの年月ネット上にての会話が叶ったとして、それが「人付き合い」と言えるのか???
との不信感に、どうしても現在尚苛まれてしまう私だ。
つべこべ言っていないで、たとえネット上であれお会いした相手が気に入ったならば、その付き合いは「ウチ」と自身が認めた故だからそれでいいのではないのか。との我が心からの返答もあるのだが…
そう言ってみても我がFacebookにいつまでも反応を頂くのは、現実世界で直接お会いしている少数人物に限られている。
これぞ、ネット世界の「ウチ」と「ソト」をも如実に表現しているのかとも思えたりもするし…
(最後に追記だが。 たとえキーボードの一部が欠落していようが、記したいと欲したテーマのエッセイ記述に際しては障壁が感覚的に無いものですね。)