何分、長~~~~い独身時代を思う存分謳歌した後に晩婚に至り、高齢出産にて娘を産んで現在に至っている原左都子故に。
“お一人さま”、“家庭持ち” 両者の心情が分かる気がする。
冒頭から、本日付け朝日新聞“悩みのるつぼ” 50代女性による「娘を心配せずにいられない」と題する相談内容を、以下に要約引用しよう。
50代女性だが、20代の娘がいる。
私が結婚した時から自分自身にかたく誓っていたのは、子どもの人生に干渉しないこと。 「孫の顔を見せてくれ」などという発言は慎むことだ。
現在娘は安定した職業に就いているが、これまで異性との交際経験がない。 最近、近所の方から婚活パーティへの誘いがあり、それとなく娘に問うてみたところ、「結婚するつもりはない」と申す。
干渉しないと誓ってきたのに、娘の人生が急に心配になってきた。 私と夫が死んでしまったら娘が一人になってしまうと、その事が心配でならないのだ。
早く子離れしなくてはとの思いと矛盾する気持ちのせめぎ合いで苦しんでいる。 上野千鶴子先生にご回答いただきたい。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”本日の相談より要約引用したもの。)
一旦、この相談に対する原左都子の私見から述べよう。
ご自身の娘さんに干渉しないと言いつつ、本心との間に随分と“自己矛盾”を抱えている母親氏と判断する。
ただ、普通の(という表現は適切でないと思いつつ障害等を抱えていない)娘さんの母親とは、そんなものなのだろう。
原左都子の娘(発達障害がある)の場合、まったく事情が異なる。
(以前にも記載したことがあるが)我が娘の場合、生来的に“恋愛感情”が欠落していると母の私は診断している。 故に、私の方から異性との交際等々の話題を持ち出すことも無ければ、本人からその種の話題が出ることは皆無だ。
いや、もしかしたら“友達同士の婚姻”というのもあり得るかも知れない。
私の場合も見合い晩婚だったが、恋愛をした後の婚姻と言うよりも、それに近かったようにも振り返る。 (いえいえ私の場合は、長き独身時代にすったもんだ・ドロドロの恋愛三昧を繰り返した挙げ句の果ての、見合い晩婚選択だったが…)
とにかく、娘の好きなように生きればよかろうと展望している。
私が相談女性と根本的に異なるのは、既に“子離れ”出来ているところだろう。 産んだ親の責任として、娘の面倒は我が人生を賭けてみるつもりだ。(そのためには、長生きする必要があるが。) 娘が一人残された後の準備も万端整えてから死に至る覚悟である。
話題を変えよう。
今回の“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者・上野千鶴子氏だが。
さすが生涯を掛けて独身を貫くおつもりの上野先生のアドバイスは、厳しい。
少しだけ紹介すると。
娘さんの結婚を期待するのは、あなた方ご夫婦の介護に加えて夫となる人とその両親の介護が娘さんにふりかかってくる事だ。 今時娘に結婚して欲しいと期待するのは、それだけの負荷を娘に背負って欲しいというのと同じだ。
今後、本気で娘さんに依存せずに生きるためには、貴女自身が人間関係を作ることだ。 今からでも遅くない、“人持ち”になって下さい。
(以上、上野千鶴子氏による回答のごく一部を引用したもの。)
実は本日の朝日新聞記事内に、上記上野千鶴子氏の回答とダブる別記事を発見した。
作家・雨宮処凜氏による上野千鶴子氏著書「在宅ひとり死のススメ」に対する解説記事の一部を、以下に紹介しよう。
上野氏著作にまず励まされるのは、「独居高齢者の生活満足度のほうが同居高齢者より高い」というデータ。 さらに、「子無しおひとりさまは満足度が最も高く、悩みが低く、寂しさ率が低く、不安率も低い」という調査結果も紹介されると俄然勇気がわいてくる。
高齢者イコール施設入所という思い込みを鮮やかに否定する上野氏だ。 上野氏に寄れば、入居資金を自費負担サービスに充てればよいとの主張に納得だ。
それでは在宅で死ぬにはいくらかかるのか。 それを実際に計算すると、ヘルパー代や看取りのコストも在宅が一番安いというから驚く。
徹底して、(死に際まで)「自分はどうしたいか」との目線から書かれた終末期のノウハウである。 最期は単身世帯も多いからこそ重要な一冊だ。
(以上、雨宮処凜氏による上野千鶴子氏著書の解説記事より引用したもの。)
最後に、原左都子の私見に入ろう。
独身時代が人よりずっと長かった私は、今尚時々思う。
もしも私が高齢にての見合い結婚を実施しなければ、あのままずっと一生 “華の独身時代” が続いたのではなかろうかと。
まるで上野千鶴子氏のごとくの“生活満足度”を維持しつつ、自由恋愛を楽しみ今尚青春を謳歌していたのでは??? なる夢物語が脳裏を彷徨ったりもする。
ただ私は現実的に晩婚を遂げ、(曲がりなりにも??)一人娘に恵まれた。
この事実こそが、長き独身時代に浮かれて暮した我が日常を叩き直してくれた感覚もある。
娘を産んで後苦難を重ね今に至った我が“サリバン時代”こそが現在の我が生き甲斐でもあり、その積み重ねで私は更に成長出来たとも思っている。
私はきっと、私なりの良き死に際を迎えられそうに思ったりもする…