原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本人は「大学」に一体何を求めているのか??

2023年04月28日 | 教育・学校
 この原左都子は、好き好んで大学(院)2つへ入学し、卒業(修了)している。

 その一つ目は、高卒直後に入学した過疎地郷里の国立大学医学部であり、もう一つは30歳時に自らの意思で再入学した首都圏の老舗公立大学(及び院)だ。

 最初に入学したのが医学部だった事実が、後々私にその行動を起こさせたとも言えよう。
 とにかく、医学(医療)分野の学業・研究とは、後々の食い扶持となるものだ。
 そのお蔭で、30歳直前期には安心して2度目の大学(及び院)にて6年間学問に励める資産が蓄積されていた。(参考ですが、30歳時点で首都圏に一人暮らし用のマンションも自力で購入しました。)

 何故そのような行動を選択したのかを説明するならば。
 とにかく結婚願望など全くなく、学問意欲に燃えていた故だ!
 2度目の大学(及び院)が文系(結果として「経営法学修士」を取得)だったために、大学の春夏長期休暇を利用して医学専門業務に励んだり、平日の夜はラウンジコンパニオンとして短時間で高給を稼いだりもした。
 と書くと、「学問はいつやった??」との疑問質問が届くかもしれないが、とにかく時間があれば学問に励んだ。 例えば、大学の授業の空き時間には必ず自習室や図書館へ行って、ガリガリ勉強したし。 長期休暇中の仕事の昼休みには、昼食をそそくさと食した後は時間を惜しむがごとく学業に励んだりした。

 私の場合は一つ目の大学が医学部であったことが効を奏して、高給の仕事の求人がごまんとあった事実に助けられた。(上記の如く、30歳独身時に自己資金でのマンション購入も叶った。)
 故に、安心して2度目の学業に励むことが可能だったとも言えよう。



 さて、2023.04.241付朝日新聞夕刊記事「取材考記」の記事は、オピニオン編集部 池田伸いち(“いち”の漢字が変換不能です、悪しからず)氏による「国際順位よりも大学教育の機会広く提供を」だった。
 以下に、一部を要約引用しよう。

 国連事務次長や国連大学の学長として日本に10年暮らしたカナダ人のデイビッド・マローンさbbがこの春公職から引退した。 職業人として最後の時期を過ごしたこの国に、ぜひ伝えたいことがあるというので離日前に話しを聞いた。
 日本の大学、文科省そして政治家が大学ランキングに執着しているのは危険だという警告だった。
 政府は「10年間で100位以内に10校」という目標を掲げてきた。 某大学ランキングでは、東京大学が39位、京都大学68位。両校とも10年前より順位をおとしている。 (中略)
 マローンさんは、大事なのはランキングではないと力説する。 ランキングでほかの大学に抜かれ続けていることは、大きな問題ではないという。 日本人が大学に何を求めているのかが分からなくなっているのではないか」と目を開いた。
 経済成長が至上課題だった時代ではもはやない。 財政も厳しく、人口も減少する中で、ランキングの順位に政治家や官僚がいくら血道を上げても、効果は限定的だろうとマローンさんは予測する。
 アジアでも欧州でも、各国が大学改革に取り組んでいる。 日本が世界の中でどのような存在になりたいのか、そのためにはどのような教育が必要なのか。 そういった国民的な議論抜きには、世界の中でこれまでの日本の立場の維持はできなくなる、と心配していた。 (中略)
 「そもそも学ぶとはどういうことだろうといったことを悩むことこそ大切なんです。」と語る。 (中略)
 大学の順位にこだわるよりも、学びの機会を広く提供するいことが重要だ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「取材考記」より一部を引用したもの。)


 
 最後に、原左都子の私見で締めくくろう。

 まったくもって、カナダ人のマローンさんがおっしゃる通りであろう。

 この私自身が何故、2度大学(及び院)へ通って学んだのかと言えば。
 決して自身の「順位」にこだわっていた訳ではなく、とにかく学問をやりたかったからに他ならない。
 我が2度目の大学(及び院)時代は、食い扶持を稼ぎながらの“修行”のため、それはそれは多忙を極めていた。 ただ、その頃の“修行”が現在の“強さ・図太さ”との我が人格を創り上げてくれた感覚がある。
 しかも、私は確実に「“経営法学修士”の学位」との形ある履歴を自身で掴み取った。
 2度目の大学(院)にて築き上げた我が学業経験は、医学部にて学んだ経験に加えて、この私に一生に渡る“心的安定感”のようなものを与えてくれているとも言えよう。

 既に高齢者域に達している我が身だが。
 過去のそのような「学業経験」を今後も最大限活かしつつ、自信を持ってこの世を生き抜きたいと欲している。