この原左都子も、新卒入社した医学関係企業内の人事異動を29歳の春に経験している。
実はその頃、私は社内では極秘で2度目の大学進学を志していた。
そのため我が29歳時の春とは、怒涛の如くの変動の時期だった。
ただ、社内では我が大学進学を極秘にしていたため、それを一言も漏らさずに事を進めるしかなかった。
とにかく、勤務企業の最前線にての医学作業現場を去る事のみは決定していた。
さて、一体何処の部署へ私の異動辞令が出るのだろうと思っていたら。
やって来た指令は、「人事部教育課」であるという。
我が心内では、(この医学関係企業では、最後の1年だ。ただ、1年後にこの企業を去るとは言えども、“我が人生に於いて悔いの無い1年を送りたい” との身勝手な意志も強靭だった。)
さて蓋を開けてみると。
人事部教育課での我がメイン業務が、全社員(間接部門では医学素人が多かったが)向けの「臨床検査を網羅した200ページほどの冊子」を1年間で執筆するというのが、第一義の指令だった。
最後の年とは言えども、何とラッキーな仕事が舞い込んで来た!! とその幸運を心より喜んだものだ。
元々、共同作業がさほど得意ではない人格の私だ。 医学業務最終段階で本を単独執筆させてもらえるとはこんなラッキーは無い!!と本気で感激した。
ただしそんなに甘くはなく、教育課本来の業務(社員教育等々)も怒涛の如く押し寄せて来た。
時は4月。 ちょうど新入社員教育の時期だ。 毎年教育課が主催してその新人教育が実行されるのだが。
当然ながら、私には医学業務に配属された各課の新入生相手の「医学専門教育」が待ち構えていた。
まあこれは、得意技だったかな?? とにかく、元々学業好きの私だ。 それまでの我が専門だった「細胞性免疫」分野のみならず、ほぼすべての医学分野を網羅出来ている自信があったため、比較的スムーズに新人教育をこなし終えた。
(余談だが、新人教育最終日に新人達を引き連れて新宿の盛り場にて酒宴を執り行ったのだが。 飲兵衛の私の飲みっぷりに新人達が驚いていた😲 のが思い出深い。)
それが終了した後も、間接部門各課での“個別医学教育”も実施した。
受講者の皆さんは医学素人とは言えども、皆私より先輩社員ばかり。それにもかかわらず、皆さんが熱心に我が講義に耳を傾けて下さったのが実に有難かった。
それらの合間に、我が主たる業務である「臨床検査を網羅した200ページ程の冊子」の執筆に励んだ私だ。 何分他の業務をこなしつつの執筆だ。
正直言って集中力が途切れることもあったが、無事に3月には発刊に持ち込めた!
実は、私はその陰できちんと大学入試勉強にも励んでいた。
一体いつ勉強したんだ?? と皆に不思議がられたが、我が勤務企業が完全週休二日制であったことに大いに助けられた。 土日は脇目も振らずに受験勉強に励んだことを、誰も知らなかっただろう。
お陰様で、4月には二度目の大学の入学式を無事迎えることが叶った。
そのちょっと前の3月に、社内少人数(上部管理職員がほとんど)で我が送別会が催された。
その際にわざわざ出席して下さった副社長(某都市銀行頭取経験者)より、「貴女は当社を退職して2度目の大学へ進学するらしいが、一体何を専攻するんだ?」
私応えて、「経営学(実際には「経営法学修士」を取得した)です。」
副社長曰く、「そんなものボクが教えてやるから、馬鹿なことを言っていないで貴女は我が社で医学を続けなさい!!」
これぞ、最高の“贈る(送る)言葉”だった。 (この事実はバックナンバーにても数回公開しているが。) それ程に、我が人生に於いて忘れ得もしないこれ以上無い 素晴らしい“贈る言葉”だった。😭
さてさて、最後に話題を「企業の人事異動」に戻そう。
2023.04.13付朝日新聞内に「異動に不満 どうする?」と題する記事があったが。
人事異動には不満がつきものの様子だ。
例えば、入社10年目にして出世コースから「左遷」されたり…
いえいえ上記我が事例も、そもそも会社側は「左遷」目的だったのかもしれない。
それでも、そんなことは私にとってどうでもよい事実だった。
そう思えたからこそ、私は我が新たな業務である「一冊の医学書執筆」なる超恵まれた業務を単独でやり遂げることが叶ったのだと、今更ながら実感する。
あの充実した我が医学企業勤務の最後の1年の日々と、副社長からの最高の贈る言葉を、私は一生忘れることは無い。