冒頭の表題は、2023.04.14付朝日新聞「天声人語」より引用したものである。
早速、当該「天声人語」の一部を、以下に要約引用しよう。
日本各地の大学で入学式が開かれた。 学長らは何を新入生に語りかけたのだろうか。 式辞のなかに、いまという時代を探してみた。
「リポート作成に際して使用することなど、ゆめゆめ考えないでください。」 話題のチャットGPTなどの人工知能について、信州大の学長はそう強調した。 「簡単に得たものは、またたく間に失われる。」 新たな技術を学問にどう取り入れるか、どの大学も悩ましいことだろう。
コスパならぬ、タイムパフォーマンス時代に対する懸念も示された。 「タイパで得た知識で十分か」と広島大の学長。 動画の早送り視聴など、効率優先の風潮への疑問である。 アインシュタイン曰く、「重要なことは、問うのをやめないことだ」と。
(以下略すが、以上朝日新聞「天声人語」より前半部分を要約引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
「原左都子エッセイ集」カテゴリーとして、「学問・研究」「左都子の市民講座」との項目があるのだが。
それらのカテゴリーの中に、我が2度目の大学・大学院にて学んだ学問の講義ノートよりの引用を数多く掲げている。
例えば、「自然科学概論」「科学哲学」「法学概論」「憲法」「民法」「商法」等々……
少し前まで、それらの閲覧が日々数多い感覚があった。
ところがここにきて、その閲覧が激減している感がある。
これぞ、「チャットGPT」に取って代わられたか????😱
真相は不明だが、実際今の世の中は急激に「チャットGPT」が普及した感がある。 (いえいえ、この私はその利用経験が皆無のため、実態を全く知らないのだが…)
我が想像では、それを利用する方が ちまちまネット情報を引用したり、はたまた図書館でするより直接的であり、すぐに利用可能なのであろう。
だからこその信州大学長の式辞だったはずだ。 「簡単に得たものは、瞬く間に失われる」。
これがネットよりの引用となれば、大本の資料をコピーしたり手書きで写したりする“作業”が発生するであろう。
この私もずっと過去に大学の卒論や修士論文を書くに当たり、図書館等で探してきた目的学問の資料等々をコピーしたり、手書きで写したりしたものだ。 それらの作業こそが、自身の学力向上の手段ともなったものだ。
やはり学問の成就とは“簡単に得て”は叶わないものと、私も実感する。 調べたり写したりするその作業過程こそが、自身の身となり力となるものだ。
これは、引用箇所の後半部分に書かれている「タイパで得た知識で十分か」。 アインシュタインの「重要なことは、問うのをやめないことだ」にも繋がるであろう。
学問(学業)とは時間をかけて苦労して成してこそ、自身の血となり肉となり身となる性質のものであり、そうしてこそ真の達成感や成功感が得られるものではなかろうか?!?
特に勤労学生だった我が2度目の大学・大学院時代には、まさに学業に割く時間を配分・取得するのも日々の弛まぬ努力の賜物だった。
ただ そうやって苦労して成してきたからこそ、私にとってはそれらが一生に渡って貴重な我が資産であり得るのだ!
その意味で、「チャットGPT」や「タイムパフォーマンス」が一般的になりつつある現在の学問環境を、この私も多いに懸念する。😫
それにしても複数の現役大学学長氏が、入学式の式辞にて これらの現在特有の諸問題を盛り込んだ事実を、評価申し上げたいものだ。