原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「自然科学概論小講座」 - vol.16 ー

2021年09月07日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講した哲学者A先生による「自然科学概論」講義ノートより転載したもの。)


 当該シリーズは少し間があいたが。

 今回は、「コペルニクス革命」の続きを語らせていただこう。


           
 (画面が不明瞭な点を、お詫びします。)

 コペルニクスは1610年に『星界の報告』と題する著書を記した。
 最初の観察によるコペルニクス説の立証をし、プトレマイオス説に反駁した。
 しかし、望遠鏡に対する信憑性が無かったため、当時は必ずしも受け入れられなかった。
 
 これに関しては、コペルニクス側に不利な点が多かった。
  ● 地球が動く。 慣性の原理が未だ無い時代であり、これは力学的におかしいと判断された。
  ● 太陽の周りをまわる。
     トーマス・クーン『コペルニクス革命』紀伊国屋書店 によれば、
視差が観測できないとされた。
  ● 星は明るいと大きいとの考え方からすると、恒星が大きくなりすぎる、との問題点もあった。

 ファイヤー・アーベント (9c)『方法への挑戦』Against Method によれば、当時は理性的であったために、コペルニクスを受け入れなかった。 ガリレオの方が非合理的、と考えられた。
 コペルニクスを受け入れた人たちとは、太陽崇拝思想をとっていた人など思い込みが強かった人種だった。
 力学者であるガリレオや、無限世界説(全能者が作るのにふさわしい世界)の中では、コペルニクスの説が適しているとされた。

           
 デンマーク人のティコ・ブラーエは、1576年にコペンハーゲンにて天文台を築き、連続的な星の観測を正確(誤差が少ないという意味)に行った。
 理論面ではコペルニクスを認めていたが、地球が動くということは認められない、とした。(折衝説)
 地球と太陽との軌道が交わってしまい、天球が説明できない。
 天球説を捨てると、惑星の力学が新たな課題になる、とした。

 新星 hova は、天より下の世界、気象現象として位置づけられていた。
 それが観測により、天(月)より下とは考えられなくなった。
 彗星 comet も同様。

 ケプラーは、天文学に於いてコペルニクスについで重要人物であるが。
 合理的な思考はしない人物だったらしい。 コペルニクス主義。

 ケストラー 1571~1603『夢遊病者たち』 の中に描かれているケプラーは、強くこうだと思い込む性格の変わった人物として捉えられている。 
 ケプラーは、その後数学の教師になった。
 宇宙誌 cosmography  とは、宇宙の構造を記述する学問であるが、神が(宇宙を)造ったという前提で書かれている。

 三身一体 Trinity   これを認めないとキリスト教異端として、これを宇宙と結び付けている。



 最後に、原左都子の感想だが。

 いやはや、過去の科学は大変だ!
 「神」が科学に入り込む、イコール、宗教と科学が合体となったり。
 ただ考えようによれば、それが人類が歩んだ確かな歴史であり、その歴史を紐解くことこそが科学が果たす役割でもあると。
 哲学者A先生が、今後の世を担って立つべく学生どもに教えてくれようとした事実に思いが至る。


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