原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「経験値が高いとの誉め言葉」

2022年01月17日 | 自己実現
 本日つい先程、「原左都子エッセイ集」1年前の記事のコーナーに、表題の「経験値が高いとの誉め言葉」と題するエッセイが取り上げられていた。


 この「経験値が高い」との言葉は、実際私にとって最高の誉め言葉と感じる。
 日々それを目指して活動しているとも表現できそうな我が身ともいえる。



 それでは早速、以下に2021.01.16公開の「経験値が高いとの誉め言葉」を再掲載させていただこう。

 我が「原左都子エッセイ集」は2011年冬頃にコメント欄を閉鎖して以降、そのまま閉鎖措置を採用している。

 2007.09の開設だが、2011秋頃までの4年間はエッセイを公開する都度怒濤のごとくのコメントが押し寄せていた。
 有り難いことにその内容はいずれのコメントも学術性や専門性が高く、しかも長文(我がエッセイが一本ほぼ3000字前後だがそれよりも長文の)コメントも数多く頂戴していた。

 その間、ありがたいことにコメントにて様々な高評価をいただいていたのだが。
 今でもよく覚えているコメントがある。
 (どなたから頂戴したのか思い出してみるに、ブログコミュニティ上で知り合ったアブストラさんだったか?、いや、それと同類の学術用語から引用したペンネームの方だったか…?? 喉元まで出かかっているのだが、残念ながら思い出せないなあ…)

 そのコメントとは、「原さんは“経験値”が高い、云々…」との内容だった。

 これ、実に我が人生を的確に表現して下さっている文言だ。 故にこれ以上無い“褒め言葉”であり今尚鮮明に記憶している。
 まさに我が生き様とは、様々な分野にチャレンジしつつ“経験値”を高めるべく精進する日々だっただ。

 婚姻して家族を作る、との生き様ももちろん素晴らしいであろう。
 ただ、私はそれを後回しにする選択を主体性を持って実行してきた。
 まあ40歳手前で家族を持つことも実現出来たのは、ラッキーだったと言えよう。
 その後も高齢出産で産んだ娘の発達障害等々のお陰で、休む間もなく“サリバン活動”に日々励む等の活動も加わり現在に至っている。 
 まさにまだまだ精進の日常が続行しているが、この諸活動こそが我が「経験値」を高めてくれている実感もある。

 その弛まぬ精進の後押しがあって、我が「原左都子エッセイ集」は(当時)13年5ヶ月の年月に渡り“オピニオンブログ”として我が思想を公開することが叶っている、と自己評価している。

 話題を変えよう。

 本日2021.01.16付朝日新聞 別刷「be」内に、この「経験値」との言葉に関する興味深い解説があった。
 以下に、要約引用しよう。

 新しい仕事を前にした時などに「経験値を高めたい」という表現を使うことがある。 (元々は)ロールプレイングゲームでキャラクターの成長に必要な点数を表す言葉だが、日常生活でも「経験を重ねて得る力の度合い」という意味で使われる。
 更に歴史を遡ると、ゲームの無い昔から、工学などの分野では「理論ではなく過去の経験から導かれた推定値」との意味合いで使われてきた言葉のようだ。
 では、どうして現在の意味で使われ出したのか?
 某コンピューター文化史研究家氏は、1986年に発売されたファミコンの「ドラゴンクエスト」が影響した可能性を指摘している。
 米国発祥のロールプレイングゲームが日本に紹介された80年代初頭は、キャラクターの成長に必要な点数は「経験値」などと訳された。 
 誰が「経験値」との言葉を使うのを決めたのかを尋ねると制作の中心となった堀井雄二さんであるとの返答が返ってきた。
 その後ドラクエはシリーズ化され、空前のブームを巻き起こした。 その過程で「経験値」という言葉が世に広く知られるようになり、知らぬ間に意味が変わっていったのだろう。
 「経験値」が日常生活に定着したことについて、堀井さんは「自覚はあまりなかったが、言われてみて“そうか”と思った。 うれしいです。」と話している。

 (以上、朝日新聞 別刷「be」のコラムより一部を引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。

 「経験値」、素晴らしい言葉だ!
 
 他に人間の能力を比較する言葉として、「偏差値」「期待値」「絶対値」、ついでに「血糖値」等々があるが…  (原左都子なりに、無い頭を絞って思い出してみたのだが… 大して思い出せないものだなあ…)😵

 特に「偏差値」は勘弁願いたいものだ。
 (今現在、巷ではこの「偏差値」を競って大学入学希望者達に文科省から共通試験が課せられているようだが。)

 それをクリアして大学入学を果たす若者にアドバイスしたいが。

 その後の人生を左右するのは決して「偏差値」ではなく、まさに「経験値」であることを、この原左都子がアドバイス申し上げよう。

 長引きそうな“コロナ禍”が過ぎ去った後には、出来うる限り自己の「経験値」を高められるよう、努力を続けよう!


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