原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

マイナンバー導入に警告を鳴らした年金機構ウィルス感染

2015年06月08日 | 時事論評
 本日(6月8日)昼のNHKニュースによると、つい先だって発生した日本年金機構パソコンウィルス感染による個人情報流出事件を受けて、野党民主党の枝野幹事長が政府に対し以下のような指摘をしたようだ。

 民主党の枝野幹事長は国会内で記者団に対し、日本年金機構のシステムから大量の個人情報が流出した問題を受け、政府の情報管理体制に不安があるとして、来年1月からのマイナンバー制度の運用開始を遅らせることも検討すべきだという考えを示した。
 枝野幹事長は、「国民の中に年金情報の流出に対する不信と不安があるので、マイナンバー制度を予定通り来年の1月1日に施行してよいのか、党内で早急に検討しているところだ。場合によっては、施行期日を延期することも視野に入れた対応をしていかなければならない」と述べ、政府の情報管理体制に不安があるとして、マイナンバー制度の運用開始を遅らせることも検討すべきだという考えを示した。
 また、枝野氏は、参議院で審議が行われている、マイナンバー制度の利用範囲を金融や医療などの分野に広げることなどを目的とした、マイナンバー法などの改正案への対応について、「民主党は衆議院では賛同したが、年金情報の流出という現実が突きつけられたので、それを踏まえた議論ができなければ、到底、採決できる状況ではない。場合によっては、衆参で賛否が変わってもおかしくないくらいの変化だ」と述べた。


 冒頭から原左都子の私論だが、まったくもって枝野幹事長がおっしゃる通りだ。
 国民の巨額の年金保険料を預かっている立場の国家たるものが、世界規模でウィルス感染が常態化している現実を、一体如何程我が事として真剣に受け止めていたのか?

 見聞するところによると、今回のウィルス感染は、メール添付ファイルを(おそらく派遣パート雇用者が)安易に開いた事による失策らしい。
 ウィルス感染に詳しくないこの一庶民の私ですら、メールを開く時には細心の注意を払っている。 別枠で迷惑メールを受け取れる場合、必ずやその措置を施し、まずは送信元を確認する作業は日々欠かしていない。 しかも、迷惑メールに関しては即刻“ゴミ箱”に入れ削除作業すると決めている。 その中には有用メールも存在する可能性があるとしても、ならば必ずや再びメールが来るものと腹をくくっての廃棄処分である。
 
 我が亭主の話によっても大手民間企業に於いては当の昔から、顧客重要個人情報や内部機密情報を扱うパソコンとメール受信パソコンとは別立てにし、決して“企業としての生命線”である顧客情報等々がウィルス感染被害に遭わないよう厳密に対処しているとの事だ。
 それに比し日本年金機構たる巨大組織体が、何故にメール受信と国民個人情報を一緒くたに扱っていたのだろう??  その国民をないがしろにした態度に呆れると共に、何故国家は自らが最新知識習得力がないにも関わらず、民間大手企業から学ぼうとしないのか?  その旧態依然とした組織体質に今更ながら嫌気がさすというものだ。 


 ここで、自民党政権が来年1月に運用開始しようと虎視眈々と狙っている「マイナンバー制度」に関する注釈を、ウィキペディア情報より引用して、入れておこう。
 国民個々に重複しない番号を付与し、それぞれの個人情報をこれに帰属させることで国民全体の個人情報管理の効率化を図ろうとするものである。 氏名、登録出生地、住所、性別、生年月日を中心的な情報とし、その他の管理対象となる個人情報としては、社会保障制度納付、納税、各種免許、犯罪前科、金融口座、親族関係などがあげられる。 多くの情報を本制度によって管理すればそれだけ行政遂行コストが下がり、国民にとっても自己の情報を確認や訂正がしやすいメリットがある。
 一方、国民の基本的人権が制限されたり、行政機関による違法な監視、官僚の窃用や、不法に情報を入手した者による情報流出の可能性があること、公平の名のもとに国民の資産を把握し膨れ上がった政府債務の解消のために預金封鎖を容易にすることを懸念する意見がある。
 日本では、現在、基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者番号、運転免許証番号、住民票コード、雇用保険被保険者番号など各行政機関が個別に番号をつけているため、国民の個人情報管理に関して縦割り行政で重複投資になっている。
 2013年5月、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(いわゆるマイナンバー法)が国会で成立し、2016年(平成28年)1月から番号の利用が開始される運びとなった。開始時期に備え2015年10月以降、氏名・住所・生年月日・性別・個人番号が記載された紙の「通知カード」が、自治体から簡易書留で送付される予定。
 (以上、ウィキペディア情報より、政権が来年1月から導入を目論んでいる「マイナンバー制度」に関する記述を一部引用したもの。)


 そんな状況下に発生した日本年金機構による、(政府よりの公表のみで)百数十件を超える個人情報の流出である。
 年金機構によれば、個人情報漏洩が判明した国民に対しては郵送にてその旨連絡するとのことだが、それが届いたとて、一体全体一庶民として如何なる対策を取ればよいのか!?  今後更なる世の個人情報悪用犯罪に怯え暮らすしか選択肢がないのではあるまいか???


 日本年金機構のウィルス感染不祥事(当該機構は「自分らは被害者」と思っているふしがあるが、今回の事件は明らかに年金機構の不祥事だ!)に押し寄せられている国民からの怒り・不安の数々の声を朝日新聞記事より以下に紹介して、今回のエッセイを締めくくろう。

 「一度ならず、また問題を起こすとはたるみ過ぎている。」 (67歳女性)
 「今回の情報流出は個人に如何なる影響があるのか? みんなの年金なのに、国がきちんと管理しないと年金に悪い印象を持つ。」 (77氏男性)
 「一度情報が流れると取り返しがつかない。自分のナンバーも想像が付かない形で独り歩きするのではないか」 (73歳主婦)
 「一般企業に比して官公庁はセキュリティが甘過ぎる。マイナンバー制度の実施を考えても、今回の年金機構情報流出原因を検証して、データ管理を徹底して欲しい。」 (64歳男性)


 最後に番外編だが…

 「未だ月々多額の国民年金保険料を国家に支払っている身の我が個人情報データも、今回の事件により漏洩したのか?  子供時代より一国民として真面目に学業に励みその後大人に成長した暁にも日々勤勉に労働力を提供してきた我が人生だ。  そんなたかが一庶民が支払った保険料から微々たる額の見返りを期待している年金機構が、愚かにもパソコンウィルスになど感染してしまったのか?  しかも今後政府は今回の年金機構ウィルス不祥事を何も無かったことにして、マイナンバー制度を今まで通りに実行するべく国会で強行採決し、国民弱者達を更にいたぶる魂胆なのか?? 」 (59歳 原左都子)

“ママ友付き合い”は時代と身分を超えて過酷だね~

2015年06月06日 | 人間関係
 私自身も子を持つ親だが、我が一人娘は既に大学4年生に成長している。 故に「ママ友付き合い」は、過去に経験した事象として通り過ぎている。
 今回のエッセイは誠に申し訳ないのだが、そんな身にして既に過ぎ去った「ママ友付き合い」の“鬱陶しさ加減”を、あくまでも第三者の立場で興味本位に懐古しようとの魂胆に過ぎない事を、最初からお断りしておく。


 まずは「ママ友」に関するネット情報より、天皇家の秋篠宮家紀子さまの事例から紹介しよう。

 お茶の水女子大学附属小学校に入学されて、3か月の悠仁さま。 5月下旬の運動会では“超厳戒態勢”が敷かれるなど、校内にピリピリムードが高まっている。
 お茶の水女子大附属小のPTAでは、毎年1学年につき約20人が委員を務める。なかでも、「あの役を引き受けたら大変よ」といわれているのが、「学年委員」だ。   また、同小学校では、公開授業を行うこともあり、毎年全国から大勢の教員が来校する。 「この公開授業のときには、学年委員のママたちは、来客のスリッパをきれいに拭いて用意したり、ご案内したり、お茶汲みをしたりと、忙しく動きまわらなければなりません。  委員のなかで、いちばん学校に行く回数も多く、そのため、やりたがる人は少なく、なかなか決まらないこともあるんですよ」(お茶の水関係者)
 3人のお子さまの母親であり、秋篠宮妃としてご公務を果たされる超多忙な紀子さまが、PTAの役員を務めることは本来難しい状況にある。 ところが“同級生ママたち”が驚く出来事が起きた。
「最も大変な学年委員に、紀子さまが率先して立候補してくださったんですよ。やはり皇族のかたですから役員は免除だろうと思ってたら、まさかご自分から手をあげられるとは…。しかも学年委員を引き受けられるなんて、ほんとさすが紀子さまだってみんなが驚きました」(保護者のひとり)
 実は4月の入学式でこんな出来事があった。 紀子さまがお召しになった流行のグレージュのスーツが、ママ友たちの目を引いた。 「他の母親たちは紺色とか濃いグレーでしたから、“えっ!?”と思った人は結構いました。その空気を感じられた紀子さまは“どうしたら目立たないか”を、他の保護者たちにリサーチされ、5月の運動会では水色のシャツに黒のパンツという他のママ友たちと同じような地味なスタイルになさったようです。  さらに紀子さまは当日は早めに登校され、学年委員として“玉入れ”の玉の準備を黙々とされていました。そういう姿勢は本当にご立派というよりほかありません」
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 次に紹介するのは同じくネット「ママ友」関連情報より、元モーニング娘。辻希美氏に関する記述だ。

 東京でも30℃を超える暑さとなった5月末の土曜日、全国各地で運動会が行われた。
 辻希美(27才)、杉浦太陽(34才)夫妻もこの日は長女(7才)の運動会とあって、一家は朝8時30分過ぎには校庭に。夫婦と長男(4才)、次女(2才)、加えて祖父母、姉夫婦も駆けつける大所帯で、保護者の応援スペースに席を取っていた。
 しかし、なんだか不自然な様子も。 そういえば辻に話しかけるママ友がいない。辻は長女が出る競技の時にはギリギリまで前に出て大声で応援を送っていたが、他のママたちとの微妙な距離はあいたまま…。
結局運動会が閉会する午後3時まで、辻がママ友と会話を弾ませる場面は見られなかった。 「最近外でバッタリ会っても、辻さんほとんど挨拶もしないんですよね…」  と話すのは長女と同級生の母親。昨年の運動会以来、辻には気を使っているという。
「去年、辻さんのファンだという保護者が握手を求めたんですけど、彼女は『プライベートですから』ってにべにもなく断って。気持ちはわかりますけど、辻さんは控えめに目立たないようにというどころか、ものすごく目立つ格好をしていたから…。ご主人のほうは普通に握手とかに応じていたんですけど、辻さんはそれを見て『やめなよ』と言ってやめさせていましたしね」
 さらに最近の授業参観でもこんな出来事があったという。 「辻さんは教室に入っても派手なサングラスをかけたままだったんですよ。室内でしかも教室なのに…。話しかけられたくないというサインとしか思えないし、ママ友たちも距離を置くしかないんだと思います」
 昨年10月には子供の泣き声が原因で近所の人に保健所に通報され“児童虐待疑惑”まで報じられた辻。
「辻ちゃんは出演した情報番組で、ネットに悪口を書いたり、通報したりする人には心当たりがあると言っていました。けっこう身近にいて、誰が言っているかもわかるとも。真偽はわからないけど、近隣住人や学校のママ友に対して不信感があるのかもしれません」(テレビ局関係者)
 辻に何が起きているのか心配――と思いきや、辻は運動会を終えた直後のブログで『賑やか』と題し、運動会を終えてママ友や子供たちでワイワイと打ち上げをした様子を綴っていた。
 (以上も、ネット情報より要約引用。)


 ここから原左都子の私事及び私論に入ろう。

 ひとまず、上記記述に於いて「天皇家秋篠宮紀子さま」と、「元モー娘。辻希美氏」を同列にて紹介した失礼をお詫び申し上げておこう。

 当「原左都子エッセイ集」に於いて、ママ友関連エッセイを幾度が公開している。
 2009.5.15公開「ママ友付き合いの過酷な試練 」、2011.5.27公開「ママ友達よ 新時代をどう渡る?」、2013.4.11公開「庶民ママ達は “ママ友序列化” がお好き? 」 等がそれに該当する。
 それらエッセイの中で一貫して述べてきたのは、 私の場合、高齢出産したその直後より“ママ友”なる女性達との付き合いをなるべく回避するべく行動してきた母親である旨だ。

 今思えば、その“一貫したポリシー”が大正解であったことを実感させられる。
 
 例えばPTA。 私の場合元々教育に関する確固としたポリシーがあるため、学校教育に関して意見を述べたい思いは山々だ。 ところが実際にPTA役員が学校現場で担当する仕事とは、上記紀子さまが現在体験されているがごとく、“学校の僕としての下働き作業”ばかりというのが実態だ。
 もちろん私もそれには参加した。 個々で実施可能な作業の場合は、ただ黙々と作業をこなしさえすれば“ママ友達”との付き合いを回避出来るため、意外と鬱陶しい思いをせずに済んだ記憶がある。

 片や学級懇談会や茶話会の場合は、大いに様子が異なる。
 これぞ究極に鬱陶しい“ママ友達”との対決場面だ。 それでもまあ、たまたま隣席になったママと軽い挨拶言葉を二言三言交わすくらいなら得意技だ。 その中には対等に会話可能なママもごく少数ながらいたが、ほとんどは聞き上手な私が相手からの“たわごと”を聞かされるはめと相成る。 それでもそれを聞きさえすれば時間が過ぎるならまだマシだ。  一番苦手なのは、会合の終わりに場を仕切りたがる“ママ達”から 「それでは皆さん、二次会に行きましょう」なる掛け声がかかった時にはいつもウンザリさせられた。 こうなると一ママとして黙って帰る訳にはいかない。 (内心お前ら何様だ!?)と怒りつつ、「すみませんがこれから用がありますので…」などと、こちらから“ボスママ”に許しを乞わねばならない屈辱感こそが許し難かったものだ。

 運動会ねえ。
 上記辻希美氏の事例のようにタレントとの身分が学校現場で明らかな場合、ご本人としては確かに対応に苦慮する事であろうことは想像が付く。 そういう場に即しては、ご亭主の杉浦太陽氏が取られたがごとく、ママ友達から握手を求められればそれに応じるのが一番手っ取り早い方策と考えるが如何だろうか? 
 実際問題、学校実施の運動会に親としてタレントが来たとして、一番困惑するのは学校現場ではなかろうか?  何も騒ぎや混乱がなく本日の運動会を終了したいと思うのが学校側の常識だ。
 そうした場面に於いて、辻氏が如何なる判断で“ママ友”からの握手を拒否したかは不明だが、ここはご自身の娘さんのためにも、その場を穏便に済ませ軽く握手しておけば済んだ話ではなかろうか。 
 辻氏は今後もタレント活動を続行したい意向の様子だが、それならば尚更今後共に“ママ友付き合い”に際し“特権意識”を持たずして、タレントならタレントらしく、ご自身の子供さん達にとって一番の方策を考慮するべきだろう。 

 片や秋篠宮家紀子さまが現在置かれている“人騒がせな次女佳子さま”も含め、お三人のお子様を巡るご苦悩ご心痛の程は国民の一人とて推し量って余りある。
 おそらく紀子さまの場合ご自身が過去に於いて平民であられた時代を懐古され、ご長男であられる悠仁さまが通われている小学校の「PTA役員」を引き受けられたものと推測する。
 まさか紀子さまのPTA役員としての働きぶりに意見する保護者はいないと想像するが、もしも身分をわきまえないママ友が存在した場合、今後紀子さまは如何にご対処されるのだろう。

 とにもかくにも「ママ友付き合い」とは今に至っては他人事ながら、実に過酷だよね~~

2020東京五輪反対派から競技場建設トラブルに物申す!

2015年06月03日 | 時事論評
 私は2020年に東京にて開催されるオリンピック、パラリンピックに対し、その誘致運動が起こる以前より反対の立場を貫いている。


 その理由に関しては、当「原左都子エッセイ集」2013.9.9バックナンバー 「2020五輪後日本が堕落・荒廃しないための提案」 に於いて綴っているため、以下に一部を要約して紹介しよう。

 たとえ「非国民」と後ろ指を指され我がエッセイ集がバッシングにより炎上しようが、私は本日この記事を綴り公開したい。  昨日早朝にブエノスアイレスより届いた2020年五輪開催国決定の一報には、衝撃が隠せず意気消沈してしまった私だ…
 なんで、東京???
 そんなはずは絶対ないと信じていた。 何故ならば、東日本大震災発生より2年半が経過した現在に及んで尚“福島原発事故後処理失敗による汚染水垂れ流し”との、五輪招致候補3地の中で一番致命的な危険を抱えている日本だからだ。  それがどうしたことか、東京に決定した理由が「3候補地の中で一番安全」との発表ではないか??  我が耳を疑うしかない。
 安倍政権は政権奪取以降、一貫してアベノミクス経済政策により国民皆に“心理操作”を施し自分が政権を奪取した事であたかも経済復興が叶い、今後我が国が財政面でも活気付くとの報道ばかりをメディアを通じて吹聴し続けている。 しかも夏の参院選に於いて、国民達は自民党に大量の票を投入してしまった… またまた気をよくした安倍首相のターゲットは、2020東京五輪招致に傾いた。  
 安倍首相の参院選圧勝後の次なるアベノミクスのターゲットは、東京五輪招致だったことは火を見るより明らかだ。   それでもそれを知ってか知らずか、日本国内の子どもや若者は2020年五輪開催地に東京が選出された事に無邪気に喜んでいる様子だ。 世間知らずの若年層が自国五輪開催を無邪気に喜ぶ実態に関して、原左都子も許容したい気はする。  ただ今回の五輪開催に関しては阿倍政権が政権スタート後にそれを焦り過ぎたきらいがあるのは確かな事実だ。 
 2020年東京五輪開催がIOC総会で決定してしまった以上、「失敗」が許されるはずがない。 五輪において何が「成功」と位置づけられるかに関しては未知数ではあろうが、とにかく世界各国から参加して下さる選手、役員、そして観光客の皆さんの安全を保障できてこそ大会が成り立つと私は心得る。
 原左都子の現在の思いを正直に語るならば、阿倍政権自体が2020年まで持ちこたえているのかすら想像が付かない現状だ。  表題に掲げた通り、どうかどうか、2020年五輪開催後に日本が急激に堕落・荒廃して若き世代に暴動を起こさせぬ東京五輪準備を、政府と東京都は後7年間で施して欲しいものだ。
 しかも、五輪開催後も我々年寄りが安全に生き延びられる程度の国家財源を残しておいて欲しいのだが、これに関しては財政危機に瀕して尚五輪招致に及んだ我が国に於いては叶わぬ願いかもしれないね……。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 そうしたところ2020東京五輪誘致後わずか2年足らずにして、反対派としては到底許し難き開催準備に伴う国家と東京都間の実にみっともないいざこざに出くわした。

 先だっての2020東京五輪に関するネット報道より、その内容を以下に紹介しよう。

 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の建設をめぐり、国と東京都のバトルが勃発している。 そもそも一番の「売り」だったはずの開閉式屋根が間に合わないなど設計が大きく変わる見通しになっている。 加えて膨らむ総工費の一部として500億円を都が負担するよう国が求めたのに対し、都は根拠を明確に示すよう迫っている。「五輪の顔」はどこへいくのか
2015年5月18日、下村博文・文部科学相は都庁に舛添要一都知事を訪ね舛添知事に対し、「東京がスポーツ振興の場となるに伴い、費用の一部を負担願いたい」と訴えた。 これに対し舛添知事は、「全体のコストがどうなっているのか。500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」
そんな会話が交わされ、話し合いは平行線をたどったらしい。

新国立競技場建設に向けた流れを振り返るなら、東京五輪招致活動段階の2012年11月、英国の建築設計事務所が最優秀賞に決定。流線型のラインが近未来を予感させる斬新なデザインと8万人収容・開閉式屋根が特徴で総工費は解体費を除いて1300億円程度とされた。 ところが五輪開催決定後の2013年10月、下村文科相は総工費が3000億円に膨らむとの試算を明らかにした上で、「あまりにも膨大だ。縮小する方向で検討する必要がある」として、設計を見直す考えを示した。
これを受け同11月、新競技場の事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は総工費を1852億円に圧縮した。それでも当初想定の1300億円を上回っているが、全天候型にする開閉式屋根の設置方針は維持。さらに文科省の見直し作業の結果、2014年1月時点で総工費1625億円とされ、これが現時点の「公式数字」となった。
この後、解体作業に入るが、入札不調で業者選定は難航。2014年12月に3回目の入札でやっと決まり、2015年1月、予定から半年遅く着工に漕ぎ着け、9月末までに完了する見通し。 だがこの遅れで工期の短縮が必要になった。
かくて去る5月18日、文科省は競技場のフィールド部分を覆う開閉式の屋根の設置を大会終了後に先延ばしし、コスト削減策として可動式の観客席約1万5000席分を仮設にすることを検討していると発表するとともに、冒頭の下村・舛添会談となった。
 その後、都に負担を求める額が580億円に達すると報じられ、舛添知事は「全くいい加減。支離滅裂だ」(26日の記者会見)と厳しく批判。 この知事発言に、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が「思っていることは半分とか3分の1くらいに抑えて言わないと」と苦言を呈した。
下村文科相は翌27日、「(試算は)途中段階として首相官邸に報告したもの」と釈明しつつ、「もうちょっと当事者意識を持ってやってもらいたいなと思いますね。批判するのは簡単だけど、自分も五輪の開催都市の知事だという自覚で、一緒にやろうという思いを持ってもらいたいと思いますね」と異例の注文をつけ、さらに28日には知事が「(国が)言ってくることはお金出せっていうことだけだったら、それはおかしいでしょ」と再反論するなど、関係者間の不協和音は収まる気配がない。
  舛添知事は「都民が後で使えるレガシー(遺産)なら協力は惜しまない」との基本姿勢は示している。
 五輪という一大イベントを成功させるためにも、国民の理解は不可欠で、国には計画を修正する必要性、財源や五輪後の用途、収支見通しについて明確な説明をする責任があるのは言うまでもない。
 (以上、ネット情報より要約して引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 元々2020東京五輪開催反対派の私だ。
 その立場としては、五輪誘致後2年が経過しようとしているこの後に及んで、新国立競技場建設を巡り国家と東京都間で「お前がカネを出せ!」ナンタラカンタラの“茶番劇”が繰り広げられている事自体がお粗末過ぎる事に嫌気がさす。

 反対派の立場としては、元々新国立競技場など建設せずとも済んだとしか言いようがない。

 その立場にして敢えて今回の国家(下村大臣)と東京都(舛添知事)の“茶番劇議論”に口をはさむならば、この勝負は東京都の舛添知事側に軍配を上げたいのだ。
 と言うのも舛添氏側は、「都民が後で使えるレガシー(遺産)なら協力は惜しまない」との基本姿勢を示している点に於いてだ。 しかも舛添氏は下村大臣に対して、「全体のコストがどうなっているのか。500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と明言している。
 
  これに対し、下村大臣側は論理破綻していると考察出来よう。
「もうちょっと当事者意識を持ってやってもらいたいなと思いますね。批判するのは簡単だけど、自分も五輪の開催都市の知事だという自覚で、一緒にやろうという思いを持ってもらいたいと思いますね。」
 原左都子に言わせてもらうならば、何だか高校や大学の文化祭のノリ発言ではなかろうか?
 こういう奴らって高校大学レベルで常に存在したものだ。 こちらが理路整然と反発しているのに「そんな事言ってないで仲良くしようよ」と、本筋をずらせば物事が解決可能と思っている単細胞人種は確かに存在した。 そんな奴ほどバックに控える権力者に頼りたがるのも世の常だ。
 その後下村氏をバックアップするべく(既に自民党内では形骸化した存在の)森喜朗氏が登場した事実など、自民党政権の“恥の上塗り”としか評価しようがない。
 

 ここはたとえ五輪開催反対派の私とて、議論の“論理性”に於いて勝る東京都知事舛添氏を応援したい。
 都知事の舛添さん、下村大臣(及び国家政権)打倒に向けて頑張れ!! 

自分自身が寂しい限り友達は出来ない

2015年06月01日 | 人間関係
 こんな“つまらない人”とは、向こうから頭を下げて来られても友達付き合いしたくない、と思えるような人物からの悩みの相談に出くわした。


 早速、60代女性による「友人ができず、寂しい思いです」なる題名の5月30日朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 60代の主婦だが、若い頃に両親を亡くし兄姉も40代で病死したが、何とか自力で頑張り今は不自由ない暮らしをしている。 ただ一つ、埋まらない寂しさがある。 それは周りに友がいないことだ。 人との出会いを求めて習い事や集まりに参加したが、話せる仲間が出来ない。 愚痴や馬鹿話が出来て思い合う友達がいたら、どんなに人生が潤うことだろう。  
 たまに会う年下の主婦友はいるが、冷静で言葉少なく私が黙れば会話が続かない。 その相手に無理をしている自分が嫌になるが、あちらも迷惑かもしれない。
 私の性格は元々消極的だが、PTA役員や姑の介護等も積極的にして自分を変える努力をした。 でも全てがその場限りの間柄で終わる。 
 どうしたら人を寄せ付けられるかの助言をお願いしたい。 ちなみに夫は自由にさせてくれ干渉は一切しない。 贅沢だが、それも空しいものだ。
 (以上、朝日新聞2015.5.30“悩みのるつぼ”相談内容より要約して引用したもの。)


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、歌手・俳優であられる 三輪明宏氏だ。

 その回答内容たるや、まさに100%(120%かも!) 原左都子の私論と一致するため、冒頭から三輪氏のご回答を要約して紹介しよう。

 あなたが幸せでいる時には遠くから眺めて応援してくれる。 病気の時には看病してくれ、悩み事、金の貸し借りも相談に乗ってくれ、愚痴や泣き言も受け入れてくれて、腹蔵なく欠点をさらけ出しそれを全部受け入れてくれるような、「悩みのゴミ箱」みたいな人はこの世に存在しない。 それを求めるから、皆が迷惑に思い逃げて行く。
 腹心の友とは、人生に一人か二人現れれば幸運な事。 今、高齢化社会で孤独死する人が多い。その理由を友達がいないせいと考える人が多いから悩むのだ。  世の中が「絆」「絆」と言って美談を宣伝したりドラマ化しているが、実際はそれ程甘いものではない。
 趣味や何らかの集いで「心の友」を探そうとしても難しい。 向こうも“人に寄りかかりたい”故だ。 こちらから寄りかかっていくと相手は離れる。 相手にすべてを受け入れてくれる“鉄の扉”を要求しようが、実質両者共に“破れ障子”状態だからだ。
 相手にばかり見返りを求める人には感謝がない。 相談者の場合も、食べるに困らないお金があって大病もせず、優しく見守ってくれる夫もいる。 何も言う事はない。
 友人がいないがために、人の悪口を言ったり愚痴をこぼしたりが出来ないから何だと言うのか。 たとえ友人が出来てそんな事をしたとて、清々するどころか一人になった時に自己嫌悪に陥るだけだ。
 今後は、自分の幸せを数えたらどうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答者 三輪明宏氏の回答を要約引用したもの。)


 ここから、原左都子の私事に入ろう。

 それ以前の課題として、上記のごとく三輪明宏氏が我が私論をすべて言い当ててくれたお陰で、今更ながら私が付け加えねばならない事象もさほどない。

 それでも、私にも“友が恋しい”と思える時代が過去に於いて無きにしも非ずだったものだ。
 何分40歳近くまでの長き独身時代を謳歌した私としては、付き合う相手とはほとんど男ばかり。 そんな環境下に於いて、女友達に相談事を持ち掛けたい時期も一時あった事を思い出す。
 それは我が20代後半の1980年代初頭頃、女性陣がまだまだ就職した社内で結婚・出産を契機とした“寿退社”を虎視眈々と狙う時代だった。
 結婚願望が希薄な私としては“結婚を前提としない”男性との付き合いを常に愛好していたのだが、その恋愛相談を同年代の女性に持ちかけようが、皆が皆自分の“寿退社”へ向けた狭い視野思考で凝り固まっていた。
 ただ私の頭の切り替えは早かった。 元々人生観やポリシーが180度異なる女性陣とは今後の我が人生に於いてお付き合いを続行するのは難しい、との結論に早期に至っていた。

 その後まさに男世界で職業人として生き貫く中で、私は30代半ばにして人生に於ける“腹心の友”と出会った。
 私と同じ「独身の身」どころか、彼女は私以上に“独身に対する強い意思”がある人物だった。 この女性との出会いは、実に我が独身時代を豊かにしてくれた。
 結果として、彼女ほど独身にこだわっていなかった私は晩婚に至り子供も設けた。 そんな私を一番に祝福してくれたのも彼女だった。
 ところが人生とは無常だ。 やっと我が子が成人に達しようとしている頃、“腹心の友”は一人暮らしの自宅で“くも膜下出血”にてこの世から忽然と去ってしまったのだ… 
 彼女にはもっともっと生きていて欲しかったとの無念感が募った。 そうしたならば、娘を自立させた暁に今一度女友達二人の老後を満喫出来たのに…
 ただ、人生とはそんな風に過ぎ去るものなのであろうことは、“腹心の友”が他界して3年の月日が流れた現在に至った今、納得可能だ。


 話題を変えるが、冒頭の60代相談者女性の相談内容に於いて一番気がかりなのは、「ちなみに夫は自由にさせてくれ干渉は一切しない。贅沢だがそれも空しいものだ。」との箇所である。
 私自身も相談女性と同様に、配偶者が一貫して私を自由にさせてくれることに大いに感謝している身だ。
 この我が亭主の利点こそが、現在の私の人生を豊かにしてくれている事に間違いない。 (他に亭主に対する不満は盛り沢山あるものの)、とにかく私に干渉しない事態こそが我が夫婦間婚姻関係続行の基本であると私は捉えている。
 そもそも相談者女性ご夫婦とは、家計に於いて「夫婦間独立採算制」を導入されているのだろうか?  そうでなく老後資金を全面的にご亭主におんぶしているのなら尚更、相談者の夫氏が奥方に自由を保障してくれている身に感謝するべきであろう。 にもかかわらず夫氏が自分に干渉しない事実が空しいと感じるのならば、「私に構ってよ!」とあなたから正直に嘆願するべきだよ。 
 それが言い出せない程の小心者なのだろうか、相談女性は… 


 とにもかくにも“腹心の友”など、小心者であろうがこの世を図太く生き抜いている者であろうが、そう簡単に突然降って湧くものではあり得ない。

 「孤独死」が辛いと言うが、原左都子など身内や周囲の誰にも迷惑を及ぼさない「孤独死」こそが理想像だ。
 聞くところによれば、一族皆を死ぬ間際に集めるだけ集めて天寿をまっとうしたいとの権力者が、今尚この世に君臨しているらしい。 そんな奴に付き合わされる親族皆の大迷惑を慮れてこそ、今の時代真に天昇可能ではなかろうか!?

 そもそも基本的に主体性に欠けていて、単独意思決定及び行動が苦手と思しき“悩みのるつぼ”相談者女性である。
 そんな60代の女性が“付け焼刃的”に友を得るより率先してやるべき事とは、一番身近な存在である自分のご亭主に対してこそ、「今後どうか私にも構って下さい!」と嘆願する事と私は結論付けるのだが、如何だろうか…