原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

信州長野旅行記の公開途中ですが… あわや心霊動画か!??

2017年08月13日 | 旅行・グルメ
 (写真は、先程我がFacebookページに公開した“心霊動画”??の写真版。 gooブログ上に動画を掲載する能力が無いため、やむを得ず写真版で間に合わせた。) 


 今回のエッセイは、お盆の時期にふさわしい話題かもしれない…
 あるいは、昨日32回忌を迎えた日航ジャンボ機墜落事故犠牲者追悼にからむのか……


 本日午前中、当エッセイ集公開に先立ち我がFacebookページ上に、伊那にて訪れた登内時計記念博物館にて撮影した3件の動画を投稿した。

 そのうちの1本を私自身がFacebook上で初めて見たところ。
 撮ったはずのない、男性と思しき「うん、そうやねえ~」との不気味な響きの音声が明瞭に記録されていて、実に実に驚かされた。

 とりあえず、即刻Facebook上に公開した動画の削除措置を採った。

 その後今一度、私のパソコン内に保存されている同一動画とカメラ内に未だ保存してあった動画の確認作業を実施したところ、はやりこの不気味な音声が入っていた。

 伊那の博物館現場に同行していた娘にもその動画を見せると…  私以上に驚愕した様子だった。
 ついでに長野旅行には参加していない我が亭主にも“心霊動画”の件を話すと、最初は「そういう事もあるようだねえ」などと無責任発言をしていたのに、実際に“心霊動画”を見せるとその音声を聞いて恐れおののいた様子で、その後口を閉ざした。

 
 そして先程、午前中にFacebookにて公開後削除した動画を今一度公開し直し、次なる文章を追加した。
 
 午前中に削除措置を採った動画を今一度公開します。
 時計の回転に合わせ鳥がさえずる映像ですが、なぜか男性の「うん。そうやねえ~」との明瞭な音声が入っています。  現場に同行していた娘にも確認したのですが、当時あの場の近くに伊那の知り合いのK氏と博物館係員男性がいるにはいたのですが、これ程近くにはおらず、しかもその二人がこれだけの大声量で会話をしていなかった記憶が娘と一致しました。  ほぼ同時刻に娘が撮影した写真も確認したのですが、娘はその時ちょうどこの動画を撮影する私を撮影しており、他に人は映っていませんでした。 
  午前中からこの件が気がかりで、娘と話し合った結果、今一度公開に踏み切りました。
  皆さんのご感想は如何でしょうか?
 (以上、我がFacebookページ上に公開した文章を引用したもの。)


 何分、gooブログ上で動画の公開能力のない私のため、やむを得ずこのような形を取らせて頂いた。
 

 最後に我が思いを語れば。

 私自身は、心霊写真や心霊動画なる現象を元々信じていない人種であることには間違いない。 過去に一度、知人が沖縄で写したとの“心霊写真”を見せてもらい、驚いた経験はあるものの。
 ただ世俗情報に寄れば、それを撮影した人間とは幸運との記述を読んだ事があるように身勝手にも自分本位に解釈している。

 特に、まさにこのお盆の時期にその体験を出来たかのもしれない事実とは、「東京暮らしが長いお前も先祖の事を少しは考えろよ」との先祖よりのお告げだったのかもしれないし。

 もしもこのエッセイにご興味をお持ちになった方がいらっしゃるならば、原左都子のFacebookページにその“心霊動画”を公開しておりますので、その明瞭な音声中心にご覧下さいますように。


 - P.S. -

 その後伊那のK氏より、メールにてこの“心霊動画”エッセイに対するコメントを頂きました。
 実際にFacebookの動画をご覧になったK氏によれば、「登内時計博物館内でのコワ~イ話。 関西弁の様な感じですね。」 との記載でした。
 
 実際、当時博物館内は我々3人の貸し切り状態で、博物館の係員氏が展示物の説明をしながらずっと一緒に回って下さっている状態でした。 まさか博物館係員氏が我々顧客に対し「うん、そうやね~」なるラフな発語をする訳がなく、礼儀正しい人物でした。
 その4名以外には人が存在しない状況下での、あの動画内の明瞭な「うん、そうやね~」なる発語だったことを付け加えておきます。

 えっ? 時計が発した機械音??
 それも考察しましたが、あの場で時計が発する小鳥のさえずり音以外に、そのような大きな機械音を聞いた記憶がないのです。 

信州長野旅行記 - 駒ケ根シルクミュージアム編 ー

2017年08月12日 | 旅行・グルメ
 (写真は、伊那市に程近い駒ケ根シルクミュージアムにて飼われている蚕の幼虫。)


 今回の伊那観光に際し、私から当該「駒が根シルクミュージアム」も観光対象としたい旨K氏(K氏に関する詳細は2本前のエッセイを参照下さい。)に提案したところ、このミュージアムはK氏も訪れたことがあるとのご返答だった。

 伊那市にて大農場を営むK氏のご生家では、K氏幼少の頃には蚕を飼い絹糸を生産されてもいたらしい。 そのためある程度K氏が養蚕に詳しいのに驚かされた。 ところが、何分K氏は大地主の息子さん(お坊ちゃん)の立場であり、幼少時には興味はあれど作業に加わる事が許されなかったとの説明だ。 
 それ故か、今回のシルクミュージアム訪問に際して、ご自身からも係員に積極的に質問をされていた。


 さて、このミュージアムでも我々3名(私と娘、そしてK氏)の貸し切り状態。
 入館当初は3名で見学していたものの、ついに過去に生家にて養蚕経験のあるK氏が係員を掴まえて蚕に関する様々な質問をし始めた。
 これがまた、素晴らしい! 掴まえられた係員氏は入口にて発券係も兼務しておられたのだが、要するに蚕専門の研究者であられる様子で、K氏よりの容赦ない質問に専門力を発揮して回答されるのだ。

 そこで、私も素人ながら質問した。
 「蚕の幼虫とは、繭を作った挙句に成虫として旅立てるのですか?」
 このとんでもないド素人発言に、係員氏がきちんと解答して下さった。 
 「我々人間が蚕から繭糸を搾取(そういう発言はしなかったが、要するにそれが事実だ)したいがために幼虫をそれに適した大きさに人工的に育て上げ、なるべく多くの繭糸を取れるべく大きな蚕を作るように日々努力しています。 そして繭糸を収集する際には繭を蒸さねばならず、その際サナギは死にます。」
 私応えて、「何だか惨い仕打ちのようですが、要するにサナギを殺す事により絹糸製造が成り立っているとの事ですね。 本日先程、伊那の地で“蚕のサナギ”の佃煮が販売されているのを目にしましたが、あれは人間が身勝手に犠牲にしたサナギの命を無駄にせず我々人間が有り難く頂くとの意味合いで、供養しているとの事ですかね?」
 「そういうことです。」 と係員氏がお応え下さったと記憶している。


 私にとっては今回の駒ケ根シルクミュージアム訪問に於いて、最後に記載した部分の印象が一番強烈だった。
 その印象が強いものの、このミュージアムの展示内容も全般的に充実していたとの感想がある。
 

信州長野旅行記 - 登内時計記念博物館編 ー

2017年08月12日 | 旅行・グルメ
 (写真は、伊那市の登内時計博物館内で撮影した時計コレクション展示物の一つ。)


 長野旅行記は、昨日のエッセイに引き続き伊那市観光から入ろう。

 この「登内時計記念博物館」は私がネットで観光箇所候補として調査し、K氏(この人物に関しては昨日のエッセイをご参照下さい。)にあらかじめ提案させて頂いていた。
 K氏によればK氏のご生家が当該博物館のすぐ近くだそうで、館長氏に関してもよくご存知との事だが、博物館へは一度も訪れたことがない、とのお話だった。
 まあそういうものだろう。 観光スポットとは、概して地元の人達は行かないものだ。


 さて博物館を訪れてみると、我々3名の“貸し切り”状態だ。
 そのため、博物館担当者がずっと館内を案内しつつ我々と一緒に回ってくれる結果となった。
 この説明の程が、素晴らしい! よくぞまあ、展示物一つひとつに関してこれ程詳細に勉強されたものと感嘆させていただけた。

 さらにもっと驚かされたのは、館内コレクション時計のすべてがきちんと現役で動いている事態だ!
 上記写真のコレクションは19世紀に制作されたフランス制の時計のようだが、まさに我々が訪れたその瞬間の時間を刻んでいた。
 その維持管理にかける博物館の弛まぬ手間労力と、時計を愛する姿勢がひしひし伝わる館内の完璧に整備された美しさだった。
 

 以下に、ネット情報より当該博物館 館長氏の挨拶文の一部を紹介しておこう。

 長年収集して参りました18世紀から19世紀のヨーロッパを中心とした機械時計から新しいものまでおよそ150点を「登内時計記念博物館」に展示し、皆様にご覧いただくことになりました。 時計修理が得意だった父親の思い出がきっかけで時計の修理・収集ですが、いつしか数も増え500点余となりましたので、地域の文化施設として少しでも役立てればと考え博物館建設を思い立ちました。 年代、形、機構など様々ですが、私にとっては一台一台が思い出多き時計ばかりです。 時計を通じ、先人たちの科学に対する情熱の粋を共感いただけたら幸いです。 この博物館が、訪れていただく皆様にとってふれあいと安らぎの場となり、子供たちの科学への関心を育むことができればと思っております。
   博物館館長 登内英夫
 (以上、博物館に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 外には時計塔を配した広い庭園・公園もあり、とにかく一言で表現すると“美しい”博物館であり癒し効果抜群のため、伊那を訪れる機会があれば是非訪問されることをお勧めしたい。
 

長野 伊那市より旅のお土産が到着しました!

2017年08月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、本日午前中長野県伊那市の大農場よりクール便にて到着した採れたてスイートコーンと 蜂の子、蚕のさなぎ、いなごの田舎炊き。)


 義母の病院付き添い以降、毎日のように高齢者介護施設に住む義母よりの要点不明の電話に翻弄される身で、未だ落ち着いて旅行記を綴れる環境下にないのだが……

 今後の義母介護の困難さを痛感させられ心が曇る私の元に、本日午前中、伊那の大農場主K氏より上記写真の品々がクール便で到着した。


 そもそも今回の信州長野旅行の第一目的は、伊那市のK氏に日頃の農作物送付のお礼を申し上げ、大農場を見学させて頂く事にあった。

 伊那のK氏に関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバー内で幾度か取り上げさせて頂いている。
 元々2007年の「原左都子エッセイ集」開設直後期の読者の一人でいらっしゃった。 開設早期には、我がエッセイ集にK氏より心温まるコメントも少なからず頂いている。
 
 それに加え、K氏より嬉しいメールも届けられた。  何でも、ご自身が農場で育てておられる農作物を定期的に東京の我が家へ送って下さるとのことだ。
 このお言葉に甘え、年に数回の頻度で、春には「ウド」「ワラビ」「アスパラガス」、初夏と秋の頃にはK氏の主生産野菜であるブロッコリー(「ブロッ娘」と名付けられているが)、冬にはリンゴをお送り頂きつつ早いもので既に10年の年月が流れた。

 幾度か、K氏の大農場見学や農業体験をさせて頂きたい旨の要望をこちらから提案しつつ、こちらの怠慢で計画倒れに終わっていた。
 さすがにK氏のご好意に一方的に甘え続け10年もの年月が経過しようとしている今、10周年アニバーサリーの意味合いも込めて、私側から御礼かたがた長野県伊那市へ出向くことをK氏に提案したところ。  とても喜んで受け入れて下さり、今回の長野旅行実行と相成った。


 さて、実際に伊那市へ到着してみると。

 こちらこら御礼を申し上げるつもりが、K氏よりの我々母娘への“厚遇”が待ち構えていた!
 旅の出発前にも、要望があればどこでも案内する旨のメールを頂いていたのだが、すぐにその気になる私の我がまま気質に応えて下さり、伊那や駒ケ根周辺の博物館等々へ誘って下さった。

 結局、御礼を申し上げるどころか、K氏の農業活動を一時中断して我々のために観光案内して頂いたのに加え、この度は沢山の伊那のお土産まで自宅へ届けて下さる始末…… 


 ただ、旅の昼食中にK氏と話し合った内容が印象的だ。
 時の経過と共に消え去る人間関係が大多数の中、ネット上で知り合い10年続く人間関係が存在する事実を二人で感慨深く思い合った。
 当然ながら、K氏が農作物を送った相手は私一人ではなかっただろう。 それを迷惑がる人も存在するとK氏が過去にメールでボヤいたのも私は記憶している。 迷惑がった相手の気持ちも何となく理解出来る気もする私だが……。

 とにもかくにも、私とK氏との関係は10年続いた。 (もちろん、こちらからもお礼の粗品を贈らせて頂いてはいたが。)
 「継続とは力であり、10年続いたとの歴史こそが今回私を長野伊那へ誘(いざな)ったのが事実だ」旨の我が意を述べると、K氏も同感しておられた。

 大都会に暮らす私。  長野県伊那市との地で大農場主として日々精進されるK氏。
 その生き様は180度違えども、10年との年月の積み重ねこそが二人を“ご対面”に導いてくれたのであろうと、両者間で同意した。
 加えて、(あくまでも私側はK氏に対し)人間としての根底部分にある思想感覚に共通項がある事実を、実際に対面する事により改めて発見させて頂けた気がする
 それにしても元はと言えば単にネット上の偶然の出会いを実現の出会いへ移行したとの、今回の伊那への実りある旅だった。


 (長野県伊那市のK氏の大農場群の写真はFacebook上に先行して公開しておりますので、よろしければご覧下さい。)

「今、時間ありますか?」

2017年08月09日 | 仕事・就職
 長野旅行記を早めに綴り公開したい思いは山々だが、旅行から帰宅後多忙を極める我が身だ。

 昨日も、高齢者介護施設入居中の義母の病院付き添い業、及び施設ケアマネジャー氏との今後半年間の義母の介護計画面談に時間を取られてしまった。


 すっかり遅い時間帯となり、施設からの帰り道を急ぎ足で歩いていた時の事だ。
 (参考のため、義母が暮らす介護施設周辺は都会にして緑が多く、民間介護施設が複数点在する以外、人気(ひとけ)が少なく閑散としている場所だ。)

 後方から一人の男性が近づいてくる気配を感じた。
 一体何だろう? と少し警戒し始めた私に、その男性は 「すみません。今、時間ありますか?」と声を掛ける。
 (何の用なんだ?!? このシチュエーションで考えられるのは、「ナンパ」か「キャッチセールス」だろうかなあ。)と急ぎ足で歩きつつ振り返りると、そこにはTシャツに短パンとのラフな格好の30代程の男性がいた。
 「急いでいますが、何がご用でしょうか?」と歩きながら問う私に対し、
 「アルバイトに興味ありませんか?」 との意表を突くご回答。 
 その時の感想とは、表向きラフなスタイルの割には、男性が発する言葉が丁寧かつ少し控えめな態度であることだった。
 とにかく急いでいた私が「興味ありませんし、急いでいますので。」と応えると、「そうですか…」と多少残念そうに去って行った。

 その後も足早に歩きつつ、社会情勢に関する観察心が旺盛な私は考えた。
 (アルバイトと言ったが、一体如何なる仕事を私に斡旋したかったのだろう? 後学のためにそれ位聞いてもよかったなあ。 ただ下手に深入りすると強引に誘われることも重々考えられる故に、断って正解だろう。 それにしてもこの私を一目見て掴まえたということは、派手な外見の女性を欲している事には間違いない。 ただ、私がいくら若く見えるとは言え、まさかギャルに見間違う訳はあるまいし、中年にして派手な女性に向くアルバイトでもあるのだろうか??? まあ、良くて風俗が想像できるが。 まさか私を掴まえて、掃除婦や庭の手入れをしてくれとは言わないとは思うが…。

 ただ、特に義母の病院付き添いに疲れ果てていた私にとって、大きな気分転換となる事件だった事には間違いない。


 そうこうして我が家に辿り着き、そそくさと夕飯の準備を済ませた。
 夕食中、我が亭主に昨日の義母病院付き添いとケアマネ氏との介護計画面談内容を一通り報告した後。

 上記、突然の「アルバイト斡旋スカウト」の件を亭主に一通り話した後、「一体何の業種だったと思う?」と問うたところ。  (  )内は私の感想だが。
 亭主曰く 「キャバクラだろうなあ。」  (おおー、鋭いご意見!
 私応えて、 「あの辺にキャバクラなど無いよ」
 亭主返答して  「あそこから三つ目の大きめの駅周辺にキャバクラが複数あるよ」
 私  「よく知ってるねえ」
 亭主  「昔現役時代に職場の飲み会の3次会位で行ったことがある」  (おーー、そうか。 私が知らない間に、君も人並みの経験は積んでいたんだ。
 私  「それにしても、“中高年キャバクラ嬢”などがいるキャバクラが存在するだろうか??」
 亭主  「それは知らないなあ」
 私  「せっかくのアルバイト斡旋だったから、私もアルバイトのキャバクラ嬢になっとけばよかったかな??」
 亭主  「やめといた方がいいと思うけど…‥」  (さすが我が亭主、いつもながら浮世離れのピントが外れた反応に安堵する私。 こういう場合、ごくフツーのご家庭だと「何馬鹿いってるんだ!!」と奥方を嗜めるのだろう。  良く言えば、我が亭主とはいつも私の意思を尊重してくれるのが唯一の取り柄だ。 と、こんなことろでのろけている場合でもないが…)


 最後に、今現在の我が感想を述べよう。

 実際の話、身内高齢者の介護活動とは厳しい現状である割には、それを成し遂げたとしても、対象身内高齢者が老う毎に“達成感”が得られにくくなる“不毛”の活動との感が強まるばかりだ。

 昨日2ヶ月程ぶりに義母の病院付き添い業を実施した私は、その感情を以前よりも深く実感させられ、(今後義母にどのように対応するべきか?)なる新たな課題を掲げつつ急ぎ足で帰り道を歩いていた。

 そんな折に「アルバイト斡旋スカウト」に偶然遭遇した。
 仕事の達成感とは何なのだろうか? なる若き時代よりの課題を、高齢域に達した今現在再び突き付けられた気もする。

 自分本位に解釈するならば、どうやら私には還暦過ぎた今尚 ある種の “外因的セールスポイント” があると分析して許されるであろうか。
 若き時代にそれが輝いているのは、私のみならず皆さんも当然だった事だろう。

 それでも今現在私に課せられている生業とは、如何に騒ぎ立てても “身内高齢者”の介護責任を全うする事実でしかない現状を十分に自覚出来ている。

 「今、時間ありますか?」 と道端で突然問われたとて、 現状高齢者を抱える身にしてそんな“不毛な”結論に達しざるを得ないのが、私としてはちょっぴり悲しい現実かもしれない。