原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「みんな違って みんないい」というが、どこまで一緒で どこから違っていいのか??

2022年05月21日 | 教育・学校
 この表題は、2022.05.18付朝日新聞「折々のことば」より引用した。


 この言葉、いつ頃聞いただろうか?

 とにかく子供の頃から大の集団嫌いだった我が身として、この言葉には実に助けられる思いだった。
 おそらくこの言葉を初めて聞いた時には、私は既に大人になって集団生活の場から離れていたことだろう。


 「みんなちがって みんないい」。
 この言葉は、金子みすゞ氏の童謡から派生しているようだが。



 この機会に教員経験もあるこの私が、この言葉に関して少し論評してみよう。
 
 その前に、「もはや戦後ではない」と叫ばれた昭和の時代にこの世に生を受けた我が小中校時代など。 
 まさに教育現場とは、「集団主義」がまかり通っている時代背景だった。
 とにかく、「みんなで仲よくしよう!」これぞ当時の教育スローガンだったと記憶している。
 「仲間に入らない子がいたら仲間に入れてあげよう!」 
 実際、ちょっと待って欲しかった。 一人でやりたいことがあるからそれに集中しているのに、無理やり誘われてしたくもないことに加わらねばならない、その虚無・無駄感覚…
 これが楽しめる訳もない。😫 

 ただし、小学校高学年頃からの反抗期以降には自己を取り戻せた気がする。
 周囲も大人になりつつあって、一人で物事に没頭している私を放っておいてくれるようになった。
 (一人で何をやっていたかと言うと、小6当時は「小説」や「詩」の執筆に没頭して一人で励んでいた。 お気に入りの綺麗なノートを買い込んで、随分と沢山の作品を書いたものだ。 その趣味は中学2年頃まで続いただろうか。 その習性が、現在のエッセイ執筆に繋がっていると言えるかもしれない。
 その他、中学時代にはブラスバンド部にてのフルート奏者としても頑張っていたが、これは集団活動とはいえども個人練習が基本となるため、特段気にならなかった。)


 私は30代半ば頃から、高校教師を数年間経験している。

 そもそも高校教育現場だったし、小中とは異なりさほどの「集団主義」強要がしつこくない事実に助けられた。
 時代背景的にも、個人主義が少しずつまかり通ってきた頃だっただろうか?

 それでも過去の自身が生徒だった頃の経験から、生徒を前にして「皆さん」発言はなるべく慎むようにした。 (この教員が発する「皆さん」発言を、生徒時代に忌み嫌っていた私だ。 皆さんて誰なんだ?? との反抗心が燃え滾っていた。 と言いつつ何分真面目な生徒なもので、教員の「皆さんばなし」を一番理解したのはこの私だったことだろう。)😓 



 そろそろ話題を、表題に戻そう。

 「みんな違ってみんないい」と言うが、どこまで一緒でどこから違っていいのか?

 原左都子の回答を示すと。

 それさえも、個々人で違っていいはずだ。
 少なくとも集団に迎合する必要など全く無い。
 個々人の意思が確固としているならば、その意思に従って行動を起こせばよいことだし。 もしもそれで軋轢が発生するならば、その時点で話し合いを持ち接点を探れば済むだろう。

 世の中には、必ずや自身の同意者(“同響者”というべきか)が存在するものだ。
 ちがっていると思っていた相手でも、話し合い(と言えば大袈裟だが、何かの拍子に接点が見つかり親しくなると)それが一生涯の付き合いに繋がる事とてあるものだ。
 この私など、今尚親しい関係の人とはそうやって仲を紡いできたような気がする。



 最後に、朝日新聞2022.05.18 「折々の言葉」鷲田清一氏による、表題の続きの文面を引用させていただこう。

 自由・平等とか環境保護とか、誰もが尊重し、誰もあえて反対しないことがある。 多様性もそのひとつ。 でも言葉に浮かされて、その意味するところをしっかり突き詰めないでいると、大勢の人たちが別のとことがいいと言い出した時、あっさりそちらに流れていく。
 詩人の4コマ詩「いろいろ」(「月刊ココア共和国」5月号)から。


 原左都子も、鷲田清一氏のご記述に全く同感である。


「原左都子」さんとの実名女性がこの世に存在している事実にビックリ!!!

2022年05月19日 | 雑記
 昨日いつも全く使用していない検索元から、我が「原左都子エッセイ集」を訪問しようと、「原左都子」にて検索すると。



 上から5つ程は、全て我が「原左都子エッセイ集」関連ものだったのだが。

 6つ目くらいに、ブログではなく全く別物の検索先があった。


 どうやら、何処かのSNS関連サイトのようだが。

 投稿している男性の苗字が「原」さんのようだ。 その原さんの投稿を読んでいると、下に奥様の発言も掲載されていて。
 その奥様のフルネームが「原左都子」さんなのだ。


 一瞬我が目を疑いつつ、一応その投稿の最後まで読んでみた。

 奥様である「原左都子」さんの発言はその投稿の中で、その一箇所のみだった。

 投稿内容を忘却する程に、(失礼をお詫びしておきますが)印象に残らない投稿であったにしても。

 この世に私以外に「原左都子」さんが存在する事実には、驚かされた。😱 



 我が「原左都子」のペンネームを、一番最初に考案したのは。

 当該gooブログを2007年9月に立ち上げる直前期に、某自主出版企業が企画していた自主出版コンクールへ原稿を応募した時に遡る。
 (参考だが、このコンクールでは最優秀賞1名のみの作品を出版に持ち込んだようだ。 ついでに入賞者を(何名なのか不明)設けて、その入賞者には安価での出版を勧めてきたのだが、私の作品もそのひとつだった。 我が米国在住の姉も当時自主出版に凝っていたが、その費用が作品1本につき200万円と聞いていたため、それに比すと確かに格安だったかもしれない。 それにしても、私自身が応募した作品に対して自分自身が思い入れが無かったため、出版はお断りした。)



 このペンネームを採用するにあたり。

 「原」は置いておいて。

 「左都子」の名前、特に「左」の文字にはとことんこだわった。

 「都」に関して言えば、自分で好んで上京して東京都に住んでいること、この地に我が骨を埋めようと考えていること、その程度の理由だったが。

 「左」の漢字に我がポリシーを入れ込んだつもりだ。
 まず、飲兵衛の「左党」。
 それから、生まれ持って「左利き」だったこと。
 加えて、「右向け右」「右に倣え」なる掛け声に「左」を向きたくなる我が天邪鬼気質。
 そして何よりも、どちらかと言えば「左向き」思想であること
 等々をペンネームで表現したいがために、この「左」の漢字を採用した。


 gooブログ立ち上げ当初より、我がペンネームである「原左都子」に関して機会がある毎にネット検索していると。

 「左都子」さんに関しては、いくらでも検索可能だった。
 これがご本名の方も全国に少なからず存在しておられる様子だ。

 自分では珍しいペンネーム命名だと自負していた身として、世間は広いことを実感させられたものだ。

  
 そんな中、「原左都子」のフルネームが同姓同名者を発見したのは、昨日が初めてだった。😲 

 上述の通りその投稿内容を読ませていただくと、この世に実在するこれが本名の女性のようだ。



 いやはや、実に驚かされた事件だったが。

 そう言う意味では、漢字のペンネームとはそういう事態が起こり得る確率が高いのかもしれない。

 ほとんどのブロガーの皆様のように、英数字を混ぜ込んだ複雑なペンネームにしておくのが正解だったか??と、今更ながら考えさせられた出来事だった。 

 いえいえ、既に「原左都子」はブログ界で市民権を得ていると自負しつつ。
 今後もこのペンネームに、我がエッセイ執筆・公開のポリシーを託すつもりでおります。
 

キラキラネームの命名ねえ、親の自由なのかどうか??

2022年05月18日 | 人間関係
 「キラキラネーム」問題、原左都子の場合も人の事を言えない立場かもしれないが…


 とりあえず、本日見たネット情報を以下に引用しよう。

 「キラキラネーム」どこまで? 戸籍読み仮名、基準に3案 法制審が意見公募へ   2022/05/18 12:12

 戸籍の氏名の読み仮名に関する法制審議会部会の3案

 法制審議会(法相の諮問機関)の戸籍法部会は17日、戸籍の氏名に新たに付ける読み仮名に関する中間試案をまとめた。いわゆる「キラキラネーム」など漢字本来と異なる読み方をどこまで認めるかについて、三つの基準案を提示。5月下旬からパブリックコメント(意見公募)をし、その内容を踏まえてさらに議論する。法務省は、来年の通常国会に関係法令の改正案提出を目指す。
 出生届には「よみかた」の記入欄があるが、戸籍法には読み仮名に関する規定はなく、戸籍には記載していない。読み仮名を付けることになった背景は、デジタル化の進展だ。平仮名や片仮名の方が個人データを検索しやすく、行政の事務処理を効率化させるため昨年9月に法相が諮問。新生児や日本国籍を得る人らが初めて戸籍を取得する場合だけでなく、今の約1億2千万人の国民からも読み仮名を収集。どう集めるかも課題となっており、法制審部会で議論してきた。
 法務省によると、3案は、読み仮名が認められる範囲を(1)戸籍法に定めず、権利の乱用がなく公序良俗に反しないといった法の一般原則に基づき判断(2)音訓読みや慣用で読まれ、または字の意味と関連があるものを許容(3)(2)に加え、法務省令で定めたものを許容―とする。(2)が最も厳格という。
 法務省の担当者は、仮定の事例として「大空(すかい)」「光宙(ぴかちゅう)」は字の意味との関連があることなどから、認められるだろうとの見解を示している。一方「山田太郎」を字の意味と無関係の「てつわんあとむ」としたり、「高」と書いて逆の意味の「ひくし」と読ませたりする場合は、認められない可能性があるとした。
 表記は平仮名と片仮名の両案を提示した。
 国民には一定の期間内に自治体に読み仮名を申し出るよう求め、申し出なかった場合は自治体が職権で記載するとした。ただ、自治体関係者からは本人が申し出をしているか紙ベースで確認することが大切との意見もあり、膨大な事務作業への懸念が出ている。
 法務省の担当者は住民票取得やマイナンバー登録といった用件で自治体窓口に訪れた際に併せて登録してもらうこともあり得ると説明する。

 (以上、今朝見たネット情報より引用したもの。)



 私事に入ろう。

 昨日のエッセイ内でも公開したが、我が娘の命名は古代ギリシャ・プラトン哲学より引用している。 
 2度目の大学にて自分の専攻ではない「科学哲学」にはまった当時より、将来産まれてくる子が女の子ならば、それにすると固く決めていた。
 後に結婚した亭主もその案に合意してくれた。
 
 一つ迷ったのは、“当て字”の漢字表現にするか否かだったが。
 これに関しては、原語の意味合いを重視したいがために敢えてカタカナにての命名とした。 (そのため、我が子の名前は決して“キラキラネーム”ではないのだが。)

 親としては、我が娘に対する最高の贈り物と大いなる自信を持っていたところ。
 娘の名を他人に紹介する都度、「娘さんの親御さんのどちらかが外国人ですか?」との予定外の質問攻めに遭うではないか!?!
 内心思った。(これ一体どうしたの? プラトン哲学とは今時高校生になったら「現代社会」で学ぶだろうに、この人たちはその学習をしていないのだろうか???)

 いえもちろんその言葉の学術的意味あいをご存じの方は、「親御さんの職業は何ですか?」と問うてくれたりもするので、聞いてくれた相手に合わせて、「母の私が高校教諭です」、あるいは「主人が物理学研究者です」等々の返答をしたものだが。 もちろんその後、「娘の命名は母の私がしました!」と付け加えた。

 
 それでも娘が小学校入学以降は、やはり「外国人ですか?」の質問が多発するため、やむを得ず通称は“ひらがな”で通してきた。
 そうすると今度は、正直な子供たちが言うには、「変な名前」。😵 

 それは放っておくとして。

 私立中高一貫校へ進学させた後には周囲に娘の名前の理解者が急激に増えたため、戸籍名である“カタカナ”に戻した。
 高校の授業では、あえて娘の名前の由来である「プラトン哲学」を取り上げて講義して下さる先生もいた、との娘の談話でもある。

 今となっては娘も職業人として自立しているため、娘の名前に関して騒ぎ立てられることも皆無となり、安堵している現状だ。



 さて、キラキラネームねえ。

 上記ネット情報によれば、「光宙(ぴかちゅう)」が認められるとのことならば、それでいいのではないかと思ったりするが…??
 
 これに関して思い出すのは、「悪魔くん」事件だ。
 世に議論を醸し出した末に、どうやら漢字を変えて「あくま」くんが存在することになったと記憶しているが。 そのあくまくんは今どうしているのだろう…


 我が結論とは。

 親が我が子に自信をもって名付けた命名ならば、必ずやいつかは本人にその思いが伝わるであろうと信じたい。

 我が家の場合はその後、娘の命名の起源であるギリシャまで娘をいざなって、プラトンのアカデメイアを訪問している。

 我が娘が自分の名を恥じたことは、少なくとも高校生以降は一切無いと記憶している。
 この名で一生生き抜いてくれそうな娘に、名付け親である私も感謝したい思いでもある。


基礎的感染症研究を時代遅れのように捉える空気

2022年05月17日 | 医学・医療・介護
 本日のエッセイは、少し古くなるが朝日新聞2月の記事を取り上げる。



 早速、朝日新聞2022.02.17付「隠岐さや香氏による まったりアカデミア 100年前は一昔?」と題する記事を、以下に要約引用しよう。

 100年前と聞くと、みなさんは「近い」と感じるだろうか。 私(隠岐氏)は250年程前を専門とする研究者であるため「比較的近い」過去と感じる。 フランス革命やアメリカの独立があった18世紀を大きな時代の境目とみなすからだ。 更に古い時代を扱う専門家なら、18世紀など「最近」だろう。 歴史研究をすると、時間の捉え方が変わってしまう。
 現代人の多くが、市場の要請に基づいて非常に短いスパンで物事を考え、答えを出すよう要求されている。 そうした状況で長期的視野は、無用の長物とみなされがちだ。 だが、コロナ禍がなかなか収まらない今、改めて思うのは集団視野で長期的視野を失うのは危ういということだ。
 世界中で多数の死者を出したスペイン風邪は約100年前のことだが、不思議なほど人々はそれを忘れた。 先進国の政府は感染症の脅威が去ったかのように捉え、それよりも医療含めた公共サービスのコスト削減に熱心だった。 研究者の側にも、基礎的な感染症研究を時代遅れのように捉える空気はあり、市場のニーズにあう応用研究に頭脳もカネも集まりがちだった。
 市場は私たちに豊かさや活力をくれるが、しばしば、私たちを現在に閉じ込める。 経済というもののこうした性質を忘れるべきではないと思う。 今から100年後の人たちが、コロナ禍のあったこの時代を教訓に、覚えていてくれることを願う。

 (以上、朝日新聞 「まったりアカデミア」より引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 この私も時代というものの捉え方がイレギュラーであるかもしれない。

 何分、30代を過ぎて入学した2度目の大学で自らの専攻ではない「科学哲学」にドップリはまり、「古代ギリシャ哲学」や「量子力学的実在論」等々の学問に励んだ人間だ。
 その後高齢出産で産んだ娘の命名は、「プラトン哲学」より引用している。
 そして娘が中学生になった暁には、その娘をいざなってギリシャ・アテネ(アテナイ)のプラトンのアカデメイアを訪れた。

 あの時の光景は今尚忘れない。
 バスの車窓からアカデメイア等々の古代の建物やソクラテス・プラトン像が見えた時には、やっとここに辿り着いた感があった。
 このアカデメイアはアテネバス見学コースには含まれていなかったため、翌日の自由行動時に迷いなく地下鉄にて「アカデメイア駅」を訪れ、娘と共にじっくりとアカデメイアを堪能した。 (参考だが、現在では「アカデメイア」敷地内のアカデメイアをはさんで右隣がアテネ大学本部、そして左隣がアテネ図書館となっている。)

 この場合100年どころか、プラトンが活躍した時代から2000年以上の歴史が流れている場であるはずが。
 何ら色褪せもせずそこに整然とプラトンが創設したアカデメイアが佇んでいる光景が、忘れ得もしない記憶として我が目と脳裏に焼き付いている。

          

 写真は、2007年8月に原左都子が撮影したギリシャ・アテナイ(アテネ)のアカデメイア。 左がプラトン像、右がソクラテス像。




 話題を感染症に戻そう。

 上記引用文内に、「コロナ禍がなかなか収まらない今、改めて思うのは集団視野で長期的視野を失うのは危ういということだ。」と記されている。

 さらに隠岐氏は、「研究者の側にも、基礎的な感染症研究を時代遅れのように捉える空気はあり、市場のニーズにあう応用研究に頭脳もカネも集まりがちだった。」ことに対しても懸念されておられる。
 
 まさに隠岐氏がおっしゃるとおりである。

 コロナ禍に関しては、どうやら政権が経済的現状を維持したいがばかりに「withコロナ」思想を先導してしまい、それに国民が操られるとの構図がずっと続いてしまっている。

 オミクロン株感染は症状が軽いとの言い訳の下、政府が何らのコロナ対策もなさなかったために。 特に5月の連休など、政府の先導の下に国民が行楽をエンジョイした様子だ。😨 

 これで事が済むはずもない。

 まさに、100年後の未来に向けてこの“コロナ禍”が忘れ去られないように。

 我々が生きた時代にそんな“禍いがあった事実”を記憶として後世に残すのが、コロナ禍を現在経験中の我々の役割ではなかろうか。
 

「賃貸生活」という選択肢

2022年05月16日 | 自己実現
 昨日まで、一人娘の賃貸生活のための引越手伝いに精を出した身として。

 
 いろいろ学ぶことがあったのも事実だ。


 私にも、賃貸生活経験はある。
 郷里の医学部卒業後に就職のために上京した直後には、もちろんのこと賃貸物件に入居した。 その後物件を2度変えて、賃貸生活を続けた後。

 30歳ちょうどの時に、子どもの頃から貯蓄が趣味だった私個人の資産が十分に蓄積されていたため、分譲マンションを独力で購入しそちらへ転居した。
 そこに7年間住んだ後に見合い結婚にて亭主と知り合い、一旦亭主の実家のアパートの一室にただで住まわせてもらった。
 その後は分譲マンションを3度買い替えつつ、現在の分譲マンションには既に20年間住んでいる。

 
 という訳で、しばらく賃貸生活には縁が無かった私だが。

 今回、娘の引越の手伝いをして、久しぶりに娘が借りた賃貸物件に接することが叶った。

 これが、結構いいのだ!

 時代が進化したのか、あるいは娘の物件を見る目が育っていたのか。(それは十分にあり得る。 とにかく親どもが次々と買い替えた分譲マンションを、未だ幼い身にして3度も転居させられているのだから!)😱 


 とにかく、条件の良い賃貸物件を娘が見つけているのに驚かされた。
 築20年という事は、我が現在の分譲マンションとほぼ同じなのだが。

 何だか、娘が借りた物件の方が使い勝手がよさそうな気すらする。
 たとえば、ここに電源が欲しい!と思うところにくまなくコンセントが設置されていたり。 
 玄関カギはもちろんオートロックなのだが、我が家同様に二重ロックが採用されているし、ピッキングに強いディンプルキーだ。 

 窓を閉めるとまったく騒音が聞こえない程の密室性が保たれているし。

 以前写真にて公開したごとく、シングル対象の1Kルームにして大きな出窓が採用されていて、開放感が素晴らしい!

 よくぞまあ、今時のセキュリティに配慮した住みやすそうな物件を探す能力が娘に育っていたことと、親としては驚きだ。


 娘が一人暮らしをすると宣言した最初の頃は、不安だらけの親の私だったが。
 引っ越し後数回娘の部屋を訪れる都度、安心感が増すばかりだ。


 ついでに言うと、周囲は商業施設が充実していて何不自由ないし。
 駅から賃貸物件までずっと商店街や区の施設等々が続いていて、治安面でも安心だ。

 
 おそらく娘本人も、しばらくはこの条件の良い賃貸物件から日々職場に通ってくれることだろう。



 そして、30歳になったら言い始めるのだろうか??
 「分譲マンションを購入することにした。」と。

 とにかく、血は争えないものだからねえ… 😲