原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

60歳過ぎた身にして“友の数”にこだわることこそが愚かだ!

2022年06月24日 | 人間関係
 冒頭から、ネット上で見つけた情報を引用しよう。


  60歳以上の3人に1人「親しい友人いない」 内閣府
   2021年6月11日 15時00分


 60歳以上のおよそ3人に1人が、「家族以外に親しい友人がいない」と答えているとの調査結果が11日、内閣府が発表した今年の「高齢社会白書」に盛り込まれた。 高齢者の孤立が深刻な課題になっている。
 調査は60歳以上の生活などについて、1980年度から5年ごとに実施している。今回は昨年12月~今年1月に行われ、男女1367人の回答を集計した。
 家族以外の人で相談や世話をしあう親しい友人がいるかを尋ねたところ、いないと答えたのは31・3%で、5年前の前回調査(25・9%)から5・4ポイント増えた。同時に調査したアメリカ、ドイツ、スウェーデンはいずれも約10%だった。日本では調査を開始した1980年度から毎回約3割前後の水準という。
 内閣府は高齢者が望まない孤独に陥らないよう、新型コロナ下で直接会う機会が難しい場合でも、オンラインを活用しながら地域のイベントに参加する取り組みを推進するという。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 
  このネット情報に関連する話題であるかどうかは不明だが、少し私事を語らせていただこう。

 私は2016.02に娘と2人で個人旅行をした際に訪ねたイタリア・ピサにて、70代の日本人女性より“大迷惑”を被っている。
 参考だが、ピサ半日観光のみ少人数(4名)のグループ行動を手配しておいた。

 その部分の我がエッセイ集バックナンバー内の記載を、以下に引用しよう。

 ピサ観光参加者4名のメンバーとは、我々母娘とそのツアーで偶然一緒になった米国ユナイテッド航空のCA女性(フライト業務の合間にピサツアーに参加したようだった。英語ネイティブで日本語はカタコト)、そして70代後半の日本女性だった。
 この日本女性が実に厄介で、我々母娘はピサにて大迷惑を被った。 
 当該70代後半の日本女性、ご亭主が病気にて他界後一人旅を“楽しんでいる”と言うのだが…
 コイツに年齢が一番近かった私が懐かれてしまい、旅道中ずっと私相手に亭主が無くなって寂しい…ナンタラカンタラの“くだらな話”をピサにて喋くり倒されてしまい、我がオプショナルが台無しだった…  救いはせめて娘と二人の充実した時間を楽しみたとの意思で、あえて斜塔内の見学を取りやめ、大聖堂その他の見学に切り替えそいつから逃れ静寂を取り戻したものだ。
 こんな場で日本高齢女性に意見申し上げたいが、海外一人旅が苦手ならば、必ずや当初からご友人等と団体旅行にでも参加して楽しんで欲しいものであるし。 現地で一期一会で出会った日本人に無遠慮に身勝手に懐くのは是非共勘弁して欲しい!! 実際問題、こちらのスケジュールをボロボロにされてしまうほどの損失だった!😵

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 このピサで出会った一期一会の70代後半女性だが、この方もおそらくご亭主亡き後に一人として親しい友が得られないのであろう。
 ご本人は、「私は主人亡き後は一人で世界中の旅を楽しんでるの。」と豪語されるのだが。 その実態とはいつもいつも団体旅行に依存して、そこで出会った自分の話を聞いてくれる日本人女性をとっ捕まえては、「私は亭主を亡くしたのだけど、こうやって一人で世界中を旅して楽しく生きてるわ。」の独り言を繰り返しているのであろう。

 ただ、こういう人ほど帰国後寂しさに苛まれることだろう。
 そして仕方が無いからまた、団体ツアーを予約しては出かけているのかもしれない。


 そういう私とて、昔から友(女性に限る話であり、男性に拡大してよいならばその数は多かったと言えるかな??😜 )は少ない方だ。
 それは25歳過ぎて以降、ずっと独身を貫いていた頃から続く現象だ。
 ただ私の場合、我が人生に於いて真の親友だ(だった)と誇れる女性がこの世に3名存在する。 “だった”と表現するのは、そのうち一番親しかった親友は、既に10年前にくも膜下出血で忽然とこの世を去ってしまっている…


 親友とは何かというならば。
 私にとってのそれは、とにかく“対等に語り合える人材”であることが必須条件であることに間違いない。
 そうでない相手を、一生涯“親友”と呼ぶ気はない。


 だからこそ、内閣府に物申したいのだが。

 地域のイベントに無理やり参加させられてもねえ。
 その種の人材に巡り会える可能性が低いのが正直なところなのよ。
 無理やり人を集めて仲よくせよ! と強制されるのは、私にとっては人権侵害に近い思いすらある。

 今後も私なりに “対等に語り合える人材”を求めて、この世を渡っていきたいものだ。


高齢者施設に暮らす認知症義母の郵便物転送届け出更新作業で本日大騒動

2022年06月23日 | 人間関係
 11年程前から高齢者介護施設にて暮らす義母だが。


 入居当初は、おそらく施設に届く自分宛の郵便物処理を自らこなせていたと記憶しているが。

 まもなく認知症症状が出始めてその処理が不能となり、やむなく義母宛郵便物のすべてを保証人である我が家まで転送し始めてから長い年月が流れている。
 (参考だが郵便局の見解によると、郵便物の転送とはあくまでも転居をした後の短期間のサービスであり、本来その目的での転送届は受け付けていないとのことです。)


 さて本日午前中、その処理をこなそうとネットにて「郵便物転送」ページを開いたところ。
 基本的にその処理には「マイナンバーカード」が必要で、それが無い場合は本人が郵便局窓口まで出向き手続きをするように。 との記載があった。

 昨年まではこんな記載は無く、私がパソコン操作をして義母郵便物転送処理をしていたと記憶しているのだが。
 世の中(特に国家や自治体)が、どうも「マイナンバーカード」を何とかして国民に作らせようと躍起になっている様子が伺え、辟易とさせられた。😫 

 亭主に相談すると、「しょうがないから、義母を施設近くの郵便局へ連れて行くか」との反応。
 これに私が対抗して、「それこそ大変な作業だよ。 それよりも私の考えだけど、義母の郵便物転送をやめる手段をとったらどうか? たとえば、不必要な郵便物をわざわざ転送する必要などないので、それを私が調べてみる。」と返答して、早速その作業を実施した。

 我が家では、我が家に転送されてきた義母宛の郵便物を年度毎に私が整理して保管してあるのだが。
 そのうちの昨年1年間の義母宛に届いた郵便物のうち、「転送」にて届いたその郵送先を調査してみると。
 意外にも重要郵便物とは義母住民登録地(義母の現在の住所とは異なります)である自治体の「介護保険課」のみであり。 その他の「後期高齢者年金課」や「税務課」に関しては、既に我が家へ郵便物が直接届けられるよう役所に登録変更手続きをしていることが判明した!

 「これ、『介護保険課』に電話して、今後は義母の郵便物を我が家へ郵送してくれるように手続きすれば、郵便局へ郵便物転送届け出を出さずに済むんじゃないの?」と私が訴えると。
 亭主も同意してくれて。

 早速、義母の住民登録地である役所の「介護保険課」へ私が電話を入れた。
 係員の方が親切に対応して下さり。
 その後ちょうど昼食時だったため、午後に折り返し電話をいただけるとのことで。

 その電話がきちんと午後にかかってきて役所の担当者がおっしゃるには、「本来そのような要望にはお応えできないのですが、ご本人の認知度等が高いことに鑑み、今一度対応策を模索してみます。」
 私側からも、「同じ役所内で、例えば後期高齢者年金課や税務課では既にこの件に関して対応して下さっていて、直接我が家への義母郵便物の到着が叶っています。」
 その我が疑問に応えて担当者氏曰く、「おそらくそれら両課とは、保険証をお届けしたり税金の還付を行ったりと区民の皆様との直接的な対応があるために、その対応に遅れを生じさせないとの便宜を図る目的で手段を取っていると推測します。 その点、介護保険課では単に保険料のお知らせを送付させていただくのみですので、そのような便宜を図ってきませんでした。 分かりました! もう少し時間を頂けますか? これから今一度介護保険課内で協議しまして、ご返答を差し上げます。」(そんなに大げさではなかったものの、要するにそういう趣旨の回答をいただいた。)


 そして、待つこと20分程。

 素晴らしい回答が、介護保険課より届けられた。

 「今後、原〇子さん(義母のこと)の郵便物は、直接息子さん宅にお届けいたします。」 
 (何と、どうやら区役所介護保険課の担当者氏は、わざわざ郵便局にまで電話を入れて現在の郵便物転送事情まで調査して下さった様子だ!)
 私が応えて、「それは、誠にありがとうございます。よろしくお願い致します。」



 最後に、原左都子の感想だが。

 相手が役所であれ何であれ、こちらの困難状況の現状等々を理性的に丁寧に伝えると、それに真摯に対応して下さる事実を改めて思い知った私である。

 それが全ての人間関係の基本であると、元々信じ日頃より行動している私だ。


親の学歴と子の未婚率

2022年06月21日 | 時事論評
 表題は、最近ネット上で見た一情報なのだが。

 原左都子としてはその記載内容を読まずして、何が言いたい記事なのか想像がつく。
 要するに、親の所得が高い家庭の子の既婚率は高くて、親の所得が低い家庭の子の未婚率が高い、と言いたい内容なのだろう。


 それでは早速、当該ネット情報の一部を以下に要約引用しよう。 

 生涯未婚率 「学歴」だけでこうも違う過酷な現実 親の所得低いほど子の未婚率が高いという衝撃
 (陰からの原左都子の小声だが)「ほら、やっぱりね!」😖 

 国勢調査では10年に1回、最終卒業学歴のデータを調査している。 先ごろ行われた2020年はその10年に1回に当たる。学歴別のデータと年齢別配偶関係のデータを掛け合わせると、学歴別の未婚率が計算可能となる。

 今回は、10年ぶりに更新された学歴別の未婚率についてみてみよう。

 男女で大きく異なる年齢・学歴別の未婚率


         

 各年代5歳階級別の最終卒業学歴別の未婚率を、それぞれの性別の年代別全体未婚率との差によって示したグラフ。個別の細かい数字ではなく、「高卒以下」「短大・高専卒」「大卒以上」の3つに分類した場合の、男女の違いの全体像。

 これを見ると一目瞭然だが、男女で大きく異なる。

 まず、男性の場合は、高卒以下と大卒以上が正反対の傾向となっている。つまり、大卒以上の学歴の男性は全体平均よりも低い未婚率で、結婚しやすい境遇であることがわかる。


           

           

 一方、女性では、高卒以下とそれ以外とで正反対になる。 男性同様、高卒以下と大卒以上は対照的だが、その向きは男性とは逆。高卒以下の女性の場合、20代での既婚率が高く、30代でいったん苦戦するものの、生涯未婚率である50歳以上はおおむね全体平均以下の未婚率に収まっている。
 大卒以上の女性は、ほぼすべての年代で平均以上の未婚率であり、本来最も女性の初婚数が多い29歳までの年齢において、大卒女性はむしろ最も未婚率が高い状態となってしまう。

 深刻なのは高卒以下の男性の未婚率

 それよりも、深刻なのは高卒以下の男性の未婚率が高いこと。 男性の未婚率は2020年には28%(不詳補完値)とほぼ「3人に1人は生涯未婚」という状況になっているが、それらは高卒以下の男性の未婚化の影響が大きいといえよう。
 言い方をかえると、大卒でそこそこの企業に就職して一定額以上の年収を確保できた男性は結婚することができたが、この30年も続く不景気の中で年収を増やすことができなかった高卒男性が未婚のまま取り残されたという見方もできよう。
 そして、これは、女性に関しても微差ながら同様に見られます。全体の上昇幅より大卒以上は少なく、高卒以下の女性の未婚率が全体を引き上げている。男女とも高卒が結婚難の時代になっている。 (途中大幅略)

 学歴による給料の差は今に始まったことではない。むしろ戦前のほうが、格差は大きかったと言える。

 親の所得が子の結婚に影響!?

 大卒と高卒以下とでは確実に年収格差が継続してきた。 それでも、昭和の高度成長期のように、高卒であっても真面目に勤め上げれば中間層としての年収が保障されていた頃は、まだ将来の安心もあったし、結婚にも踏み切れたことだろう。

 しかし、現代は、ただでさえ給料が上がらないのに加えて、知らないうちに税金や社会保障費がじわじわ上げられて、可処分所得は減り続けているという状態。そうした非消費支出のステルス値上げの被害をいちばん受けているのが、若い独身男女だ。

 本人の学歴によって将来の所得格差が生まれてしまうことは間違いのない現実だが、残酷なのは、生まれた両親の所得状況によって子どもの学歴はある程度決定づけられているという現実だ。

 親の所得と子の学歴は相関する。いい大学に行ける子は親が裕福だから行ける。本人の学力や努力だけの問題ではありません。どんなに優秀で医学部に行きたいと子が願っても、その学費を払う能力のない家の子は進学することは不可能だ。
 さらにいえば、親の所得は子の結婚にも影響する。
 
 経済構造上の問題が未婚化という形で顕在化

格差の話題では男女格差が取り沙汰されますが、性別以前にそうした親の環境による世帯格差も考えなければならない社会課題だと思う。

「結果の平等」はないが「機会の平等」はあるという人がいます。本当だろうか?

 機会すら与えられない子どもたちは現実に多くいる。進学したくてもできない、やりたい仕事にもつけない、結婚したくてもできない、そうした声にならない叫びが埋(うず)もれている。
 2世代に渡って50年前からくすぶっていた経済構造上の問題が、今まさに未婚化という形で顕在化しているとは言えないだろうか。

 (以上長くなったが、ネット情報よりごく一部を引用したもの。)




 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 この私自身は高学歴である事には間違いないが、決して我が親どもが(両親共々地方公務員だった故に収入は少なくなかったとしても)高学歴だった訳ではない。
 そのため特段子に対して教育熱心でもなければ、決して一生懸命学問を頑張って立派になれ!と子に言い続ける親でもなかった。

 今振り返ると私自身が不思議なのだが。
 そのような環境下で何故に私はこれ程までに学業に専念し、上京した後も医学分野及び教育分野等々の業務に頑張ってきたのだろう?

 それを、今考察してみるに。
 そんな我が親どもの教育に対する貧弱な姿勢に大きな反発心を抱きつつ。
(何で我がアホ親どもは、こんなにも優秀な私に期待しないのか!? 私は立派になってやるぞ! ただの人間で終わるものか!! )
 なる反発心が沸き上がり、(実際問題、郷里の医学部卒業までは親どもの経済力に依存したが)。
 郷里より単身上京後は、私自身の収入源を頼りに我が学問・職業を実行・成就した人生だったと振り返る。
 

 
 それにしても、この私など「もはや戦後ではない」なるスローガンが掲げれられたバリバリ昭和の時代に、この世に生を受けた人間だが。

 その頃よりも今の時代の方が感覚的、いや実質的に“貧困”が急激に進んでいる様相にまで落ちぶれている実態に、心が痛む思いでもある…


某グルメサイトの大失策

2022年06月20日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、2016.08に娘をいざなって出かけた台北のイタリアンレストランにて。)


 2022.06.19付朝日新聞「天声人語」より一部を、以下に要約引用しよう。

 お金を出すからには失敗を経験したくない。 そんな気持ちにうまくはまったのが「食べログ」をはじめとするサイトであろう。 投稿を下に点数が付くシステムのようだ。だから、東京地裁判決には驚かされた。 チェーン店故に不当に評価を下げられたとして焼き肉店が訴え、食べログ側に4千万円近い損害賠償の支払いが命じられた。 不明瞭な仕組みに左右されるなら、小さな点差を気にするのがばからしくなる。 (中略)
 店舗の店構えだけで判断するのはちょっと不安で、出張の折にはホテルの受付でおすすめの店を尋ねてみる。 もっとも、その方々がグルメサイトに頼っているのが現代なのだが。

 (以上、朝日新聞「天声人語」より、一部を要約引用したもの。)




 私事になるが。

 この天声人語記事で、我が台北旅行の際にとった行動を思い起こした。

 娘と2人で、3泊4日程の短期個人旅行に台北へ出掛けた時の事だ。
 二人で各種中華料理店を巡りそろそろそれに飽きた頃に、元々イタリアン好きの娘が言うには、「イタリアンが食べたい」。
 「よし、じゃあ最後の晩餐はイタリアンにしよう!」と私が応えて採った行動は、上記記事内の最後の部分同様だった。
 ホテルの受付でお薦めのイタリアンレストランを尋ねるのが一番手っ取り早いだろうと考え、それを実行すると。
 フロント係の方が親切に教えて下さった。 
 その時はパソコンでグルメサイトを検索するでもなく、担当者の口からすぐさま、お薦めの店の名が出た。

 これはかなり期待できそうだ! と娘と喜びつつそそくさと出かけた。


 本エッセイ集バックナンバーにても、再三紹介しているが。

 冒頭写真の台北のイタリアンレストランは、実に思い出深いレストランだ。
 とにかく店舗スタッフの対応が抜群だった。 我々には英語対応だったが、十分にコミュニケーションを取ってくれつつの歓待に恵まれた。

          

          

          
 これは、娘。 娘はアルコールを受け付けない体質のため、ビールとワインは、私一人で平らげました。

          

          

          

          

          

           

 コロナ禍が過ぎ去ったら、またもや娘を引き連れてこのイタリアンレストランを訪ねる目的で、台北へ旅立ちたくなったなあ。


 最後に表題に戻ると。

 安易にグルメサイトに依存するのではなく、特に旅行の際には現地の人々の直のアドバイスが大いに役立つかもしれない。 
       

「お金持ち体質」でなくていいから、酒はマイペースで飲ませてくれ!

2022年06月19日 | 
 冒頭より、表題に関するネット情報の一部を以下に引用しよう。


 
 金持ち体質と貧乏体質、お酒の飲み方はどう違う?
 僕らにとって食事は必要不可欠。「普段の暮らしをちょっぴり改善するだけで、豊かになれる」と思うと、工夫してみようという気になりますよね。
 他にも、お金持ちの習慣の中で気になるのが、「飲酒の仕方」ではないでしょうか。デキる大人であれば、賢く飲酒を嗜みたいものです。そこで、金持ち体質と貧乏体質のお酒との付き合い方について解説しましょう。

 ■お金持ちが深酒をしない2つの理由
 結論から言うと、金持ち体質は「お酒と上手に距離を置く」と考えられます。これには、長期的な理由と短期的な理由があります。 
 長期的な理由は、飲酒は「健康」を害するからです。 過去に「健康維持こそ最強の投資だ!」なんて話もしましたが、健康維持には金銭的なメリットが大きいです。なぜなら、健康を維持するだけでも働くことができるうえ、長寿により複利で資産を増やすチャンスが手に入るからです。
 つまり、健康を害する行為は貧乏体質まっしぐらといえます。 そんな中、「少しの飲酒でも発がんリスクは高まる!」なんて研究もあります。長い目で見ると、飲酒は金持ち習慣とは程遠いと考えられます。
 短期的な理由は、飲酒は「睡眠」を害するからです。国際アルコール学会(AAAS)の調査では、アルコールが睡眠の質を下げる可能性を指摘しています。
 お酒を飲んだ夜、「寝ている途中で目が醒めてしまった」「普段よりも早く目が醒めてしまった」という方も多いはず。これは、アルコールによって、睡眠が妨げられているのが原因でしょう。
 頭脳を鋭く保つために良質な睡眠は不可欠です。

 まとめると、「長期的に見ても、短期的に見ても、飲酒は貧乏体質につながるぞ!」といえるでしょう。 (途中大幅略)
 「それでもお酒が好きなんじゃー!」という方は、「好きに飲んでよいのは週に1回まで」など、ルールを決めてみてはいかがでしょうか。 かくいう僕自身、好きにお酒を飲んでよいのは「毎週木曜日だけ」と決めています。これだけでもメリハリが出てくるので、オススメですよ。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 原左都子の勝手な感想を述べよう。

 なんだ、これ!?!
 読んでいて、酒飲まずして反吐が出そうになったぞ!

 書いてあることは、あくまでも俗世間でよく言われている一般論に過ぎない。
 何ら目新しい記述もないばかりか、学術的な検証や最新医学よりの論文等々の引用も無い。

 そう思うのならばあえて自分のエッセイに利用せずに無視して放っておいてくれよ! と、この文章の著者である「僕」さんからバッシングが届きそうだが。

 「僕」さん、ごめんなさいね。
 かなり意地悪気質でもある私は、あえて引用させていただいたの。

 なんせね、こんな梅雨時の蒸し暑い日曜日午後の話題にもってこいなのよ。
 学術もの論評を展開する頭の冴えがすっかり失われてしまって。
 「酒」カテゴリーでも執筆がし易い餌をネットで探していて、「僕」さんの記述はその格好の材料だったの。 


 せっかく「僕」さんの記述を取り上げさせていただいたので、それに対する原左都子の論評を展開してみよう。

 一番気がかりなのは、論述対象を何故か「金持ち」と「貧乏」にステレオタイプに二分化したこと。
 これ私の経験から言うと、酒の飲み方の違いを比較・論述する際のカテゴリー分類として、大いに誤りであると指摘しよう。

 おそらく「僕」さんよりずっと長年この世を渡ってきている原左都子も、過去に様々な飲兵衛と渡り合ってきているが。
 酒の飲み方と「金持ち・貧乏」とは、そもそも相いれない概念だ。
 僕さんは、「デキる大人であれば、賢く飲酒を嗜みたい」とおっしゃるが、僕さんがおっしゃるところの「デキる大人」って、一体何ができるのだろう?? 
 この私も、その「デキる大人」との飲み会が多かったように記憶しているが、それら「デキる人」とて千差万別で個性豊かであり、それと並行して酒の飲み方も千差万別だったものだ。

 えっ? 原左都子は「デキる大人だったのか?」って。
 正直言って、酒の飲み方に関しては大いに劣等生だったことを認める。特に若い頃は。
 周囲に多大な迷惑を掛けまくって、それでも酒好きが功を奏して、そんな酒劣等生の私を必ず飲み会に誘って下さる方々が周囲に途絶えず。「原(旧姓は異なるが)って面白い奴だから、今夜も飲み会に誘おうぜ!」 との感覚かな。
 実に楽しく有意義な飲み会を経験しつつ、酒のお蔭で面白おかしく素晴らしい現役時代を謳歌してきている。

 そう言う意味では、むしろ“酒優等生”と言えるほどに、我が酒の思い出とは輝かしきものでもあるなあ。??

 
 高齢者域に達している現在に至っては。
 まさに酒とは、マイペースで飲みたいものだ。

 それを日々実行しつつ、高齢域に達している身として今後も我が健康体質を維持していこう!!