原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「絵むすび」朝日新聞 2022.07.16編

2022年07月17日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞 2022.07.16付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様、お待たせ致しました。

 7月15日(金)まで旅に出ておりまして、昨日は留守中の残務処理に追われ、新聞を見る時間が取れませんでした。


 やっと今朝先程、昨日の新聞を開いたところ「絵むすび」課題を発見し、5分程でその回答を実施しました。

 後程、解説を加えさせていただきます。



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 解説と言う程の内容ではないのですが。


 今回の「絵むすび」の場合難易度3にふさわしいレベルの課題だったため、アイテムの場所を確認したのみで、自ずと解答が叶った。

 まず着目するべきは、「ソフトクリーム」だ。 これは一番下の右からぐるりと線を回して結んでしまおう。

 次に「メキシカンハット」だが、「ソフトクリーム」の合間を縫うように結ぼう。

 ここで、残りの右側のアイテムの全体像が見えてくる。

 まず、「カクテル」を「ソラマメ」の横を通して結び。 その「ソラマメ」を右に行って右折で下までおろして結ぼう。

 残り二つの「掃除機」と「ソックス」を残りの空間を埋めるがごとく結べば完成だ。



 私事ですが、旅道中から下痢に苛まれていました。
 今朝も未だ本調子ではなく多少の後遺症がありましたが、この「絵むすび」を仕上げてから少し気分が爽快になり。
 その後、朝ご飯は久々に美味しくいただきました。 
 

オミクロン株「BA5」急拡大中の郷里への旅 ー お土産編 ー

2022年07月16日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、昨日旅先の郷里より持ち帰ったお土産類。)


 昨夜、3日間の日程にて実行した2年半ぶりの郷里への旅を終えて帰宅した。

 表題のごとく、オミクロン株「BA5」の全国規模での急拡大の中、空港や航空機内は空いているのかと甘い考えをしていたところ。
 なんのなんの、機内は満席! 空港も決して空いているとは言えない混雑ぶりだった。
 本日のニュースによれば、今日から3連休に入るため、家族連れ等で更に空港が混雑している映像が報道された。😱 
 今回の旅行はこの私も無謀だったと自覚しているのだが、国民の皆さんも同様なのだろうか??


 実は旅程の2日目の夜に下痢を発症して夜中にトイレに3度通う羽目となり、ほとんど睡眠できなかった。
 ところが3日目の予定が重要案件だったため、気合が入っていたのだろうか? その案件を十分にこなして昨夜無事に帰京したのだが。

 今日になって、再び下痢を再発する始末…😖 
 未だ体調不良を抱えつつの当該エッセイ執筆となっている。


 さて、冒頭写真に関して説明しよう。
 
 上の手ぬぐいと右下2点は、阿波踊り会館のお土産店にて購入したもの。

 左から2つめは「阿波踊りの絵葉書」。 柄がいろいろあったが、この「まんじ連」の絵が気に入り選択した。
 阿波踊りの女踊りとは、まさに手先の指一本一本の細かい動きまでが要求される繊細な踊りである(きちんと踊るには実に難易度の高い踊りです!)が、その表現が上手く描写されている。

                                   


 その左は、阿波しじら織のコースター。
 旅に出ると必ずやコースターを買う私だが、今回はこれを選んだ。
 郷里にいた頃、しじら織の帯を持っていて浴衣に合わせたりしたたのだが、どうやらあれは上京の際に持参しなかったようで、我が和ダンスを探しても無い。 
 
 その阿波踊り会館では普段観光客用に舞台にて「阿波踊り」を公演しているが、コロナ感染急拡大により私が訪れた14日は“公演中止措置がとられていて残念だった。
 やむなく阿波踊りミュージアムとお土産ショップを訪ねた。


 写真下の左側は。
  
 今回の旅程の一番最初に、医学部時代の故恩師のご実家である観音寺を訪ね、その奥様のマチ子さんに再会した。
 マチ子さんにお会いするのは2度目となるが、今回はコロナ禍感染激増もあり短時間の面会で切り上げた。
 前回もそうだったが、このマチ子さんは心配りが細かい方でお土産の選択が実にユニークというのか、まるで“母心満載”なのだ。(とは言っても、年齢は私より10歳程年上の方だが。)
 主たる菓子折り(これが重くて持ち運びが大変なため、後日親戚家へ持参し差し上げた。マチ子さん、ごめんなさい。)に加えて。
 「これは宿泊ホテルで食べて下さいね。」とおっしゃりつつ、お菓子類やミカン、それからコーヒー飲料等々を少しずつ沢山持たせて下さるのだ。
 この写真は、それらを私がホテルにて食した残りものだ。

 その隣の四国霊場一番札所・霊山寺の鈴と手ぬぐいは、ご自宅に程近いこともあり、私の郷里訪問に際してお土産品としてわざわざ購入しに行って下さったそうだ。


 という訳で今回の旅行でも郷里の観音寺のマチ子さんとの束の間の再会を果たせて、マチ子さんの心の温かさに再度触れさせていただくことが叶いました!

 (後に、観音寺訪問に関しては更なる詳細を語る予定でおります。) 
 

新型コロナオミクロン株「BA5」急拡大中に、無謀にも明日から旅に出ます。

2022年07月12日 | 雑記
 冒頭から、表題のオミクロン株「BA5」に関するネット情報を引用しよう。


 新型コロナウイルスの感染が急速に拡大しています。 7月6日は全国で1週間前のおよそ2倍にあたる4万5000人を超える感染の発表がありました。
 このうち東京都の感染確認は8341人で前日に続いて2日連続で前の週の同じ曜日の2倍を超えました。
 都内の感染状況を分析した国立国際医療研究センターの大曲貴夫国際感染症センター長は6月30日、再拡大の要因を4つ、指摘しました。

 「暑さ」や「人出」、「免疫」に加えて、オミクロン株のうち感染力が高いとされる「BA.5」というタイプの変異ウイルスに置き換わりが進んでいるとみられる点をあげ、「今後、急速なスピードで拡大する可能性は十分ある」としました。
  広がるBA.5 “感染増加に影響”

「BA.5」はオミクロン株の一種で、2022年2月に南アフリカで確認されたあと、5月以降、欧米を中心に広がり、WHO=世界保健機関によりますと、6月中旬の段階では、世界で検出される新型コロナウイルス全体の40%ほどを占めています。
 アメリカCDC=疾病対策センターによりますと、7月2日現在、アメリカで新たに報告された新型コロナウイルスの感染者のうち、オミクロン株の「BA.5」の割合は53.6%となっていて、このところの感染の増加に影響していると考えられています。
 イギリスの保健当局の6月24日の発表によりますと、「BA.5」はそれまで主流だった「BA.2」と比べて、35.1%速く広がっているとみられるということです。
 免疫逃れるBA.5 症状やワクチンの効果は
欧米などでは主流となっている「BA.5」のウイルスは国内でも広がりつつあります。東京都のモニタリング会議での報告によりますと、6月20日までの1週間で、「BA.5」が疑われるケースが25.1%を占めていたということです。わかってきた「BA.5」の特徴です。

 〇BA.5の性質
 「BA.5」はウイルスの表面にある突起で、細胞に感染する際の足がかりとなる「スパイクたんぱく質」に「L452R」などの変異が起きていて、免疫を逃れる性質があります。 (中略)
  ワクチン接種や感染によって得られた免疫が時間の経過とともに弱まってきていることも感染の広がりにつながっているとみられています。
 〇感染した場合の重症化
 感染した場合に重症化しやすいかどうかについてWHOは先月22日の週報で「BA.1と比べて変化しているという情報はない」としているほか、ECDC=ヨーロッパ疾病予防管理センターも6月13日の報告で、データはまだ限られているとした上で「重症度が増しているという証拠はない」としています。

 (以上、ネットよりオミクロン株「BA.5」に関する情報の一部を引用したもの。)



 私事に入ろう。

 私が郷里行の旅の予約をしたのは10日程前の事だった。
 当時のコロナ感染はさほどではなく、都内の感染に関しては2,000人/日程度を維持していた。
 その後あれよあれよと言う間に、オミクロン株「BA.5」感染を中心に、現在都内では6,000~8,000人/日の感染者を記録し続けている。

 それに伴い、今回の旅の第一目的だった実母の高齢者自立支援施設への立ち入りは禁止措置が取られ、その目的(実母の米国の孫への生前贈与金の送金)は果たせなくなったものの。

 他にも再会を約束した郷里の人達と是非お目にかかりたく、今回の旅を決行する決断をした。
 
 考えてみるに、都会で日々生活していると「ソーシャルディスタンス」と言われてみても、日頃訪れるスーパーマーケットやあるいは電車の中等々は常に混雑している。 
 それに比して我が過疎地の郷里など、常に「ソーシャルディスタンス」が実行されていると捉えてよいかと思えてきたのだ。😝 

 特に今回お会いする方々は、大きなお寺の主であったり、ご自宅が広々していたりする。
 それに甘えて訪問させていただいても許されるかと、身勝手に考えた。😖 
 もちろん、ご迷惑であったならば短時間の再会に留めるつもりであるし、お顔だけ拝見して退散しても差し支えはない。
 (幸い現在のところ、この方々からの面会拒否連絡は我が手元に届いていない。)



 とにもかくにも、明日私は郷里へ向けて旅立ちます。

 我が旅の流儀として、旅行中はネット世界から離れます。 (旅道中に必要なスマホ検索はもちろんしますが。)
 
 原左都子エッセイ集ファンの皆様とは、旅を終えた後の再会を楽しみにさせて頂きます。
 
 それでは、くれぐれもコロナオミクロン株「BS5」に留意しつつの私なりの郷里の旅を楽しんで参ります!!😃 
 

その発言、当該生徒を受け持った教員として失礼過ぎないか??

2022年07月11日 | 教育・学校
 冒頭から、今朝方見たネット情報の一部を以下に要約引用しよう。



 安倍晋三元首相を銃撃したとして、殺人未遂の容疑で逮捕された元海上自衛隊員の無職・山上徹也容疑者(41)。奈良で育ち、中学や高校の同級生からは「優等生」「努力家」とも評されていた山上容疑者だが、高校時代の恩師の感想は毛色の異なるものだった。

 山上容疑者は県内有数の進学校である県立高校に進学した。高校では応援団に所属し、野球部の応援で活躍していたという。同級生の一人が言う。
「卒業アルバムでは自分の将来について『わからん。』と素っ気なく書いていたことから冷淡な性格のように思うかもしれませんが、話し方は穏やかで暴力をふるったこともない。私たちの世代の野球部は春の甲子園に2回出場していて、応援団も忙しかったはずだが、成績も平均をキープしていて努力を重ねていたんだと思う。政治的思想を語ったこともなく、銃や軍事関係の話をしていたこともなかったはず。彼女がいたという記憶はないが、同級生からの人気はあった。いまでも事件が現実と思えない」
 同級生にとっては卒業から四半世紀近く経っても山上容疑者は記憶に残る存在だったが、教師からの見え方は違ったようだ。山上容疑者の恩師の一人である教諭は、こう話した。
「ニュースで名前を見ても、(山上容疑者が)自分が指導した生徒だと気付かなかったんです。20年以上前の話ということもあるのかもしれませんが……正直な話、マスコミからの電話で教え子だと知ったんです。報道では(山上容疑者のことを)『団長』と親しみを込めて呼んでいた教師がいたと言われていますが、何も思い出せないですし、分からないんです」
 思い出せないほど記憶に残らない生徒が、全国民に負の記憶を残す事件を起こしてしまった。

 (以上、ネット情報の一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 この私も高校教諭経験がある。
 公立底辺高校(失礼な表現をお詫びします。)及び私立女子高校にて教鞭をとったことがあるのだが。

 公立高校の方は生徒数が少なかったこともあり、私が授業を受け持ったクラスの生徒のほぼ全員を記憶している。
 今となっては忘却している生徒も、当時の写真を見れば顔と名前とどのような生徒だったかを思い出せる。
 
 片や、私立女子高校の方は非常勤講師の立場だったし、とにかくマンモス高校で一クラスの生徒数が50名と多く、残念ながら忘却している生徒の方が多いかもしれない。
 それでも今尚保管している当時の「教務手帳」を見れば、生徒の氏名をほとんど記憶していて、(この子美人だったなあ。 にぎやかな子だった。)等々と過去の記憶が蘇る。

 そんな私にして、退職後間もない頃に私立女子高生から受け取った1通の手紙に関して。
 その氏名は記憶にあるのだが、その子のお顔も人物像も思い出せない生徒から手紙を頂いた。


             
          
 これがその手紙なのだが。 (不鮮明処理をしています。)

 手紙の内容を紹介しよう。

 Dear 〇ちゃん(私の事)
 お元気ですか?! 忘れちゃったかなー 3B(クラス名)のvery pretty な○○ちゃん(自身の名)だよ。 真面目に授業聞いてたじゃん。(その割にはTESTは悪かった 涙涙)
 今は卒業して一人暮らししてます。
 もう1か月もたっちゃったんだよネ。 新学期になっても〇ちゃんの顔みれないなんて… 寂しい 涙
 But、絶対▲高まであいに行くから!! 忘れないでちょーだいよ。
 今後も学生なんだ。 3年間の夢の第一歩です。 (中略)

 〇ちゃん、応援してネ。 励みになるから。
 学コつらくなったら〇ちゃんにあいに行く!!
 絶対私の事、忘れないでネッ!!
 1年間だっけ? 商業法規(我が担当授業)楽しかった!!
 ありがとう!!
 いつまでもあの明るい笑顔と優しい〇ちゃんでいてネっ。

           FROM By ○○○○


 この手紙が届いた住所が当時住んでいた神奈川県の住居地となっているため、私は未だ独身だったようだが。

 その手紙の内容が教師冥利に尽きたし、本気で感激させてもらえたものだ。
 それにしても、どうしてもこの生徒が思い出せない。
 文中に「新学期になったら▲高まで会いに来る」との文面があるが。その時には既に私は当該高校の非常勤講師を退職していた。
 もしも本気でこの生徒が会いに来てくれたとしたら、本当にごめんなさい。

 それよりも何よりも、この女生徒のことがどうしても思い出せない事実こそに、実に参った。(教務手帳で氏名は判明したが、写真が手元に1枚も無いせいだが。)
 思い出せないままに手紙の返答を書いたとて、形骸的な手紙となってしまい我が心が届かないと判断した。
 そして、結局は返信をしないままに現在に至っている。
 それだからこそ、今尚この手紙のことが気にかかって仕方がない。


 
 最後に、話題を冒頭の引用文に戻そう。

 安倍氏を襲撃した犯人の高校時代の恩師が、メディアの取材に応えて「何も思い出せないですし、分からないんです」なる発言をしている。
 そう応える前に、少しでも襲撃犯である過去に接した男子生徒のことを思い出す努力を、この教師がしたのかが気がかりだ。
 まさに「教務手帳」を見るなり過去の写真を探すなりすれば、その片鱗に触れられたかもしれない。

 もちろんのこと、取材者側も無差別に過去に襲撃犯に接した人物に取材をするのも慎むべきかもしれないが。

 それでももしも私がその種の取材を受ける身となったならば。
 絶対的に私が指導した生徒たちの弁護に回り切る!!であろう、と想像するのだが…

 それ程までに、私が過去に指導した生徒たちは本気で実にいい子ばかりだった!


グランマ・モーゼス ー 素敵な100年人生 シリーズ ー vol.12(最終回)

2022年07月09日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼント「グランマ・モーゼス 素敵な100年人生」シリーズ 最終回 より、油彩「グランマ誕生の地」。)


          

 早速、解説文を紹介しよう。

 グランマ・モーゼスは1860年9月7日、ニューヨーク州グリニッチに生まれ、奉公に出るまでの12年間をこの地で家族と共に過ごした。 モーゼスの自伝「私の人生」には、母の手伝いや妹の世話をするほか、森を散策して花を摘むなど、当時の幸せな日々が綴られていた。 モーゼスはこの頃より、父ラッセルが子どもたちに与えた白い紙や、ブドウのしぼり汁などを用いて絵を描いていた。 グリニッチは、モーゼスの自然へのまなざしや創作の喜びを育んだ地といえるだろう。
 本作は、モーゼスがまもなく100歳を迎える1959年にグリニッチを描いたもの。 モーゼスは、このほかにも「グリニッチへの道」をはじめ、複数の作品に新しい記憶が残る故郷の風景を描いた。

 原左都子の感想だが。

 そうなんだ。 グランマ・モーゼスは、私が4歳の時に100歳を迎えたんだなあ。
 そして、100歳にして未だ絵画制作に取り組んでいたという計算になる。

 私事だが、我が4歳時(1959年)の頃にも私なりの記録的な出来事があった。
 それは、幼稚園にて生まれて初めて受けた「知能検査」にて当該幼稚園歴代一位となるIQ168を打ち立てて、周囲に驚かれたとの逸話だ。 そして園教諭が我が親どもに尋ねて、「家庭で何か特別な教育をしていますか?」 親が応えて、「何もしていません」。 実際な~~~んもせずに、手がかかる姉と裏腹に下の娘の私は一貫して放ったらかしの家庭だった。
 ただ、この逸話は後々の我が大いなる励みとなったことは確かであり、その自信が我が後々の学習・学問活動を支えたといってよいだろう。




 2枚目の作品は、「虹」。

          


 「虹」と聞いて思い出すのは、我がエッセイ集2013.10.03付「虹は人の心と心をつなぐ架け橋」と題するエッセイだ。

          
 (当時、我が家のバルコニーより撮影した、消えかかっている虹。)

 当該バックナンバーの一部を、以下に引用させていただこう。

 昨日の午前中は台風通過による雨に見舞われた東京だった。 午後になって雨がやむと同時に蒸し暑さが漂い始める中、私は所用のため外出した。 夕刻になり出先の建物より外に出ると、蒸し暑さが倍増し10月初旬とは思えないような不快な空気が我が身を襲ってくる。
 この時期に、まさか熱帯夜が到来せねばよいのだが…  などと危惧しつつ道を歩いていると、母親が男の子2人を引き連れた家族が程近い場所で同じ方向の道の帰りを急いでいる。
 この親子に関して説明すると、母と幼稚園児程の下の男の子は自転車に二人乗りし、小学校中学年程と思しきランドセルを背負った長男がそれを追うようにハーハー息づかいで小走りしているシチュエーションである。 
 長男と母親との会話が私の耳元に届いてくる。
 長男曰く「○○を買って欲しい」。  母が応えて曰く「そんなもの必要ないよ!」。
 長男君が息を切らしつつ母に訴えるその嘆願を端で聞いていると、単に“だだをこねている”と言うより、ある程度の論理性を持って母親にそれを購入する妥当性を訴えている様子だ。  にもかかわらず、あくまでも母親の回答は「No!」一辺倒の様子だ。

 その時である。
 空を見ていた長男君が叫んだ!   「あっ。虹だ!」

 私はすぐさま長男君の視線の先の大空を見上げた。

 長男君の叫び声に、一家の母も弟も自転車から降りて空に視線をやった。 「ほんとだ! わあ~、きれい!!」

 その後一家は3人一緒に大空の虹に見入ったようだ。 長男君の嘆願も一旦中止となり、一家は虹を眺めながら仲良さそうに帰り道を歩んで行った。

 いや、この虹が実に実に美しい。
 私も我が家への帰り道を急ぎつつ、反対方向から来る小学生女児団体が背面にあるこの虹に気付いていない風景に出会った。 よほど「ほら、みんな。素晴らしい虹が出てるよ!」と教えてあげたかったものの、女児達の大声での盛んなおしゃべりの程に圧倒され、言いそびれた……

 その後角を曲がり車の通りが少ない公道上で、私は携帯を取り出し滅多に見る事のない立派な虹を写真撮影する事とした。 そうしていると、やはり虹を背面に一人で下校中の小さい男児が私の撮影に気付いた。 (この人、何を写しているのだろう?)なる懐疑心の下、男の子はすぐさま私のカメラターゲットである背面空の虹を振り返り「すごい!!」の歓声である! 私も「すごいね!」と返すと、少年はほんの少し微笑み返してくれた。

 私の携帯撮影を背後で見ていた高齢女性が声をかけて下さる。「本当に綺麗ですね。」  応えて私曰く「こんな立派な虹を東京で見られる事は滅多にないですね」 それに更に応えて女性曰く、「さっきはもっと綺麗だったのですよ。そろそろこの虹も消え去るのでしょうね。」…

 いやはや、大都会東京に於いて行きずりの人々と会話をする機会など普段は皆無と言ってよい現世ではなかろうか?  特に下手に小学生程の小さい子どもに声をかけようものなら、不審者扱いされかねない現代の悲しい社会事情だ。
 にもかかわらず大都会における人と人との一期一会の心の触れ合いを、天空のいたずらにより突如出現した虹が一時もたらしてくれる昨夕の出来事だった。 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 
 画家グランマ・モーゼスの「虹」は1961年晩年に描かれたそうだが、彼女の最後の完成作とされているようだ。