(冒頭写真は、マチ子さんの一人住まいのご自宅でもある観音寺内部から前庭を眺めた風景。)
私が郷里の観音寺を訪れるのは、今回が2度目である。
以前にも記したが、私と観音寺のマチ子さんとの馴れ初めに関して今一度説明させて頂こう。
我が医学部時代の故恩師のご実家がこの観音寺だ。
中村先生とおっしゃったが、この方元々“天才肌”の人物であられた。
医師・医学博士にして、過去には国内初のインフルエンザワクチンの研究開発にかかわられた実績をお持ちだ。
我が学生時代にも、実に熱心に医学学問や実習をご指導頂いた。
そのお蔭をもって私は医学関連企業へ就職後も即戦力としての活躍が叶い、職場長の地位に就くことが叶っている。
その後年月が流れ、中村先生は81歳にて他界されるに至っている。
他界後、奥様のマチ子さんが中村先生の医学関連等々の研究業績をまとめられた小冊子を制作され、中村先生の生前の指示に従って中村先生ご指定の宛名まで送付されたとのお話だが。
実にありがたいことにその送付先に我が名が連なっていたとの事で、我が手元にもその研究業績集が届けられることと相成った。
その御礼を丁寧に述べた手紙をマチ子さん宛に送らせていただいたところ、すぐさまマチ子さんより返信を頂き、中村先生がご生前に私の話「優秀な学生だった」等々…、をよくされていたとの逸話をお書き下さっていた。
これに感激しない訳も無く、またもやその返信にて、「郷里帰省時には是非とも観音寺に立ち寄り、マチ子さんにお会いしたい」旨の我が意を述べさせていただいたものだ。
そして、マチ子さんとの初対面が叶ったのが2年半前の冬だった。
やたら馬が合う相手とは不思議と世に存在するもので、その訪問時にマチ子さんとはすぐさま意気投合し、話が大いに弾んだ。
「またお会いしましょう!」
とお互いに約束を交わした矢先に、コロナ禍に突入し…
そして今回は、2年半後のマチ子さんとの再会と相成った。
今回撮影した観音寺本堂内部の写真の一部を今一度公開しよう。
こちらは、本堂から眺めた外部の写真。
お寺の境内にある故中村先生のお墓。
観音寺周辺の風景。
ちなみに、現在はマチ子さんのご長男がこの観音寺の住職を継がれているとのこと。
残念ながら別居にてのご住職であり、普段はマチ子さん一人で広いお寺に暮らしておられ、「寂しい…」とおっしゃるお気持ちが我が心にも伝わる…
ちなみに、ご次男は私が卒業した地元の医学部にて学業に励まれ、大学病院の医師になられて現在バリバリにご活躍との事で超ご多忙らしく。 現役医師とは緊急出勤が多いため大学病院から5km以内に住まねばならず、ご次男とも別居中。
これまたマチ子さんの寂しさの根源であるようだ…