原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校の卒業式で泣こうが泣くまいが、その後の人生には何ら関係ないのだが…

2023年03月23日 | 教育・学校
  この原左都子は、昔から“涙もろい”。

 そんな我が“涙もろさ”は10代後半期の思春期頃に頂点に達していた。


 昨日(2023.02.22)、甲子園にて21世紀枠で出場した「城東高校」は我が母校なのだが。
 今では入試制度が総合選抜制に移行していて、生徒数における男女数がほぼ同数となっているようだ。
 昨日の甲子園大会での城東高校の活躍を、この私も垣間見たが。 応援団も含め、一見して男女数の偏りが無くなっている事実を把握した。



 以前、当エッセイ集内で公開した記憶があるが。
 この城東高校は、元県内一の名家子女が集まる「女学校」だった。
 その歴史的影響が未だ色濃く残る時代に、私はこの城東高校へ入学して卒業した。 
 私が入学した当時は、既に男女共学になっていたのだが。
 どうしても「女学校の残影があった時代であり、何と言うのか、その“女学校時代の名残が強い校風”が全く私に合わず…
 城東高校時代の3年間を、私は“死んだふりをして”過ごしたと言っても過言でないだろう。

 そんな城東高校の卒業を迎える頃、正直言って私は内心“清々”していた。 これでやっと私は、“女子世界”から解放されて自由奔放に私らしく生きられる!! がごとく。

 卒業式を間直に迎えた卒業式予行演習の時のことだ。
 卒業生代表の「答辞」を女子生徒が読み始めたのだが。 これが城東高校の歴史(上記参照)も交えた実によくできた内容だったのに、ついついホロリとさせられてしまった。
 予行演習であるにもかかわらず、私はおそらく会場内の誰よりも答辞を聞いた感動で“大泣き”した。 それにつられた周囲の女生徒も泣き始めて…
 教室へ帰って後も未だ感動冷めやらずに泣いていた私に、友が言った。「〇ちゃんが大泣きするからつられたよ」

 この時の我が心情を説明するに、そもそも在校中ずっと城東高校が嫌いだった私故に、卒業するのが辛いなどとの殊勝な心情は一切無かった。 ただただ答辞内容の素晴らしさに感動しただけの話だ。

 さて、本番の卒業式に於いても、同じ答辞が繰り返された訳だが。
 二度聞いても心に染み入る答辞で、またもや“大泣き”した私だ。

 さすがに答辞も二度目ともなると、予行演習の時に比してこれを聞いて泣く生徒は激減していた。 そんなことは関係なく、とにかく泣けた私だった。


 表題に戻そう。

 かと言って、城東高校卒業に対して熱い思いがあった訳でないどころか。
 あの(私には全く合わなかった)高校から無罪放免される事態に清々いていたものだ。
 実際、私が生涯に於いて一番“違和感”が強かった所属組織は、かの城東高校だったと今でも言い切れる。

 表題に戻すと、卒業式で泣いたからと言って、決してその学校に思い入れがあった訳ではないんだなあ。



 最後に、無理やり昨日の春の甲子園大会に出場した現在の城東高校に話題を振ると。

 部員13名にして、実に良くまとまった野球チームであったと感動させてもらえた。
 相手チームに何らの遜色も無く初戦を正々堂々と闘った、と拍手させて頂きたい。

 今後の城東高校野球部のご発展を、陰ながら応援申し上げます!!


今時の子どもは電話を使わないらしい

2023年03月21日 | その他オピニオン
 かく言うこの原左都子も、昔から“電話嫌い”だった。


 とは言っても 既に高齢域に達している我が人生に於いて、「電話」というものを使用し始めたのは、子ども時代の比較的大きくなって以降だ。

 過疎地出身の我が小学生時代を振り返るに、自宅に電話を引いているのは商売をしていたり、金持ちの家と相場が決まっていたものだ。
 当時は、それらの家に電話が掛かってきたのをわざわざその家の方が伝えに来てくれて、そのお家まで伺って電話をさせてもらったりしたものだ。

 サラリーマン家庭(我が家の場合は両親が公務員だった)である我が家など、家に電話を引いたのは私が中学生の頃だった。
 その当時から、特段の電話好きでも無かった私の電話利用度合いは低かった記憶がある。


 
 朝日新聞2023.03.19付「天声人語」は、その“電話”にからむ話題だった。
 さっそく以下に一部を要約引用しよう。

 昨年の小中高生の自殺者が514人だったという厚労省の発表にやりきれない思いがした。 統計のある1980年以降で、最も多い数値だ。
 学業不振や進路の悩み、友達や親との不和といった原因から見えるのは、将来への不安と支える人の不在だ。 
 相談する場だ必要だが、その窓口が電話主体であることについて、某NPOが貴重な指摘をしている。 今の子どもは電話を使わない。 友人との会話もSNSなのに、深刻な悩みを電話で打ち明けられるのだろうかと。
 求められているのは声より、チャットによる文字のやり取りなのだ。 子どもの伝達手段が進化しても、受け止める大人が追い付けているか。 希望が持てる社会に出来ていないことにも、責任を感じる。

 (以下略すが、以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)



 そうだよなあ。
 既に電話を頻繁に使用する文化が子供たちの間に無いにもかかわらず、確かに、「自殺防止相談」等々は未だにその受け皿として電話を使用している。
 その時代錯誤措置は一体どうしたことなのだろう?
 おそらく、受け手である大人側の都合なのであろう。 どう贔屓目に見ても、電話口に出るおばさん、おじさん達が、流暢にチャットをこなせそうもない。 😖 😱 

 本気で子供たちを救いたいのならば、ここは本気で「自殺相談」等の在り方を見直すべきだろう。
 相談員側こそが現代の子供たちに合わせて、チャットでテキパキとやり取りできたならば、増え続ける子供の自殺者を激減可能となるのかもしれない。


 
 最後に原左都子の電話にまつわる余談を書かせて頂こう。

 冒頭にて公開した通り、この私は子供の頃から“電話嫌い”である。
 この感覚は今尚続いていて、特に自分にとって重要性の低い人種からの電話を毛嫌いしつつ生きてきている。
 比較的近い過去の事例を語るならば、例えば一人娘の大学受験時に多発した予備校・塾等々からの勧誘電話ほど鬱陶しいものは無かった。
 そんなものに一切依存せずとて、親の私がずっと娘の“サリバン業(お抱え家庭教師)”を全うしていたにもかかわらず、(私よりも学力レベルの低そうな塾等の)くだらない勧誘の実に鬱陶しかったこと!
 あまりにもうるさくて、電話口で大喧嘩を売ったこともあった。(相手も負けていなかったが。)😵 

 近年では、認知症かつ難聴の義母の電話が正直言って実に迷惑だった。
 これに関しては、義母側が「(嫁である)私の声が電話では聞こえにくい」とのことで、電話対応を無罪放免してもらって清々している。

 逆に、好意を抱いている相手の電話の声が“美声”だったりするパターンもあるのだが。
 これには無条件にうっとりさせられたりする身勝手な私だ。😜 

 
 何はともあれ、子どもの命がかかっている相談窓口などの場合は、“今時の子どもが電話を使わない” との習性に即座に対応できる大人側の本気の体制作りに期待したいものだ。
 

選抜高校野球会場で 選手が相手のエラーに“ペッパーミル”は、やっぱり失礼かも

2023年03月19日 | その他オピニオン
 現在、春のセンバツ高校野球大会が甲子園球場にて開催されている。

 余談だが。 今年の春の大会には我が郷里の出身高校が“21世紀枠”にて出場するとの事で、多少の興味を抱きつつその開幕を楽しみにしていた。
 (参考だが、その郷里の我が出身高校は県内一の“進学校”であるにもかかわらず、わずか部員13名で県大会を勝ち抜きベスト4入りをしたとの話題もあるようだ。 野球強豪校が多い県内でのその業績は、捨ておけないかもしれない。 ただ甲子園大会ともなればそう甘くもないだろうと考えつつ、一回戦を密かに楽しみにしている私でもある。)


 さて、話題を表題に戻そう。

 今朝方見たネット情報を以下に引用しよう。

 青学大・原駅伝監督、センバツの『ペッパーミル注意騒動』に私見 「いまだにこんな管理者いるんだ⁉」高校球児にエール

 青学大の原晋駅伝監督が18日 自身のツイッターを更新。この日開幕した第95回センバツ高校野球大会(甲子園)で、試合中にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表で話題のペッパーミル・パフォーマンスを行った選手、チームを審判員が注意したことについて私見をつづった。

 開幕試合だった東北(宮城)―山梨学院戦の1回に、敵失で出塁した東北の選手が一塁ベース上でミルを回すパフォーマンスを行い、ベンチのナインも同じポーズで応えた。イニング終了後に一塁塁審から注意され、以降は行わなかった。

 原監督はこの一件を報じるネット記事を引用した上で、「いまだにこんな管理者(審判)いるんだ⁉ 世の中個性を大切にしようと言っているのに、他者を侮辱行為してないパフォーマンスに対して制限するなんて不思議でならない」と指摘。そして「負けるな高校球児! 高校野球は君たちの為にあるのだから!」とエールを送った。

 この騒動については試合後からネット上でも賛否が飛び交い、「大目に見てもいいと思う」、「時代錯誤」など球児を擁護する声や、「相手のエラーでペッパーミルは煽りでしょ」、「リスペクトに欠けている」など反対する書き込みも見られた。

 日本高野連は「不要なパフォーマンスやジェスチャーは従来より慎むようお願いしてきました。プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です」などの見解を示している。


 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 原左都子の感想に入ろう。

 青学大・原駅伝監督ねえ。 
 いろんなところに首を突っ込んできて、御自身のご意見を述べたい方のようだ。😖 😷 

 で、原監督としては、「センバツ試合の途中で出場選手が一塁ベース上でミルを回すパフォーマンスを行い、ベンチのナインも同じポーズで応えた。イニング終了後に一塁塁審から注意された」 との“事件”に関して。
 「「いまだにこんな管理者(審判)いるんだ⁉」と、それを注意した審判批判を展開している訳だが。

 という事は、もしも箱根駅伝大会で原監督率いる青学チームが他チームより“ペッパーミル・パフォーマンス”を受けて中傷されようが、どんどんやって下さい! って訳ね???



 今回の、そのセンバツ試合中の“ペッパーミル事件”とは、相手チームのエラーに対しての誹謗中傷目的で行われたとのふしもあるようなのだが。 
 そうなると、大きく意味合いが違ってくるのではあるまいか??

 私がWBC大会にて垣間見る日本チームによる“ペッパーミル・パフォーマンスとは、あくまでも自チームの素晴らしい活躍に対してなされているパフォーマンスと判断している。
 それだからこそ、これ程の世のプラスの反響を誘い世界中で流行しているのではあるまいか?

 そもそも、高校野球大会とは未成年(WBCにも未成年選手が出場して素晴らしい活躍を成しているが)同士の試合である。
 原左都子の感覚としては、そんな年端も行かない高校生同士の競技中に、相手のミスをせせら笑うがごとくの“ペッパーミル・パフォーマンス”は不要と判断したい。

 との理由で、今回の選抜大会内審判者の“ペッパーミル・パフォーマンス”行為への注意”に関しては、正当だったと結論付ける。


 何と言っても、あの“ペッパーミル・パフォーマンス”とは、やっぱり世界を席巻した選手達がやるからこそ値打ちがあり、公の場での披露が許されるパフォーマンスであるような気もする。


 (途中 大文字になっている箇所がありますが、単に編集画面の誤反応であり、原左都子と致しましては何らの意図もございません。) 



都内 桜の開花と野球少年

2023年03月17日 | 雑記
 (冒頭写真は、本日2023.03.17午後 都内某所で撮影した桜の一光景。)




 本日午後、私は左膝回復目的で自宅からある程度近い場所へ散歩に出かけた。


 思ったよりも桜の開花は早かった様子で、我が印象では既に“五分咲き”程度まで自宅近くの桜は開花していた。



 そんな桜日和の午後に、自宅から1キロ程の桜並木を歩いて辿り着いたのが、冒頭写真の公園だ。

 ちょうど可愛らしい少年二人がキャッチボール練習をしていた場面を、桜を背景に撮影させてもらった。


 これ、写真撮影ド素人の私としては“上出来の桜写真”と判断して。

 帰宅後、早速我がエッセイ集にて公開させて頂きました!


90代同士の “お友達”

2023年03月16日 | 人間関係
  昨日、久々に義母が暮らす高齢者介護施設を訪れた。

 
 義母が入居して以来既に10年以上の年月が流れている。 要するに、義母はこの施設でその年月ずっと暮らしている計算となる。


 ここで原左都子の感想を言ってもしょうがないことは承知だが。
 幼少の頃から“大の集団嫌い”で名を馳せているこの私が、まかり間違っても将来この手の介護施設へ入居することなど無いだろう。

 思い起すに、初めて入園した幼稚園時代からそうだった。
 親に入れられたから仕方なく真面目に通ったものの、何の良き思い出もない。
 あっそうそう、一番の思い出は4歳児に園内で受けた「知能(IQ)検査」で開園以来最高得点のIQ168を記録したことだ。 (何度も公開して恐縮だが…)
 あの時の我が脳内の光景を、今尚忘れることはない。
 とにかく、試験用紙が配られた直後から「こんな面白いものはないなあ!!」と大感激だったものだ。 子供心に、(何でいつもつまらないことばかりさせられるのだろう? こんな面白いことをさせてくれたらいいのに。)と思いつつ、一人ノリノリでどんどん解答していると。 
 「勝手に先に進んじゃダメ!! 1ページ終わったら待ちなさい!」と教員からお叱りを受けた。

 小学校以降も、私はずっと学校嫌いだった。
 義務感のみは人並み以上に強かったため、真面目に通ったものの。 小学校時代など、学校が嫌で嫌でその思いから給食がまずくてまずくて、全く食べられないに等しかった。 (昔は給食を残しても許されたため助かった。)
 まあ、中学生以降は私自身も大人になりつつあり、学校現場で自分なりの存在意義を見出せるようになって。 とにかく学校は、ほぼ皆勤で真面目に通ったことには間違いない。


 義母に話題を戻すと。
 高齢域に達した早い時期から「先々は介護施設で暮らす」と宣言し続けていた。
 それを実行に移したのは、80歳過ぎた頃だっただろうか。
 義母が施設入居早々に、面倒を見るはずだった義理姉が63歳の若さで膵臓癌にて壮絶死したため。 その後の保証人を我々義母の長男夫婦が引き継いだ。
 その後ずっと、施設暮らしの義母の“保証人業務”が続いている。

 高齢者施設の運営体制も、時代の流れと共に移り行き。
 経営者が大手損保会社にバトンタッチして以降は、施設運営も相当合理化されて。
 今では、以前よりもかなりラフな介護体制となったと言えるだろうか? これは保証人にとってはありがたい。
 また、コロナ禍の影響で保証人が定期的に召集されることも無くなり、今では義母からの要請が無い限り、特に私は施設へ行くことも無い。


 そんな折の、昨日の施設訪問だったが。

 久々に面会した義母がとても嬉しそうで、声もいつもより力強い。
 「骨折してる身で来てくれてありがとう!」を、私相手に繰り返してくれる。
 それにしてもやはり、認知症故に義母の各種項目に於ける“忘却ぶり”は凄まじいのだが…
 例えば現在我々夫婦が管理している義母の「不動産貸付業」など、その実態の程を総合的に捉えられないのはやむを得ないとしても。 それならば、既に我々夫婦が管理して久しいのだから、すべてを任せて欲しいと思っても必ずや義母が尋ねるのが「あれは一体どうなってるの??」だ。 
 我が亭主も優しい奴で、必ずその解答を義母に告げる。 
 今回も、義母死後の相続税等々を計算してそれを義母に伝えたのだが…
 (これは我が感想だが、明日になったら義母はまたそれを忘却してるなあ…)である…



 そんな中、今回の義母との面談にて “救い”もあった。

 それぞ、表題に掲げた「義母の新たな“お友達”」だ!
 今回義母から紹介されたのは、お隣りの部屋に最近暮らし始めたとの“90代程の義母と同年代の女性だ。
 こちらからもご挨拶申し上げたら、ご丁寧なご返答を頂戴した。
 一見して、義母同様に多少の認知症状を抱えていらっしゃる様子だが、とにかく物腰が上品な女性だ。
 
 参考だが、義母が暮らす介護施設は施設内入居者「死者」の報告は同居者に対して全くしない方針だ。 そのため、義母も施設内でお付き合いしていた方々の「死亡」をまったく心得ていない。

 それが功を奏していると私は考える。
 お年寄りとて新たな友を求めるべきだし、それが義母に叶っている事実は施設のその配慮(施設内の死者を一切公開しない制度)故だと感謝申し上げている。

 とにかくお義母さん、良かったじゃないですか!

 新たな“お友達”と仲よく施設で楽しんで下さいね!!