原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

藤井聡太八冠は、5歳で出会った将棋を「使命」と言ったらしい

2023年10月15日 | 自己実現
 冒頭から、原左都子の馬鹿話で申し訳ないが…


 それを言うならば、この私など 幼稚園児だった4歳時に初めて出会った知能検査が「使命」だったと言えるかも?!?!?

 この話題ばかりエッセイにて公開していると、原左都子ファンがどんどん後ずさりしていく気もするのだが… 😖 

 ただ、あの4歳時点での「知能検査」の日の光景が、未だに脳裏に鮮明に浮かぶ私だ。
 幼稚園ではいつも4人程のグループでお机に座って、先生に言われるがままに折り紙を折ったり、ハサミで切ったり。 あるいは お歌を歌ってお遊戯をしたりする日々なのだが。

 あの日ばかりは全然違った。
 一人一人が別々に机に向かって腰かけて、その一人一人に試験用紙が配布された。 そして、先生が言う。 「これからこれをやります。 1ページづつ声掛けをしますので、声がかかったら解答をやめて鉛筆を置いて下さい。 次のページは先生が合図するまでめくらずに、そのまま待ってください。」

 そして、その検査は開始した。 
 これが、私にとって実に面白いこと!!
 もう夢中になってしまい、先生の声掛けの合図など聞こえない程に集中してどんどん先に進めていると。 
 先生が私のところまでやって来て、「1ページずつ声掛けをしたら、一旦解答をやめなさいと言ったでしょ!! 一人でどんどん次のページへ進んではダメ!!」 かなり厳しいお叱りをいただいた。
 仕方ないのでその指示に従って、1ページが仕上がっても次へは行かず時間待ちをしたものだ。

 そしてその「知能(IQ)検査」結果が返ってきた。 この私がクラスで1番どころか、幼稚園開園以来最高得点の168点を樹立したそうだ。
 園長がその旨を親に告げて「何か特別教育でもしていますか?」と問われた親が、「何もしていません」と答えたとの逸話だ。
 親の言う通り 特別教育どころか、その後も子どもは祖母に任せきりで何ら教育熱心でもない親どもで、小さい頃から放ったらかされて育った私だ。 (参考だが、父方祖母は実にしっかりした頼りになる人材だった。この祖母の影響は後々大きかったかもしれない。)

 それでもその「知能検査逸話」は、我が幼心に確かな自信となって刻み込まれたものだ。
 (たとえ親に放ったらかされたとて、私は一人で頑張れる子だ! 必ずや一人で頑張り続けて何らかの成功を掴むぞ!!) そのような強い決意が我が内心に確固と育成されたと言えよう。
 参考だが放任主義(といえば聞こえがいいが要するに“放ったらかし”)の親の元に育つ子供とは、主体性が育成され易いとの利点があるようにも思う。 郷里を捨て親を捨てて上京して職業人となった身として、それを証明できた気がする。



 話題を、藤井聡太八冠に戻そう。

 2023.10.12付朝日新聞「ひと」欄 「将棋界初の八冠独占を達成した 藤井聡太さん」と題する記事の一部を、以下に引用しよう。

 5歳で出会った将棋を「使命」と言った。 14歳で将士になってから7年、盤上での超人的な力で多くの栄光を手にしたが、柔らかな横顔を持つ青年でもある。 (中略)
 2022年、五冠を得た翌日。 「将棋はとても奥が深いゲームでどこが頂点なのか全く見えません。まだ森林限界の手前です」。(中略)
 11日、将棋界初の八冠を達成した。20年の初タイトルから3年。 令和で最も輝く人物は誰かと問えば必ず候補者に入る21歳は、八つの頂を振り返ったりはしない。 雲の上に広がる青い空を見ている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 そうだよなあ、朝日新聞記事がおっしゃる通りだ。

 藤井聡太八冠は、いつも雲の上に広がる青い空を見ておられる!!


 それに引き換え、この原左都子。
 高齢域に達した現在尚、未だに自分自身の足元ばかりを見ていないか??? と反省しきりだ… 😱 😫 😷 
 

宅配便の届け方(受け取り方)が多様化した時代

2023年10月14日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2023.10.13付朝日新聞夕刊漫画「地球防衛家のヒトビト」より転載したもの。)


 この原左都子も、漫画の主人公と同類の人間だ。
 こちらが宅配便の届け時間を指定したのならば、その時間帯に自宅に待機しているべきなのは当然と考え、いつもそうしている。
 
 これが確かに届け時間を過ぎても届かないことも稀にあり、多少苛々するのだが。 まあ大抵の場合は、多少遅くなっても予定時間を1時間以上超過することは無いものだ。


 我が家の場合、私も亭主も「ネット通販」を頻繁に利用している部類だろう。
 特に我が亭主など、通販大手の「アマゾン」ファンなのだが。 これの利用度合いが物凄い!!  日々、2,3個のアマゾン通販が到着する。😱  一体何をそんなに購入しているのかと言えば、一番多いのが「音楽CD」だ。    婚姻直後期に驚かされたのだが、我が亭主は大の音楽好きで書斎のほとんどがこのCD置き場が占めていて、その数たるや 一時一万枚を超えていただろうか?? 引っ越し時に、「ご主人は音楽家ですか??」と問われた程だ。 私の命令でその数を戸棚に入る枚数に減らさせて以降も、増殖は続くが…

 そのアマゾン通販到着時間が、一時私の昼寝タイムと重なっていて難義させられた。 私の昼寝はリビングのソファが定置なのだが、ちょうどウトウトし始めると、必ずチャイムが ♪リロリロリロリロ…♪ と鳴り始める。 ついに堪忍袋の緒が切れた私が「時間指定するなどして、昼寝中のアマゾン通販到着を避けよ!!」と亭主に指導したものだ。


 その後 世の通販配達方式の多様化に伴い、アマゾン通販の配達時間が午前中にズレたようだ。

 今では「置配」なる、消費者観点から言わせてもらうと。 まるで盗まれることを前提としているがごとくの配達方式が正当化されているのに驚かされる。😨 
 あるいは、宅配ボックスや「時間指定配達」も既に一般化していると言えよう。



 その「時間指定配達」をテーマとした漫画が、冒頭の2023.10.13付朝日新聞 しりあがり寿氏作の作品だ。

 これ、私も登場人物同様に、自分が指定した配達時間には必ず自宅にいる主義である。 おそらく大多数の人が常識として同様の行動を採っておられることだろう。


 昨日私宛に届いたアマゾン通販にて購入した「靴」の話題に変えよう。

 アマゾン社の場合、他社と比較して注文から配達までの日数が短いのが特徴と捉えている。
 そのアマゾンに注文していたパンプスが、注文の次の日に届けられようとしたようだ。
 ところが、その日はちょうど私は高齢者施設にて暮らす義母の元に訪れていた。 帰宅してみると、アマゾンとしては珍しいことに「不在者配達票」がポストの中に入れられていた。
 いつもならば総合玄関1階の宅配ボックスに入れてくれているのに、今日はどうしてそうしてくれずに持ち帰ったのだろう??? と不思議に思っていると、亭主が「もしかしたら総合玄関の宅配ボックスの位置が分からなかったのかもしれない」との回答だ。 確かに我が集合住宅の場合、一見して分かりにくい場所に宅配ボックスが設置されている。 あるいは、宅配ボックスが満杯で持ち帰ったとの事例も過去にあったが。

 とにかくやむを得ず、ネット上から再配達を指定した。
 そうしたところ、アマゾンの場合その処理も素早いことに感動させられた!
 私がネット上で「再配達」の詳細を入力するなり、その画面が私が指摘した配達スケジュールを提示してくれた。

 そして本日、その私が指定した時間通りにアマゾンが再配達のパンプスをマンションの我が部屋まで持参して下さった!
 (参考ですが、このパンプスは11月に郷里にて開催予定の我が医学部同窓会に出席するために購入したのですが。 左脚が未だ完治しているとは言えない身にして、ちょっと無理があるかも… やっぱり その日も運動靴で行くべきか?? なる、身勝手な理由で意気消沈している私です…😰 )


 
 話題を元に戻そう。

 とにかく、今現在の通販業者はその厳しい配達体制に於いて弛まぬ努力を重ねていることを痛感させられる。

 それに合わせて それを受け取る顧客側も、なるべく通販業者の足を引っ張らないような受取り努力を実行するべきと私は考え、日々そのように行動しているつもりだ。
 

認知症・難聴義母との久々の再会

2023年10月12日 | 人間関係
 昨日、表題の義母が暮らす高齢者介護施設を訪れた。


 昨年秋に私は「左膝複雑骨折」との大怪我をして手術入院の身になったせいで、義母とは久々の再会だった。

 義母は認知症がかなり重い割には、実の息子の亭主はもちろんのこと、嫁の私や孫の我が娘の事に関する名前をはじめとする過去の記憶が消えることは無い様子だ。

 昨日は亭主一人が施設へ行く予定だったのだが、我が左足の具合が比較的良さそうなためサプライズで一緒に行くこととした。

 施設の玄関に到着すると、玄関先まで義母がお出迎えしてくれた。
 サプライズでやって来た嫁の私を一目見て喜んでくれて、満面の笑みだ!

 私の診断では、義母の認知症はかなり重症とみている。
 世の情報では、難聴になったお年寄りの約4割に認知症状が出るとの研究結果もあるようだが。
 義母の場合も、まず難聴を患っただろうか。
 その難聴が重くなるに比例して「認知症」を発症し、それが年々重度になっていく感覚がある。

 
 親族として困惑するのが、難聴対策の補聴器を義母がよく無くすことだ。

 当初から最近まで、ずっと耳鼻科に通い高額の補聴器(一つにつき20~30万円の費用が発生する)を使用していたのだが。 あまりにもよく無くすし、装着が現在の義母の能力では困難なため、亭主の考えで市販の装着が簡単で比較的安価な補聴器に切り替えた。
 ところが、これも次々無くして…
 いくら安価と言えどもこんなに頻繫に無くされては、たまったものではない。

 昨日も、その対策を亭主と考えたのだが。
 結果としては、今後も市販の安価(とは言っても一つ数万円の価格だが)を付けさせるしか仕方がない、との結論に至った。


 昨日、久々に義母と再会して私が感じたのは。

 現在92歳にして、難聴と認知症以外は何らの疾患も無いに等しいし、とにかく本人が元気であることに驚かされた。
 そして 息子の亭主の事は当然ながら、嫁の私と孫の我が娘に関する記憶がクリアなのだ!!
 孫の我が娘が昨年家から出て独り立ちしている事実もよく把握できていて「〇〇ちゃんは、一人で頑張っているのね?」と尋ねてくれる。 「〇〇は母の私も驚くほどにしっかりしていて、一人で稼いで一人で実に頑張っていますよ!」と応えると、「〇〇ちゃんに会いたいなあ」との義母の嘆願だ。
 
 帰り道に亭主と話し合った。
 「義母があれ程私に会えたことを喜んでくれて、孫の〇〇にも会いたい!と訴えるのだから、近いうち(年末年始あたり)にでも施設に連れて来ようよ。」 との我が提案に、亭主も同意した。



 晩婚にて亭主と婚姻後、義母には実にお世話になった。
 新婚の二人にタワーマンションをプレゼントしてくれたのは、この義母だ。 
 それを裏切るかのように、住み心地が悪いからと我がまま夫婦は とっとと別物件に買い替えた事実に。 義母は一言の苦情を言うでもなく「貴方たちが住みやすいところに住みなさい」と応援すらしてくれたものだ。

 「孫の面倒は一切みません!」宣言をした義母だったが、経済面ではどれ程のバックアップをしてくれたことだろう。

 そして、義母自身は一人で義父を見送った後、自分の意思と資金で高齢者施設へ入居した。



 現在は難聴と認知症に苦しみつつも、比較的元気に施設暮らしを続けている義母を久々に訪ねた嫁の私との再会を。
 あれ程までに喜んでくれる義母を、何らかの形で大事にしてあげたいものだ。
 

今年のノーベル化学賞は「量子ドット」技術開発者が受賞

2023年10月10日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、2023年ノーベル化学賞に輝いた「量子ドット」研究者3氏。我がパソコンの写真が新バージョンとなり、その扱い方が未だに理解しにくく、写真を適切に処理不能の段階であることをお詫びします。)


 10月4日、今年のノーベル化学賞受賞者が発表された。
 冒頭写真の3氏がその受賞者である。


 2023.10.05付朝日新聞記事より、以下に受賞内容を紹介しよう。

 ものの性質はふつう、素材で決まる。 たとえば10円玉が赤茶色で電気を通すのは、銅などでできちるからだ。 だが、100万分の1を意味する「ナノメートル」単位の小さなものだと、その性質は素材よりも「大きさ」で決まるようになる。
 超微小な世界を支配する「量子力学」による効果で、理論的には20世紀前半から知られていた。 ただ、そこまで小さなものを作る技術が無く、効果を実際に確かめた人はいなかった。
 エキモフ氏は1980年代初め、ガラスの色は、ガラス内部に含まれる塩化銅の粒子の大きさによって決まることを見つけた。 ブルース氏はその数年後、粒子が放つ光の色は、粒子の大きさによって変わることを証明した。
 ただ、粒子の大きさを狙い通りに作ることは難しかった。 解決したのがバウエンディ氏だ。 材料を液体に溶かすと、液中で粒子の結晶ができ始める。 このとき、液体の温度が高い状態を長く保つほど、結晶が大きく育つことを見つけた。
 3人が育てた量子ドットの技術は今、コンピューターやテレビの画面にも使われている。 LEDライトの色を調整することで、電球のようにやわらかくしたりすることにも貢献している。
 将来は、量子コンピューターや次世代の太陽電池にも役立つとも期待されている。 医療分野での応用の可能性もある。 細胞や臓器を画像化したり、癌の組織を追及したりするのに使えるのではないか、と期待されている。
 賞金は1100万スエーデンクローナ(約1億5千万円)で、3人が3分の1ずつ分ける。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の感想に入るが。

 そうか、今回のノーベル化学賞受賞は、実際に大いに世の役に立つ発明が受賞したんだなあ。

 上記朝日新聞よりの引用文中にも書かれているが。
 過去に於ける LED研究にもノーベル賞が送られているが、やはり化学分野を含む医学・物理学等々、科学全般の理系分野の研究開発とは。 
 まさに人命を救うとの最高の貢献があったり、はたまた、経済面でも多大な貢献を世界規模で成す事実に感嘆させられる。
 (決して、他のノーベル賞分野が世に貢献していないとは言っていませんよ。😷

 LED研究(日本人の中村博士も過去にその研究にて受賞された)が数年前にノーベル賞受賞後、我が家も家中の電球をLEDに買い替え付け替えたのだが。
 その家計(電気代に於ける)効果とは多大なものがある!
 上記朝日新聞引用文中にも書かれているが。
 そのLED研究がその後更に発展して、ライトの色合いがまるで昔の電球の如くの自然色商品まで販売される世になっている事実には。 まさにその技術面での発展力の凄まじさに感嘆させられるばかりだ!!


 今回の「量子ドット」ノーベル化学賞は、3名の博士が賞金を3等分されるとのことだが。
 
 今後は 世界レベルでの“経済効果”をも考慮した賞金体制に、ノーベル賞受賞賞金を移行してはどうか?
 と、元科学者の端くれとしては 提案したくもなる。


私は「墓」は要らない

2023年10月09日 | 自己実現
 と言いつつも、もう既に10年程前に亭主と2人で自宅近くの葬儀社に「永代供養墓」の申し込みをしている。


 この「永代供養」に関して説明するならば。
 ひとまず“死”が訪れると、その自宅近くの葬儀社にて葬儀を執り行い火葬を施す。 
 一旦 その遺骨を、葬儀社内に建設されている「個別ロッカー方式の永代供養ボックス」に入れてもらう。
 一定の年月が経過した後に、そのロッカー内の遺骨は都内の多摩地方(詳細は把握していないが、とにかく人口が極端に少ない地)の大規模寺院に合葬墓の形式で埋められるらしい。  その後は、まさに永代供養となって永遠に放置され土へ帰るシステムだ。

 
 こんなに早い未だ若い時期に、我が亭主と私が既に「永代供養」の予約をしたのには我が家なりの事情がある。

 それは、我々の死後を見てくれる人間が一人娘しか存在しないことだ。 
 今のところ娘本人に結婚願望が一切無く、子孫が立ち消えることがある程度明白だ。
 しかも、親の死後は独り身で毅然と生きていこう!!と欲している気丈な娘に対し。 親の願いとして、娘自身の人生の充実を図りつつ生きて欲しいとの思う以外の負担を一切かけたくは無い。

 原家の親に関しては 親の代まで永代供養の申し込みをしていて、義父は既にそこで供養している。

 片や 私側の特に実母が、少し以前までは次女の私相手に「老後と死後の面倒はきちんとみて欲しい!」と言い張って実際鬱陶しかった…
 それを米国の姉には一切言わず、次女のこの私にばかり言ってくるのが私としては許せない思いだった。 というのもこの私は実際問題、子ども時代から現在に至るまで父方祖母のお世話にはなったものの。 実母には何らの世話にもなっていないような環境下で育ったと言って過言でない故だ。
 (それは、よく面倒を見ていた米国の姉に言えよ!!)と私はずっと内心実母に対して苛ついていたのだが。
 父が60代の若さで他界した直後から、やっと実母は自分たちは地元の永代供養にお世話になるとの決断をして、それを実行に移してくれて心底ホッとした。
 ただこれに関しても、実母自身が永代供養の申し込みをしている郷里の寺に「生前挨拶に行きたいから、郷里まで来て連れていけ!」と平然と私に言ってくる有様だ。 正直言って迷惑な話だが 実母の生前最後の願いと受け止めて、11月にその挨拶のために出かける予定を組んでいる。



 話題を変えて、2023.10.05付朝日新聞「社説」より、“増える無縁墓 望む弔い 選べる基盤を” と題する「社説」の一部を以下に引用しよう。

 今現在、管理する人のいない「無縁墓」が増えている。
 これを放置すれば、墓石や塀の倒壊、災害による崩落の危険性もある。(途中大幅略)  
 これに対する財政負担も大きい。 高松市には、4割以上が無縁化した墓地がある。 公営墓地問題は、氷山の一角だ。
 墓は家で継承しなければならないという考えは、明治民法下の「家制度」のもとで確立されたとされる。 だが、高度成長期を経て郷里を離れる人が増え、少子化も進み、単身世帯も増えた。 集落などの共同体も細る中で、誰もが家族が弔いを担い続けられる時代ではなくなってきている。 政府は自治体に実情を聞き、改葬の判断や墓石の取扱い等の基準を整理し、必要な支援を検討して欲しい。

 (以下略すが、以上朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 先祖の供養ねえ。

 それに関しての、原左都子の思いを書いて結びとしよう。

 この私、実母がずっと職業人だったが故に、郷里の父方祖母に4歳児から中3までの約10年に渡りお世話になった身だが。
 その恩義を未だ忘れることは無い。
 父方祖母は元女学校の「和裁」教員をしていた人材のようだが。 この“お婆ちゃん”が働き者だし頭は切れるし、とにかく幼き孫である私(と姉)にとって大いに役に立つ人物だったものだ。

 にもかかわらず、実母の父方祖母に対する対応が大いに気になっている幼き私だった。
 と言うのも、実母からの父方祖母に対する「お礼」の言葉をただの一度も聞いたことが無いどころか。 
 いつも素直な次女の私を捕まえては、「○○はあかん!」と自分の嫁ぎ先である父方家の悪口をほざき続けていたのだ… 😨 

 そんな実母を、未だにどうしても許せない感覚の私である…

 その身にして、特に実母と同じ墓など是が非でも勘弁願いたい!!