礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『ぽんぽこ物語』から『月光仮面』へ

2020-07-13 03:03:04 | コラムと名言

◎『ぽんぽこ物語』から『月光仮面』へ

 樋口尚文氏の『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書、二〇〇八)を読んだ。初めて知る事実がたくさんあった。非常に有益な一冊であった。
 同書の五三~五五ページに、次のような記述がある。

 一九五七(昭和三二)年一一月から、TBSの前身であるKRテレビ(ラジオ東京テレビ)で『ぽんぽこ物語』という一〇分の帯ドラマが放映されていた。小鳩くるみ、栗原真一ら主演のタヌキが人間界にもぐり込む、いわゆる「狸御殿物」であり、今や忘れ去られたこの番組が事実上の国産「連続テレビ映画」の一番手なのであった。ところが、川内康範の原作・脚本をもとにKRテレビの子会社・東京テレビ映画が製作していた『ぽんぽこ物語』 は不人気のまま翌五八年二月には打ち切りが決まった。
 この番組枠を担当する広告代理店としての宣弘社は、なんとか新企画をひねり出してスポンサーをつなぎとめなくてはならなくなったのだが、そもそも川内康範は『ぽんぽこ物 語』以前に、和製「スーパーマン」のようなヒーロー物を考えてもらえないかとKRテレビから相談されていた。
 しかも、KRテレビの幹部と打ち合わせをするための旅館に偶然、武田薬品工業の幹部 が泊まっていて、新商品のアリナミンを売り出すための強力な番組の企画がないものかと いう話になり、川内が『月光仮面』のアイディアを開陳するとすでに大いに乗り気だったという(講談社刊『特撮ヒーローBESTマガジン』川内康範インタビューより)。
 そもそもこれがきっかけで武田薬品工業がこの枠を提供することが決まったと川内は述 べているが、にもかかわらず実際に製作されたのが『月光仮面』ではなく『ぽんぽこ物語』であったというのは、『月光仮面』という企画が、さすがに当時のテレビ局が内製するスケールを超えていたからだったに違いない。

 国産「連続テレビ映画」の一番手が、『ぽんぽこ物語』であることは、ウィキペディア「月光仮面」の項を読んで知っていた。しかし、それが放映される以前に、川内康範(かわうち・こうはん)が武田薬品工業に対して、和製スーパーマンのようなヒーロー物を提案していた事実は知らなかった。
 ところが、実際に製作されたのは、それとは似ても似つかぬ『ぽんぽこ物語』だった。テレビ局の都合によるものだった。おそらくテレビ局側は、川内康範に苦しい内情を説明し、代案の原作・脚本を依頼したのであろう。
 ところが、この『ぽんぽこ物語』は、不人気のため打ち切られることになる。ここで再び、「和製ヒーロー物」案が浮上した。これが、『月光仮面』だったのである。放送開始は、一九五八年(昭和三三)二月二四日であった。
 この和製ヒーロー物『月光仮面』は、大ヒットした。『ぽんぽこ物語』などという、不本意なものを書かされた川内康範としては、最初から、自分の提案通り、和製ヒーロー物にしておけばよかったじゃないか、と思ったに違いない。
 ところで、本年五月二〇日のブログで私は、〝銀座のキャバレーで「証城寺の狸囃子」〟というコラムを書いた。その冒頭部分を引用してみる。

 今月一三日からの続きである。先日、DVD『月光仮面 どくろ仮面篇』(ハミング)を鑑賞し終った。改めて気づいたことを補足する。
11 第一部第五十四話「拳銃は招く」では、キャバレー銀座館の店内が描かれる。たぶん実写であろう。専属のバンドによるナマ演奏があり、専属と思われる女性歌手が歌っている。歌は、なんと、「証城寺の狸囃子」である(ジャズ風にアレンジされている)。場面変わって、その地下室では、柳井博士がどくろ仮面とその一味にと取り囲まれている。博士にピストルを突きつけているチャイナドレスの美女は、柳井家に「女中」として潜入していたトミ(深川きよ美)である。「証城寺の狸囃子」の音楽が、その地下室まで聞こえてくる。この人を喰った演出に、驚き呆れ、そして拍手した。

 右のコラムを書いた時は、なぜ「証城寺の狸囃子」なのか、まったくわからなかった。しかし、今は違う。今は、こんなふうに考えている。『ぽんぽこ物語』で遠回りをさせられた川内康範が、ちょっとしたイヤミで、『月光仮面』に、こんなシーンを入れてみたのではないかと。――

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