礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「おふくろさん」前語りにからむ一件(2007)

2020-07-14 03:26:40 | コラムと名言

◎「おふくろさん」前語りにからむ一件(2007)

 樋口尚文著『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書、二〇〇八)の紹介を続ける。同書の六一~六二ページに、次のような記述があった。

 ところで、晩年、身体の不調からマスコミへの露出を避けてきた川内〔康範〕がにわかに再注目されたのも、ほかならぬこの作詞に関する問題であった。二〇〇七年、作詞家としての代表作『おふくろさん』が、森進一によって本来の詞にはないヴァース(前語り)を勝手につけて長年うたわれてきたことに川内が憤り、本曲を含む川内作詞の楽曲を森が歌唱することを許可しないと主張した。かねて義侠心の人である川内は、自らと同じく苦労人の森進一に感じ入って、独立時などは粉骨砕身の助力を施したといわれるが、それだけにこうした自らが仁義に反すると解した時の主張も徹底したものであった。
 だが、実際にこのヴァースのことをつぶさに思い浮かべてみると、単に川内が自作を改変されて「著作権者的」な指摘をしているのではなく、むしろ「作家的」に憤慨していることがわかる。というのも、森の語るヴァースは「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今ではできないことだけど 叱ってほしいよもう一度」というきわめてさめざめとしたメロドラマ的抒情に満ちたものだが、川内の歌詞で母が息子に期待するものは「お前も いつかは 世の中の 傘になれよと 教えてくれた」「おまえも いつかは 世の中に 愛をともせと 教えてくれた」と(川内康範の特に好む「愛」という言葉も用いながら)一種スケール感のある「大志」なのであって、いわばそんな立派な「おふくろさん」に育てられた子どもが「月光仮面」として世に立ったのではと思わせるところがある。この世界観は、善し悪しや好みは別にして、森進一のヴァースが醸すものとは対極にあるわけで、川内はそこのところがどうしても気になったのであろう。
 おそらく森一流のウェッ卜な語りや歌唱の魅力が大衆の好むところではあって、それゆえに『おふくろさん』も大ヒットしたのであろうし、私もこの歌はてっきりそういう世界観のものだと勘違いしていたぐらいだ。ところが、この騒ぎを機に詞を眺めなおしてみると、確かに川内の狙うところは、そういった日本人特有の内向きな湿り気の部分を決然と切って世のため人のためになろうという立志伝のストーリーなのである。

 ここで樋口尚文氏は、「おふくろさん」というのは、さめざめとした歌だと「勘違いしていた」と述べている。実は私も、そのように勘違いしており、なぜ川内康範が怒っているのか、当時は、よくわからなかった。
 ところが今回、樋口尚文氏の本を読んで、この歌に対するイメージが一変した。それにともなって、川内康範の怒りが、よく理解できるようになった。
 なお、この「おふくろさん」改変をめぐる一件については、ウィキペディア「おふくろさん騒動」の項に、詳細な解説がある。しかし、残念ながらそこには、樋口尚文氏の『「月光仮面」を創った男たち』を参照した形跡がない。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2020・7・14(7位に極めて珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする