礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

アメリカは必ず中国大陸への上陸作戦を敢行する

2020-07-20 00:02:25 | コラムと名言

◎アメリカは必ず中国大陸への上陸作戦を敢行する

 田村真作著『愚かなる戦争』(一九五〇、創元社)を紹介している。本日は、その四回目で、「Ⅱ」の「13 逆立した日本軍閥」を紹介したい。

   13 逆 立 し た 日 本 軍 閥

 太平洋戦争の見透し――について、われわれは、全く正反対に、軍と対立していた。上海はさすがに情報の巣であつた。われわれは、可成り〈カナリ〉正確な判断を下すことが出来た。
 われわれは、次のように判断していた。
  A、アメリカは、決して中国大陸の上陸作戦はやらない。
  B、ソ連は、最後には、必ず満洲に進入して来る。
 ところが日本軍閥は、これと全くあべこべに判断した。
  A、アメリカは、必ず中国大陸へ上陸作戦を敢行する。
  B、ソ連は、決して満洲には出て来ない。
【一行アキ】
 日本の敗戦に伴つてそろそろ露骨化して来た国共の対立から、もし大陸で、上陸作戦が行われると、戦場附近は、当然国共両軍の勢力地区の奪い合いとなる。また、ビルマルートの例を見ても、輸入武器の取り合いが考えられる。一たん外国の軍隊が国に入るとなかなか出て行かない――というのが中国人の通念になつている。以上の点から考えても、重慶が、アメリカ軍の中国大陸への上陸を決して望んでいないことが判断された。
 また、アメリカの戦法から見ても、南方の島々に、日本軍を島流しの状態でほつたらかして、どんどん東京への急進撃をつゞけている。アメリカは、徹底的な日本本土の戦略爆撃の後に、日本本土へ直接上陸するだろうと考えられた。
 ソ連は、米国の日本本土攻撃が進行し、日本の敗戦が決定的になつた瞬間には、必ず日本の背後をついて、満洲に進入して来ることが、中国共産党の動きからも,蒋介石が参加したカイロ会議に おける情勢からも、察知された。
【一行アキ】
 ところが、わが日本軍閥は、アメリカの中国上陸作戦を信じ切つていた。この迷信が、何に基づいてなされたのか、私には見当がつかないが、――大陸では、日本はまだ負けていない。中国に上陸して見ろ、目にものを見せてやる――式な、希望的観測に基づいてなされたものならば、たゞ日本軍閥の愚を笑うだけであるが、もしソ連の何等かの暗示にまどわされたとするならば、驚く可きソ連の謀略である。
 いずれにしても、日本軍閥は、この全く誤つた二つの判断の下に、アメリカの中国上陸作戦に備えて、しやにむに関東軍の精鋭を、満洲から中国大陸に南下させ、あの広い中国の海岸線に兵力を配して、待ちぼけをくらつたのである。
 彼等は、関東軍の伝統の使命であつた北満の防備を、がらあきにしてしまつた。日本軍閥は、ソ連は、対独戦争で疲れ切つている。人的にも物的にも打撃が大きく、とても満洲まで出て来る余力はない――と信じていた。
 そして松岡〔洋右〕をはじめ、近衛〔文麿〕、重光〔葵〕、東郷〔茂徳〕と、依然として、モスコーをたのみの網とする外交政策に、うきみをやつしていたのである。
 私は戦時中、朝日新聞のモスコーから帰つた記者に、
 「中国では、ソ連は最後には、必ず満洲に出て来るといつているが、どうだろう。」と聞くと、彼は、
 「いや、ソ連は、対独戦でとても弱っている。満洲まで手をのばす余裕はないだろう。」と否定していた。
 ソ連は出て来ない――ということが、東京の一般の常識となつていたようである。中国では、共産党と対立している藍衣社としては、常にソ連の動向を気にかけていた。それだけに、情勢の判断が正しかつたともいえる。
【一行アキ】
 戦局の判断からする結論は、出来る限り早く出来る限り多くの兵力を、中国の大陸から後退させて、北満の防備に当てることにあつた。そしてこれを機会に、中国大陸における停戦、撤兵を実現して、蒋介石との和平をはかることにあつた。 
 太平洋戦争を起した三つの大きな理由は、既に問題にならなくなつている――汪政権は、実体のない名ばかりの存在になつていた。日本で療養中の汪兆銘の重態が、伝えられていた。
 日独伊三国同盟は、事実上既に解消したに等しく、イタリーは降伏し、ドイツの降伏も、時期の問題になつていた。満洲をがらあきにして、ソ連にすがり、汪政権にこだわり、ドイツにこだわつていた。そして、日本の敗戦のその日まで、この泥沼から抜け出ることが出来なかつた。

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