礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

そこで私は杉山陸相と梅津参謀総長を呼んだ(東久邇宮稔彦王)

2020-07-26 05:25:06 | コラムと名言

◎そこで私は杉山陸相と梅津参謀総長を呼んだ(東久邇宮稔彦王)

 田村真作著『愚かなる戦争』(一九五〇、創元社)を紹介している。本日は、その十回目で、「Ⅱ」の「18 東久邇宮と繆さん」を紹介する。

   18 東 久 邇 宮 と 繆 さ ん

 繆斌工作に努力した人々には、工作の中心となつた小磯〔国昭〕総理と緒方〔竹虎〕国務相とがあつた。また東久邇宮〔稔彦王〕は熱心に支持され、石原莞爾中将は心からその実現を希望していた。
 当時の微妙な動きについては、東久邇宮の語られたことを、そのまゝ次に記すことにしよう。
【一行アキ】
 繆斌氏が東京に来た時、彼はその即夜、だれにも会わない前に私〔東久邇宮〕に会いたいと通じて来た。それで翌日、麻布の家に来てもらつて会つた。
 「日本では、誰も信用出来ない。頼りになるのは、たゞ天皇御一人だけである。しかし直接お会い出来ないから、殿下により雑音なしに自分の考えを取りついでもらいたいと考えた。」
 「もともと日華は共存共栄であるべきはずで、日華の和平はもとより望むところであるが、私の願いは、日華和平から日米和平、さらに世界平和にまで発展させることである。蒋〔介石〕主席が音頭をとつて、世界平和を提唱してはどうか。」
 繆氏は、非常に感動して、
 「今日のお話を、直接今すぐにでも、蒋主席に打電したい。無電機を東京に携行することを、日本側が禁じたことが残念である。」
 「同じ東洋人として、蒋主席が世界の傑人となることは、われわれ日本人は心から望んでいる。」
 繆氏は非常に喜んでいた。繆斌氏には、最初会うまでは、実は相当に警戒もしていたのだが、会つて見ると、術策をろうするといつた謀略型の人ではなく、卒直に胸禁をひらいて話し合えると思つた。
 繆斌工作は日米の和平を目的としていた。それだけに、軍をはじめ各方面の反対の嵐に直面せざるを得なかつた。
 また、繆斌が原則として提示した、南京政府の即時解消と中国からの日本軍の全面的撤退――とは、当然、現地の日本軍と南京政府関係者の猛烈な妨害運動となり、ひいては軍中央部と外務省側の反対に遭つたのである。
 繆斌に会つた日、緒方国務相を通じて、小磯総理に、繆斌工作に全幅の努力を傾けるように忠告した。同時に、私は側面からあらゆる助力をしようと決意した。
 そこで、私は杉山〔元〕陸相と梅津〔美治郎〕参謀総長を呼んだ。
 杉山陸相は
 「繆斌は肩書がない。蒋介石の委任状をもつて来ていない。こんな人物で日華の和平交渉は出来ぬ。」 
という。私はこういつた。
 「最近〝戦国策〟を読んでいる。ところで中国では、一国と一国との和平交渉とか、同盟、連合とかにはいきなり国王が直接交渉をすることはない、はじめは布衣〈フイ〉の士が内々に国王にたのまれたり、大臣にたのまれたりしてやる。そしていよいよ話がまとまつたところで、はじめて公式に談判が開始される――これが中国の建前だと思う。特に、今日の日本と重慶とは、戦争をしている。おまけに〝相手にせず〟などといつている時に、どう考えても重慶から正式の使者が来るわけがないではないか。
 第一に蒋介石の立場として、委任状を日本に持たしてよこす――と考えることすら誤りである。委任状なく、地位もないところがかえつて面白い。信用が出来るとか、出来ぬとかいうが、よしんば欺されてもよいではないか。」
 杉山陸相も、ようやくなつとくして、
 「なるほど、その通りです。」
と賛成したので、私はさらに、
 「繆斌氏が上海から飛行機で来ることについては、あなたは、陸軍大臣として賛成したのではないか。それに今になつて反対というのは、どういうわけか、私にはわからぬ。小磯総理を助けて 大いに努力してもらいたい。」
 次に、梅津総長に対しても、同じことをいうと彼も同意した。
 小磯総理が、いよいよ最高戦争指導会議で発言しようとすると、重光〔葵〕外相がまず真向〈マッコウ〉から反対し、陸相も参謀総長も一向に総理を支持した模様もなく、そしてこれが主なる原因になつて小磯内閣は瓦解したのだ。
 繆斌氏の話がだめだと決まると、陸軍では手のひらをかえしたように冷淡になつた。
 私は再び杉山陸相に注意した。
 「飛行機の座席はない。汽車の切符もないで帰れ――と、まるで追い返すにひとしい冷遇をするとは、全く礼を知らぬ恥かしい話だ。現地軍が反対しているからだそうだが、何でも軍は横車を押して勝手なことをしている。今日はそれでもよいかも知れないが、いずれは国民の指弾の的となりますぞ。少しは反省したらどうか。」
 繆斌氏は、使命は失敗に終つても、せめて日本の桜の花盛りを見て帰りたい――というので、私は
 「何か圧迫でもあつたら、――東久邇宮に用事があつて、もつと日本にいるのだから――と、返事をするように。」
と、どんなことがあっても繆斌氏を庇護するつもりでいた。

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