礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

憲法七三条はボツダム宣言受諸で効力を失った(美濃部達吉)

2020-07-29 00:02:51 | コラムと名言

◎憲法七三条はボツダム宣言受諸で効力を失った(美濃部達吉)

『ジュリスト』一九七七年五月臨時増刊(通巻六三八号)、「日本国憲法―30年の軌跡と展望」から、丸山健の「日本国憲法制定の法理」という論文を紹介している。本日は、その二回目。

  二 八月革命説

 ① つとに、宮沢〔俊義〕教授によって唱えられ(1)、学界の通説的地位を占めると称されている(2)。大略、以下のとおりである。
憲法の改正には限界があり「憲法そのものの前提ともなり、根本ともなっている根本建前」によって、「改正手続そのものが、……その効力の基礎を与えられているのであるから、その手続でその建前を改正するということは、論理的にいっても不能で」ある。旧憲法においては、「天皇が神意にもとづいて日本を統治するという原則は、日本の政治の根本建前であり、明治憲法自体もその建前を前提とし、根柢としていた」のであるから、「明治憲法の定める改正手練で、その根本建前を変更するというのは、論理的な自殺を意味し、法律的不能」と解すべきである(三八二頁)。
 ② しかし、現憲法の定立が、旧憲法の改正手続によって行なわれたことは、妥当である。「そういう改正は、明治憲法の改正として、ふつうでは許されないのであるが、特別の理由によって、それは許される」。この特別の理由というのが、いわゆる八月革命である。
すなわち、わが国の、ポツダム宣言受諾の申入(一九四五年八月一〇日)に対する連合国の回答(八月一一日付のアメリカ政府からの、いわゆるバーンズ回答。以下、八・一一回答という)が、「日本国ノ最終的ノ政治形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ〈したがい〉日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルべキモノ」(The ultimate form of government of  Japan shall, in accordance with the Potsdam Declaration be established by the freely expressed will of the Japanese people. )と述べているのは、「日本の政治についての最終的な権威が国民の意志にあるべきだ」ということ、要すれば、「国民が主権者であるべきだ」ということを意味し、わが国がそれを受け入れたのは、みぎのことを「政治の根本建前とすることを約したのである」。このようなことは、旧憲法下にあっては、「天皇の意志をもってしても、合法的にはなしえないはずであった。したがって、この変革は、憲法上からいえば、ひとつの革命だと考えられなくてはならない。……憲法の予想する範囲内において、その定める改正手続によってなされることのできない変革であったという意味で、それは、憲法的には、革命をもって目すべきものであ」り、「国民主権主義が、八月革命によって、すでに成立している(3)という理由によってのみ、……新憲法が、国民主権主義を定めることが、決して違法でないとされうるのである」(三八二~四・三八八頁)。
 ③ しかしながら、八月革命によって旧憲法が廃止されたと見るべきではなく、「ただ、その根拠たる建前が変った結果として、その新しい建前に牴触する限度においては、明治憲法の規定の意味が、それに照応して、変った、と見るべきである。したがって、その新しい建前 に牴触しない限度においては、どこまでも明治憲法の規定にしたがって、ことを運ぶのが、当然である。憲法改正も――少なくとも、形式的には、――明治憲法第七三条によって行われるのが、適当と考えられる。ただ、その場合、国民主権主義の建前からして、憲法改正の手続は、できるだけ民定憲法の原理に則すべきことが要請され、その結果として、表面上は、明治憲法第七三条によりながらも、その民定憲法の原理に反する部分 ――天皇の裁可と責族院の議決――は、たとえ形式的には規定が存しても、実際的には、憲法としての拘束力を失っていたと見るべきで」ある(三八九頁)。
 ④ 八月革命は、国体の変革を意味する。もとより、問題は、国体の定義によることであるが、もしそれが、「天皇が神意にもとづいて日本を統治するという神権主義的天皇制」をさすとすれば(4)、「八月革命の革命たる所以が、何よりも、それまでの神権主義の否定にある以上」、みぎの意味での国体は、八月革命により消滅したと解される。ただし、単なる天皇制を国体と考えるならば(5)、それは必ずしも、八月革命によって変革されたわけではないが、この場合でも、「天皇制の根柢が、神権主義から国民主権主義に変ったこと、したがって、天皇制の性格がそこで根本的な変化を経験していること」が注意されるべきである。すなわち、「国民の意志いかんによっては、天皇制も廃止される可能性――理論的可能性――が与えられたわけである。天皇制の根拠たる神の意志は、永劫不変のものとされたが、国民の意志は、決して永劫不変のものではないからである」(三八五~六頁)。
 以上の八月革命説は、それが「現行憲法生誕の法理を民主的原理に忠実な形で矛盾なく説明しうる点」(6)で、広く評価されているが、同時に、その不十分な面に対する批判もある。
 たとえば、鈴木〔安蔵〕博士は、八月革命説は、憲法制定その他多くの法的措置に不断に関与した貴族院の活動が、法的には無効であるとしているように、「およそ現実の立法過程に余りにもかけはなれた法理論」であると批判し(7)、また、長谷川〔正安〕教授は、八月革命が旧憲法七三条による全面改正を可能にするという点について、「八月革命説をとっても、もっぱら天皇の発議による七三条は無効であり、したがってそれによる改正は、不可能であるということも、……十分にいいうる」として、「形式的にのこったという憲法の効力と占領の関係については、論じのこされている部分が多い」と指摘している(8)。影山〔日出弥〕教授も、八月革命によって主権(憲法制定権)の所在の変更があったとする以上、それは当然に憲法改正権の所在の変更を含んでいると解するのが合理的であり、宮沢教授の旧憲法 七三条による改正の是認は、適当ではないとしている(9)。さらに、芦部〔信喜〕教授は、 「現行憲法が実質的には法律上の革命にもとづいて生まれた新らしい民定憲法で あるという結論は、この説から疑いもな くみちびかれるけれども、そこから直ちに、民主的正当性をもつ憲法だという結論をひきだすことはできない」として、みぎの結論にいたるためには、「現行憲法前文冒頭の『日本国民は、……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』という宣言と、憲法成立過程における事実および憲法施行の実態との関連が、あらためて検討されなければならぬ」と述べている(10)。

(1) 宮沢俊義「八月革命と国民主権主義」世界文化一九四六年五月号、第九〇帝国議会における同氏の質疑(清水・前掲一〇〇頁以下)、「新憲法の概観」国家学会・新憲法の研究一〇頁以下、「日本国憲法生誕の法理」同•日本国憲法(コンメンタール)附録三〇八頁以下および憲法の原理三七五頁以下(本文における引用は最後の書による)。
(2) 芦部信喜「現行憲法の正当性」思想一九六二年五月号(四五五号)五〇頁。
(3) 清宮〔四郎〕教授も、八・一一回答の受諾は、「天皇主権から国民主権への移行という革命的な結果を容認すること」であり、「現行憲法発足の淵源は、ポツダム宣言の受諾にある」と述べている。清宮四郎・憲法I(法律学全集)新版五〇頁以下。
(4) 旧憲法下の判例でも、「我帝国ハ万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総攬シ給フコトヲ以テ其ノ国体ト為シ治安維持法第一条ニ所謂国体ノ意義亦之レニ外ナラサル」ものとし(大判昭和四・五・三一刑集八巻三一七頁、また、「憲法第一条ニハ大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治スト規定シ我国国体ノ如何ナルモノナリヤヲ明示シタリ」としていた(大判昭和六・七・九刑集一〇巻三二五頁)。
(5) 第九〇帝国議会における政府の見解は、これに近く、吉田〔茂〕総理大臣は、「国体を法律学者はどう解釈するか知りませぬ が、……日本の国に於ては、万世一系の皇 室が上にあらせられて、所謂君臣の間に何らの対立関係はない」ことを国体とし、また、金森〔徳次郎〕国務大臣は、天皇統治に関する旧憲法一条・四条に依拠して説明するのは、「謂わば法律学的な国体であり、意味の実質に於ては政体と云う範囲に属する」もので、「それらの学説の言っている国体は、大幅に変更せられ」たが、しかし国体とは、「天皇が現実に国権を御行使になると云う点にあるのではなくて、国の組立が天皇を国民一般の心の中に包んで、……憧れ の中心としてこれを包容して国家の統合組織が出来て居ると云う所にある」と述べている(清水・前掲八〇〇・八一三・八二二頁)。そして、宮沢教授がいっている、「国民の意志いかんによっては」、それが「廃止される可能性」に関しては、ふれていない。
(6) 芦部・前掲五〇頁。
(7) 鈴木安蔵「日本国憲法制定の基本論点」愛知大学法経論集・法律篇八二号九頁。
(8) 長谷川正安・昭和憲法史二四九頁。
(9) 影山日出弥「憲法の生誕の法理」同・憲法の基礎理論七〇頁。この点に関し、美濃部〔達吉〕博士は、憲法七三条は、「憲法改正の発案権を専ら勅命にのみ留保し、其の提案に対し議会は自由の修正権をも有しないものとしているに於て、明らかに右の宣言とは相〈アイ〉牴触するもので、斯かる憲法改正の手続に依っては、其の改正が自由に表明せられた国民の意思に依って決定せられたものと謂い得ない、ことは勿論であり、随ってそれは形式的には未だ改正せられず元の侭に存置せられているとしても、ボツダム宣言受諸の結果として、当然に効力を失ったものと解すべきであろう」として、直近の議会で、七三条を改正し、憲法改正草案作成に関し、学識経験者による憲法改正審議会の設置、枢密院の廃止、特別の憲法 議会の設置、国民投票による最終決定、の四点を定めるべきであるとしている(美濃部達吉「憲法改正の基本問題」世界文化一九四六年五月号)。この説に対しては、同博士が、前年一〇月に朝日紙上において、ポツダム宣言実施のために、旧憲法を改正する要はなく、その運用の適正を考えるのがよい、と述べたこととの背理をも含めて、佐々木〔惣一〕博士によって批判が加えられているが、この点はのちに扱う。なお、清宮教授は、旧憲法七三条は「憲法改正規定としての資格が疑われるにいたった」が、それを「便宜使用し、行為の形式的合法性をよそおった」ものと解している(前掲五一頁)。影山教授は、この方が宮沢説よりも「はるかに合理的である」とするが(前掲七一頁)、筆者には、両者は、ほとんど同趣旨ではないかと思われる。
(10) 芦部・前掲五〇頁以下。なお、同「憲法制定権力」日本国憲法体系(宮沢俊義先生還暦記念)一巻一一五頁以下。

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