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日本も早く手を切りましょう!!      ネット虫

2007年11月25日 14時06分15秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
豪ブリスベンで24日、妻テレスさん(左)と投票を終えた労働党のラッド党首(右)=ロイター

※今日の各紙は、オーストラリアで野党が圧勝し、ブッシュを支え続けてきたハワード首相と与党が惨敗しアメリカ追従の政策が大きく変更されるとつたえています。世界でブッシュの孤立化が一層加速しそうです。
 日本も最後の一人とならぬように選挙で引導突きつけましょう。 (ネット虫)


「豪総選挙、野党・労働党圧勝 11年ぶり政権交代」
                    朝日新聞2007年11月25日01時09分

 オーストラリア総選挙は24日投開票され、野党・労働党が下院(定数150、小選挙区制)の過半数の議席を獲得し、ジョン・ハワード首相(68)率いる自由・国民両党の保守連合から11年ぶりに政権を奪回することが確実になった。次期首相になる労働党のケビン・ラッド党首(50)は若さを訴え、経済政策では与党に近い路線をとって支持を広げた。公約に掲げた京都議定書の早期批准やイラクからの一部撤兵に向け、豪州はかじを切ることになる。

 ハワード首相は24日夜演説し、「私はラッド氏に電話し、労働党の勝利を祝福した。私は首相の職を去る」と敗北を認めた。自身の選挙区でも苦戦しており、現職首相が落選すれば1929年以来となる。首相は小泉純一郎元首相、ブレア前英首相とともに「テロとの戦い」を主導する米ブッシュ大統領の盟友だった。

 ラッド氏は同夜、地元ブリスベンで「国民みんなで歴史の新たなページを記そう」と勝利演説した。対米関係重視では変わらないものの、1500人規模の部隊の段階的撤兵を訴えたイラク派兵などでブッシュ政権から距離を置くとみられ、国際政治での米国の立場にも影響を与えそうだ。

 また12月3日からインドネシア・バリ島で「ポスト京都」の枠組みを話し合う国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP13)に自ら参加する方針。「ポスト京都」に向けた論議にも弾みがつくと見られる。

 豪州選挙委員会によると、25日午前3時(日本時間25日午前1時)現在、開票率75%で、労働党が72議席を確保し、改選前の60議席から大きく躍進。公共放送ABCは、労働党が86議席を獲得する見通しと報じており、地滑り的圧勝となりそうだ。保守連合は47議席にとどまり、改選前の87議席を大幅に下回る見通し。

 労働党は昨年末にラッド氏が党首に就任して支持率が上昇、選挙中の世論調査でもリードを保ってきた。企業寄りとされる雇用法制の改革や病院職員の待遇改善、インターネットの普及など公教育の改革を公約に掲げ、幅広い支持を集めた。

 ハワード首相は好調な経済を背景に安定感をアピールした。選挙戦早々に大規模な減税策を発表し、支持率の浮上を図ったが、労働党が直後に同規模の減税策を掲げて埋没した。また、11年という長期政権のマンネリ感を一掃できなかった。


「豪総選挙で労働党圧勝 11年半ぶり政権交代」
                      中日新聞2007年11月24日 22時

 【シドニー25日共同】オーストラリア総選挙は24日投開票され、イラクからの戦闘部隊撤収を公約とするケビン・ラッド党首(50)の最大野党、労働党が圧勝した。イラク戦争を支持、ブッシュ米大統領の「最後の盟友」とされ、5期連続の政権維持を目指したジョン・ハワード首相(68)率いる保守連合(自由党と国民党)は敗北、約11年半ぶりの政権交代が実現する。

 ラッド次期首相の下で、オーストラリアは来年半ばまでに、イラクとその周辺に駐留する部隊約1600人のうち戦闘部隊約600人を段階的に撤兵させる見通し。米国のイラク戦略に影響を及ぼす可能性もある。

 公共放送ABCによると、労働党は下院(定数150)で改選前の60議席を大幅に上回る86議席を獲得する見通し。保守連合は62議席と、改選前の87議席を大幅に下回るとみられている。

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私の戦争体験 14 へそ曲がり

2007年11月25日 09時50分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 戦争を語ってくれた人々

 敗戦の年、私は国民学校2年生でした。戦地から沢山の兵士が帰還しました。私の周囲でも記憶しているだけでも3人いました。この人たちは遊んでいる私たちのところへやってきて。自分の戦場の体験を話して聞かせてくれました。

 ひとりは、近所の遊び仲間の叔父にあたる人です。海軍の水兵として空母「瑞鶴」に乗り組み『レイテ沖海戦』を戦った人です。『レイテ沖海戦』での「瑞鶴」を含む小沢艦隊は「囮」としての任務になっていました。ハルゼーの艦隊を引き寄せ、その隙に戦艦「大和・「武蔵」を含む栗田艦隊をレイテ湾に突入させるという作戦です。小沢艦隊は初めから全滅覚悟という役割だったのです。当然、戦闘は悲惨な結果になりました。「武蔵」だけでなく彼が乗り組んだ「瑞鶴」も沈められました。

総員、退去!”という命令で兵隊たちは甲板の舷側に並びました。ここから海へ飛び込めという命令です。あまりにも高いところからのため、足が竦んだそうです。“どれくらいだって?そうだな、松坂屋の屋上から飛び込むと思えばいいさ。”とのこと。飛び込めないで竦んでいると、背後から腰の辺りを蹴飛ばされるのです。運良く海面に落ちるものもいれば、傾いた船腹などにぶつかってそのまま落下していくものもいます。まず即死だそうです。幸い、彼はうまく海面に落ち、味方の軍艦に救助されました。といっても、救助活動の時間は制限されています。潜水艦の攻撃を受けるかも知れないのです。まだ、海面に漂っている兵士を捨ててその場を去るのだそうです。これが靖国行きの実態です。

 2人目は、中国戦線で「八路軍」と銃火を交えた人です。近所に住んでいたのでなく、金属の廃品回収を仕事にしたおじさんです。いつもやって来ては私たちに話してくれました。私たちはこのおじさんを「カタキンさん」と呼んでいました。戦闘中に撃たれ、睾丸の一つを吹き飛ばされたとのことでした。ズボンを脱いで見せてもくれました。この目で確かめました。でも、「カタキンさん」と呼んでも、彼は決して怒りませんでした。いつもにこにこ笑いながら私たちに話してくれました。“蒋介石の軍隊とドンパチをする時は全然怖くない。奴らはすぐ逃げていくからな、でも「八路」とやった時は怖かったぞ。あいつらは命を捨てることなんか怖がっていない。よほどのことがない限り逃げたりはしない。彼らと戦う時は『今日で命は終わりだ』と何度思ったことか。あいつらは本当に強かった。”ということでした。

 3人目は私の隣の家のおじさんです。スマトラ島にいたとのことでした。島が孤立したため、直接の戦闘経験はあまりなかったものの、食糧不足で困った話をしてくれました。補給は全くなし。食べられるのなら「蛆」までも食べたそうです。いちばん美味しいのは蛇と大蜥蜴。捕りすぎたのか、そのうち、探してもなかなか見つからないとのことでした。食料を巡って殺し合いをする光景も目撃したとのことです。

3人の話には共通点がありました。“戦場というところは「地獄」だぞ。これからはどんなことがあっても戦争なんかしてはいけない。”、話してくれた最後はいつもこの言葉でした。


 大人になってら、自分の体験を話してくれた人に出会いました。彼は戦前、農村の中学校の先生でした。若かった彼は“ぼくも軍国教師の一人だった。”のです。その頃「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集がありました。表向きは自由希望となっていますが、実情は全く違います。“この村から〇〇名出せ。”との指示が来るのです。村々に割り当てが出されるのです。目標に達しないと村の「恥」ということになります。村中こぞっての説得活動が始まります。こういう時、中心になるのは学校の教師です。彼も教え子の家を一軒一軒回って歩きました。結果、定員を満たすことが出来、教え子たちは次々に満州に行きました。しかし、村から行った少年たちの殆どは還らぬ人となりました。

 戦後になって、彼はこれらの家一軒一軒を尋ねて謝罪しました。入り口を入って土間で土下座をして両親に謝りました。でも、返事は一言もありませんでした。ただ、畳に座ったまま一点をじっと見つめている、目線は絶対に合わせようとしない、こんな光景が2時間も3時間も続く。

 こんなことを語った後、彼は私にこう言いました。“なあ、〇〇君、月が煌々と照る夜の村の道、そこを肩を落してとぼとぼ帰っていく自分、そんな時のぼくの気持ちが判るかね。あの時ぼくは決心したよ。日教組のスローガン『教え子を再び戦場に送らない』、ぼくはこれを命を懸けて守り通す。これはぼくの使命だ。”と。

 この彼の言葉、身震いしました。名古屋にもこんなにも素晴らしい学校の先生がいるんだ。その時の実感です。彼はその後の教師生活の全てを平和のための活動に捧げ、7年ほど前にこの世を去りました。

 私がこれまでに出会った人のうち、最も尊敬する人です。


 以上で、私の戦争体験シリーズをひとまず終わりますが、(あと、まとめがのこっています)それでも日本は軍隊を持つベきである・戦争は必要悪であると思われる皆さん、このブログの上で“自分は家族を引きずってでも真っ先に戦場へ行き、最下級兵として戦争に加わる”と宣言されたらいかがでしょうか。

また、「空襲下」で猛火に取り囲まれ、そこで機銃掃射を浴びるというのもいい経験かと思いますが・・・・・。もっとも、そんな馬鹿げたことを考えるのはよほどの人しかいないと思います。失礼しました。
                     (まとめに続く)
コメント (7)
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