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私の戦争体験 12 へそ曲がり

2007年11月17日 11時45分47秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
学童疎開  

空襲があった後、学校ごと「疎開」という引っ越しをしました。子どもは邪魔であるということと、食糧が足りないからというのが理由だったようです。
 親戚などを頼って個人的に引っ越しする子もいました。こちらを「縁故疎開」、学校ごと「疎開」することを「集団疎開」と呼んでいました。

 私の場合は「集団疎開」でした。三重県の一志郡のある村ですが、この村へ分散して生活するわけです。学校は現地の学校に入るのですが、ここではひどい目に遭いました。
 四男の兄が入れ替わりに卒業して名古屋に帰ったのですが、これがどうも相当な「いじめっ子」だったらしい。“〇〇の弟がやってきやがった”ということで、今度は私がひどい虐めに遭いました。
 
 惨めだったのは、近くの寺の本堂で一斉に食べる食事です。少ない量なのに、それを上級生が“少しちょうだいね”と言って、入れ替わり立ち替わりに取っていってしまう。しまいには一口分しか残りません。
 すぐそばに先生がいたのですが、何も言ってくれません。知っていた筈だと今でも思っています。

 もっと惨めだったのは、親たちが時々日用品や食べ物を持って見舞いに来た時のことです。全員の親が来るのではないのです。見舞い品を持ってこられる家だけです。
 3間か4間続きの部屋の真ん中に親が車座になり、横に座った自分の子に持ってきたものを食べさせる、食糧難の時代ですからわれわれに呉れるはずがありません。
 来てもらえなかった子たちは空腹のまま外へ行くのです。見たくはないからです。

 夜は最も悲惨です。彼らは見舞い品の食べ物がなくなるまで、連日のように車座になってパーティーを開きます。
 リーダーが“乾杯!!”と叫び、一口ごとにわれわれに見せびらかしながら食べるのです。
 われわれは壁を背にして座ったままそれを見ているのです。仲間入りの出来なかった6年生の上級生が“見るな!見るな!”と囁くように怒鳴るので、パーティーが終わるまで、じっと下を向いたまま過ごすのです。

 4年生に荻野君という子がいました。いじめられっ子だったのか、よく上級生に殴られていましたが、この子がよく私を庇ってくれました。
 先生の居室には「乾パン」の入った箱がいっぱいあったそうです。配ってもらった記憶は全くありません。
 彼は先生の部屋へ忍び込んでいくつかを盗んでくるのです。私の手を引いて近くの畑の中に入り、そこで食べさせてくれました。こうやって、少しではありますが、飢えを凌いだものです。

 私の様子を知ったのか、母が迎えに来てくれました。

 しばらく名古屋にいた後、島根県の母の実家へ姉と疎開しました。ここで終戦を迎えています。ここでもいやな体験をしています。

 田舎の分校で1学年1学級編成だったのですが、ある日、学級に「雨合羽」が3着支給されたのです。籤引きの結果、1着が私に当たったのです。雨降りの日にはわらで作った「ミノ」を被って通学していた私にとって、これは天にも昇るような嬉しい気持ちでした。
 とたんにクラスの子たちから抗議が出されたのです。曰く“町から来たばかりの者が貰って、前からいたものが貰えないのはおかしい。”ということです。
 1着分について直ちにやり直しになりました。私はくじ引きにも参加出来ないのです。【よそ者】という扱いだっのです。このような仕打ちを度々受けました。

 戦争は人間の心をこんなふうに歪めてしまうのです。これも思い出したくない出来事のひとつです。
               (本土決戦に続く)
コメント (2)
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是非、徳富蘇峰の本を(保守系)

2007年11月17日 00時03分53秒 | 国内政治・経済・社会問題
今日、私は、明治・大正・昭和を生きた徳富蘇峰の「終戦後日記」全4巻を買ってきました。徳富蘇峰は、無条件降伏への憤り、昭和天皇への苦言、東条・近衛元首相への批判をし、大戦の行方を誤った悔悟の念を赤裸々に明かします。
そして第二巻では、食糧メーデーでの天皇に米寄こせと叫び、極東軍事裁判に始まる1946年。蘇峰は熱海に蟄居し、マッカサーの米国政策からいかに日本を護るべきか、復活の道を探ります。3巻は、蘇峰は戒名を「百敗院泡沫頑蘇居士」と位牌に香を炊き、自ら「一周忌」と弔った蘇峰。新憲法は米国流と断じ、東京裁判の欺瞞性を暴露します。また満州国皇帝溥儀との会見録も付しています。
そして第4巻は、ゼネストの中止命令や新憲法の施行に揺れる昭和22年。蘇峰は日本の敗因を昭和の人材不足と断じる一方、中庸の欠如、行き過ぎの通弊を抱えた国の将来を憂えます。書籍の帯に無秩序乱脈、外尊内卑の日本に警告を鳴らすとなっています。私は、まだ4巻全てを読んではいません。
しかし、あの昭和の大戦は、以前からせめて明治以降から語るべきだと言ってきました。
このブログでは、結局、現在もテロ特別措置法や憲法九条改正問題などがテーマになります。
私は戦前を知りません。しかし、もう敗戦から60年余過ぎてしまいました。出来る限りあの大東亜・太平洋戦争への道での当時の状態や、戦後間もない日本の言論に接する事が、大事な事だと思ってきました。この徳冨蘇峰の本をしっかり読んでみたいと思います。
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