九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「あいち九条の会の集い」について       まもる

2007年11月03日 23時03分05秒 | Weblog
 あいち九条の会の「県民の集い」が、すでにお知らせしたように今日、市公会堂で開催されました。内容はこのブログでも紹介されたように、
 一部・・東大名誉教授 小林直樹氏(86)の講演。
 二部・・リレートーク と きたがわてつ氏のコンサート
といった内容で進行しました。
 小林氏の講演は高齢・高名な憲法学者のお話としてはまずまずの反応でしたが教科書的なお話。
 またリレートーク・コンサートも定番のスタイルでそこそこの拍手が聞かれました。
 
 今回と先回の石坂氏を招いて行ったときとを比べると、かなり聴衆が減っており熱気にも乏しいものでした。司会者の天野氏がコンサートの紹介時に「一人が何人もの拍手を」と言っていたことや、講演中の居眠りしている人の多いのも印象的でした。
 また参加者は祝日にもかかわらず圧倒的に50代60代が占め、若者の数はほんの一握り。かつて革新勢力がそれなりの希望に燃えていた頃の仲間の同窓会の風景でした。
 県民の集いというなら、公会堂で講演と体験談とコンサートといったマンネリのスタイルを脱して、大量に県民を動員できる方法・企画を練るべきでしょう。

 第一に若者を参加させる工夫がない。(講師の人選から見ても、まったく集客力   の無い選択であった。旬の人でなければ駄目)
 第二に一箇所に集めた、「講演+トーク+コンサート」と言った古い形の集会で   良しとしている事。(県下を地域分けした開催は出来ないのか。)
 第三に各九条を連帯させ家族や若者が参加できる楽しい集いは出来ないのか。
 第四にあいち九条の会のでの現状分析の不足と展望ビジョンの欠如があるのでは   ないか。

厳しい言い方であるがそんな風に感じられた会でした。
 
 
 
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楽石・まもる・保守系さんとも違う観点  

2007年11月03日 17時01分31秒 | Weblog
田中宇さんのブログにこんな文章が載っていました。
とても興味ある観点なので引用します。


日本の特徴は、日本人自身に覇権(国際影響力)を持とうとする意欲が全くないことである。
日本人は、覇権(国際影響力、国際貢献)について、大きな勘違いをしている。
覇権とは利権(金権)であり、国家や国民を金持ちにするための対外影響力なのだが、
日本では政府にも言論界にも「日本が世界で尊敬されるよう、
国際貢献しよう」といった漠然とした概念があるだけで、
利権と結びつけた発想が全くない。

 世界を見ると、米英仏中露など明白に覇権を気にする国々以外にも、
ドイツや韓国、オーストラリアなど、覇権に対してひそやかな野心を抱く国が多い中で、
日本は例外的に、覇権を希求する動きが全く存在しない。
戦前の日本は野心的だったが、覇権を捨てた後の戦後の日本人は、
覇権について理解する知力も失い、自分たちが覇権を求めないことの異例さも感じていない。
覇権を知覚できないので、日本人は国際政治を理解できない。
(これが「敗戦」の最大の意味かもしれない)

 日本人に覇権を忘れさせたのは、第二次大戦終結時の英米の戦略だったのかもしれないが、
日本人は、その戦略にうまく適合しすぎて、覇権のことを忘れたまま、
高度経済成長とその後の先進国としての生活を楽しみ、
もはや覇権なしの国家体制の方が性に合っている。

 日本が覇権を求めないのは「平和主義」の具現化であり「悪い」ことではない。
だが同時に日本は、アメリカがアジアの覇権を日本に渡したくても、
それを拒否して、受動的な対米従属の状態だけを甘受したがっている。
日本政府は、アメリカが中国に覇権を譲渡し(押しつけ)ているのを見て、
対米従属が続けられなくなるので困ると思っているだろうが
「その覇権、中国にやらず、俺たちによこせ」とは決して言わない。
アメリカは、日本が固辞するので、仕方なく中国に覇権を委譲している。


 アメリカは、北朝鮮やミャンマーの問題で、日本政府に国際指導力を発揮してほしいはずだ。
日本が中国と覇を競い、日中の良きライバル関係がアジアの国際政治ダイナミズムになれば、
アメリカは安心してアジアの覇権を日中に譲渡できる。
しかし、日本の決定的な野心の欠如(平和主義)が原因で、それは実現していない。
どこかの国が覇権を担当しないと、世界は安定せず、平和も維持されない。
今後のアジアの覇権は、中国が持つことになる。

 日本は、アジアが中国中心の覇権体制(冊封体制)にあった19世紀まで、
冊封体制にほとんど入らず、おおむね孤立に近い状態にあった。
元寇を例外として、中国は特に日本を自分の覇権下に置こうとはせず、
各時代の日本の政権は、都合の良いときだけ中国に接近し、
それ以外の時は中国と疎遠にして、孤立状態を享受していた。

 このような伝統的な日本の状態を考えると、アメリカがアジアから撤退し、
新冊封体制とも言うべき中国の覇権体制が復活していく中で、
日本が中国の覇権下に入らず、自ら孤立状態へと移行していくのは、
自然なことであるとも思える。
日本とは対照的に、朝鮮やミャンマーは、伝統的に冊封体制下の国であり、
中国の覇権下に入るのが伝統的に自然である。

    理解するのにないと・・・


この考えが正しければ、安倍さんにも、9条派にも
同じ血が流れていることになります。

日本モンロー主義。
あとは国が戦争に巻き込まれないように注意すればOK。









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私の戦争体験 11 へそ曲がり

2007年11月03日 14時32分43秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
名古屋大空襲 2

 父の会社の上司の家が昭和区の高辻と滝子の中間にありました。当面、ここの家の一部屋を借りて住むことになりました。

 ところが、この辺りには「日本碍子」などの工場が沢山ありました。当時は軍需工場にされていました。
 一週間後の3月19日の深夜、この地域が空襲を受けました。
 上司の家は建物の下に防空壕が掘られてました。でも、父はここへ避難することを許しませんでした。もし家が燃えたら、中に入った人間は「蒸し焼き」になってしまうからです。
 といって、入るところはありません。すこし離れたところにある小さな空き地、小公園ともいえるところでしょうか、ここへ避難しました。
 空が丸見えです。近所の人が運び込んだ家具の間から空を見上げているのです。急降下してくるB29の機体が炎を反射して真っ赤になっていること、焼夷弾が花火のように降り注ぐ後継を憶えています。
 少し離れたところにたくさん落ちたのですが、直撃をうけたら即死です。死んじゃうのかなあと思ったりしました。
 幸いにも助かり、家へ戻ったら、上司の家もほとんど焼けていました。もし、防空壕に入っていたらと思うとゾッとします。

 この空襲の夢は60年以上たった今でも夢に見ます。しかも、カラーです。目が覚めると体中が汗びっしょりになっています。


 わたしの平和への願いのささやかな原点がここにあります。《戦争は2度とごめんだ。何としてでも「9条」を守りたい》と願うものです。若い人たちがこんな体験をされないよう、心から願っています。
                      (学童疎開へ続く)
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密室会談って?    楽石

2007年11月03日 11時05分28秒 | Weblog
小沢さんが、福田さんと一回目の会談をしたあと、
記者団に密室会談では?と聞かれ、
見解の相違ですと、答えた。
???と思った。

そういえば、これまでは、小沢・福田会談は
会談の存在すら分からなかった。
本当の密室会談だった。
料亭で行われていた。
それが堂々と、会談を行ったことを明らかにしているのだから、
密室会談ではないと、小沢さんは言いたかったのだろう。

永田町コトバは分かりにくい。

二人は、大連立に誘惑を感ずる最後の世代かもしれない。
日本の近現代の外交では、国論を真っ二つに割ったことはあっただろうか?

60年安保くらいかな?   




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