謝るは誤りなのか S.Yさんの作品
いまから五十年前、画家の吉屋 敬(よしや けい)がオランダへ留学したときの話である。
当時二十歳の彼女が八百屋で買い物をしようと並んでいると、ひとりのオランダの老婦人が険しい顔つきで話しかけてきたそうだ。
「私は戦争中インドネシアで農場を経営し、召使も大勢いて裕福な暮らしをしていた。そこに突然日本軍が来て、私と夫、四人の子どもを別々に収容所に連行して、皆殺された。私だけが生き残って戦後本国に戻れたが、天涯孤独で無一文の身となった。たくさんのオランダ人が同じ目にあった。あなたは日本人としてこの事実をどう思うか?」
敬は驚きで言葉がなかったそうだ。終戦の年に生まれた彼女にとって、戦争は過去のものであった。が、親や周りが「戦争さえなかったら」と、悪夢のように言っていたのは何度も耳にしていた。敬の家族もまた戦争で人生を狂わされ、戦争を憎んでいた。
しかし老婦人が、連綿と訴えずにいられなかった戦争の実態を思うと、年若い敬は困惑し、言葉に窮したものの、思わず「アイム ソーリー」という言葉が口をついて出た。
老婦人は敬の目を覗き込んだ後、「戦争を知らない世代のなんの罪もない若いあなたに、私はなんて馬鹿なことを言ったのでしょう。アイム ソーリー。戦争のことはもう忘れましょう」涙ぐみながらそう言うと、敬の手を強く握り締めて去って行ったという。
敬は戦争に対して自分は鈍感で無知だったと言っている。
その意味では私も同様だ。ただいろいろな思いはよぎる。戦争は勝っても負けても犠牲者は出る。そして双方に果てしない多くの傷を残すのはたしかだ。だが、オランダに限らず、ヨーロッパ諸国はアジアの国々やアフリカを勝手に植民地化して、それらの国の文化を壊して、甘い汁を吸い続けてきた。それらは罪ではないのだろうか。
敬も後に言っている。老婦人にとった私の態度はよかったのだろうか、安易に謝ってよい子ぶって偽善的ではなかったのだろうかと、ずうっとわだかまっていたと。
オランダでは終戦後(ドイツの占領が解かれた五月四日だそうだが)何十年経っても、日本人を恨んでいる人は多いと聞いた。日本人としては複雑な心境だが、戦争とはそういうものだと思うしかないのか。
先の大戦後、この国は平和が保たれてきた。世界の中でも恵まれた豊かな方だろう。私は良い国に平和な時代に生まれ、暮らせることに感謝している。なのに近頃の政治状況はなにやらきな臭く、危うい気がしてならない。いくら自衛のためでも聖戦なんてあり得ないのだ。戦争は唯一、人殺しを賞賛する狂気なものだ。地球上に暮らしているのは人だけではない。自然環境もこれ以上破壊してはならない。
私は戦争や原発起動の反対に声をあげる。デモに加わる。そこから始めることにした。
いまから五十年前、画家の吉屋 敬(よしや けい)がオランダへ留学したときの話である。
当時二十歳の彼女が八百屋で買い物をしようと並んでいると、ひとりのオランダの老婦人が険しい顔つきで話しかけてきたそうだ。
「私は戦争中インドネシアで農場を経営し、召使も大勢いて裕福な暮らしをしていた。そこに突然日本軍が来て、私と夫、四人の子どもを別々に収容所に連行して、皆殺された。私だけが生き残って戦後本国に戻れたが、天涯孤独で無一文の身となった。たくさんのオランダ人が同じ目にあった。あなたは日本人としてこの事実をどう思うか?」
敬は驚きで言葉がなかったそうだ。終戦の年に生まれた彼女にとって、戦争は過去のものであった。が、親や周りが「戦争さえなかったら」と、悪夢のように言っていたのは何度も耳にしていた。敬の家族もまた戦争で人生を狂わされ、戦争を憎んでいた。
しかし老婦人が、連綿と訴えずにいられなかった戦争の実態を思うと、年若い敬は困惑し、言葉に窮したものの、思わず「アイム ソーリー」という言葉が口をついて出た。
老婦人は敬の目を覗き込んだ後、「戦争を知らない世代のなんの罪もない若いあなたに、私はなんて馬鹿なことを言ったのでしょう。アイム ソーリー。戦争のことはもう忘れましょう」涙ぐみながらそう言うと、敬の手を強く握り締めて去って行ったという。
敬は戦争に対して自分は鈍感で無知だったと言っている。
その意味では私も同様だ。ただいろいろな思いはよぎる。戦争は勝っても負けても犠牲者は出る。そして双方に果てしない多くの傷を残すのはたしかだ。だが、オランダに限らず、ヨーロッパ諸国はアジアの国々やアフリカを勝手に植民地化して、それらの国の文化を壊して、甘い汁を吸い続けてきた。それらは罪ではないのだろうか。
敬も後に言っている。老婦人にとった私の態度はよかったのだろうか、安易に謝ってよい子ぶって偽善的ではなかったのだろうかと、ずうっとわだかまっていたと。
オランダでは終戦後(ドイツの占領が解かれた五月四日だそうだが)何十年経っても、日本人を恨んでいる人は多いと聞いた。日本人としては複雑な心境だが、戦争とはそういうものだと思うしかないのか。
先の大戦後、この国は平和が保たれてきた。世界の中でも恵まれた豊かな方だろう。私は良い国に平和な時代に生まれ、暮らせることに感謝している。なのに近頃の政治状況はなにやらきな臭く、危うい気がしてならない。いくら自衛のためでも聖戦なんてあり得ないのだ。戦争は唯一、人殺しを賞賛する狂気なものだ。地球上に暮らしているのは人だけではない。自然環境もこれ以上破壊してはならない。
私は戦争や原発起動の反対に声をあげる。デモに加わる。そこから始めることにした。