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改めて、『日韓不幸の源』    文科系

2015年06月20日 10時19分03秒 | 文芸作品
 現在これを書いている今は台湾滞在7日目の最終日で、台湾師範大学宿泊棟にいる。この7日間、台湾は親日的とよく言われる通りのことを感じてきた。だからこそ、韓国に比べて15年も早く植民地に出来たわけであって、台湾が植民地になったのは1895年、韓国よりも15年も早い。植民地期間は韓国が35年に対して、台湾は50年である。独立王朝を誇ってきた朝鮮は、それだけ植民地化への抵抗も激しかったのだと、改めて振り返っていた。そこで、表記のことを改めてまとめ上げてみた。

『 ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて愚考を開陳してみたい。

 六五年の日韓条約合意、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」について名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。

 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力を使ったかという歴史認識について、日韓間には大差がありすぎるのだから。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈だ。この数年僕も調べてみたが、日本が韓国に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまでさかのぼることができる。これは、「ペリー来航・即首都への川をさかのぼり砲撃しつつ侵略」と言えるようなものであって、韓国にとっては大事件であった。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。日本軍隊が平時の常時外国駐留を認めさせたのも朝鮮が初だし、九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者・三浦梧楼日本公使のこの残忍な行為に顕れた反日への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕は思う。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記している。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、三五年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないと思う。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。

 
 江華島、東学教徒反乱、王妃暗殺、安重根・・・、植民地化に至るまで強圧・反乱鎮圧という悪循環的エスカレートを繰り返していくこれらに類した事件・惨事は、これらの間にも他に山ほど続いていく。こういう日本統治史の象徴とも言えるのが、政治犯刑務所。この残酷きわまりない統治、治安機関は、繁盛を極めていくばかりであった。一九一〇年の朝鮮併合は、こういう四十年近い歴史の一つの結末なのである。
 併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。』
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朝鮮日報より   らくせき

2015年06月20日 10時15分58秒 | Weblog
北朝鮮で100年ぶりの大干ばつが発生し、大きな被害が出ていることがわかった。中国や日本など周辺国などのメディアも関心を示し、特に干ばつが北朝鮮政府に及ぼす影響について鋭意注視している。


 北朝鮮の朝鮮中央通信は16日「朝鮮各地の農村では、100年ぶりの干ばつで大きな被害が発生している」と報じ、その深刻さを訴えた。同通信は「8日に集計された資料によると、すでに田植えを終えた44万1560町歩以上の水田のうち、13万6200町歩以上で稲が枯れている」「穀倉地帯の黄海南道では水田の80%、黄海北道でも58%が干上がっている」などと伝えた。北朝鮮が国営通信を通じて海外にこのような現状を伝えるのは異例だ。


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