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新聞の片隅に載ったニュースから(201)  大西五郎

2015年06月07日 13時58分43秒 | Weblog
「立憲主義の危機」シンポに1400人 憲法学者批判続々(15.6.7 毎日新聞)

安全保障関連法案の衆院審議が続く中、京都大学名誉教授で憲法学者の佐藤幸治氏が6日、東京都内で講演し、「憲法の個別的事柄に修正すべきことがあることは否定しないが、根幹を変えてしまう発想は英米独にはない。日本ではいつまでぐだぐだ(根幹を揺るがすようなことを)云うのか、腹立たしい」と述べ、憲法を巡る現状へのいらだちをあらわにした。法案を巡っては4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦の参考人・長谷部恭男氏を含む憲法学者3人全員が憲法9条違反だと批判。自民は当初佐藤氏に参考人を要請したが断られ、長谷部氏を選んでいた。
佐藤氏は「(憲法という)土台がどう変わるか分らないところで、政治と司法が立派な建物を築くことはできない」とも語り、憲法の解釈変更で安保法制の整備を進める安倍政権への不信感をにじませた。
講演は「立憲主義の危機」と題するシンポジウムで行われた。続く討論で安保法制について、樋口陽一・東京大名誉教授が「(関連法案の国会への)出され方そのものが(憲法を軽んじる)非立憲の典型だ」と、また石川健治・東京大教授が「憲法9条の論理的限界を超えている」と、憲法学の立場から政府のやり方を厳しく批判した。
会場の東京・本郷の東京大構内では、開始前に700人収容の会場から人があふれ、急きょインターネット中継を利用して300人収容の別会場が用意された。だが、そこも満員で立ち見が出る盛況ぶりで、最終的に約1400人が詰めかけた。開始20分前に付き、別会場に誘導された埼玉県入間市の日本語教師の男性(66)は、「安保法制の進め方は民主主義とは違うと感じていた。それが確かめられ、すっきりした」と満足そうに話した。
主催した「立憲デモクラシーの会」は昨年4月に設立され、樋口、石川両氏のほかノーベル賞を受けた理論物理学の益川敏英氏など日本の代表的知識人約60人が呼びかけ人に名を連ねている。

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政府が国会に提案した安全保障関連法案について、日本の憲法学の第一人者の人たちが「憲法違反」と批判しています。また3日には愛敬浩二名大教授らが呼びかけ人となって「安保法の廃案を求める声明」を発表しましたが、170人を超える学者が賛同を表明しています。昨日のシンポジウムへの市民の参加状況を見ても、多くの国民が政府の強引なやり方を批判していることが分ります。
きょう(7日)の中日新聞は「『行使基準』から『違憲性』へ安保法案審議の焦点移る」として、これまではどういう状況なら集団的自衛権の行使がゆるされるかの基準に議論が集中していたが、法案の違憲性に論議の潮目が変わった。政府側は「憲法解釈は行政府の裁量の範囲内と反論しているが、この説明は「政府が合憲と判断したから合憲だ」と主張するに等しいと政府を批判しています。国会の審議状況を監視していきましょう。
                                              大西 五郎
コメント (7)
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今ひとつ、安倍政権の愚かさを   文科系

2015年06月07日 07時03分22秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 昨日のコメントを改めてエントリーにしたい。安倍政権の得手勝手さ、愚かさの証明として。管官房長官のある言動についてなのだが、「日本に3人しかいない?アベ憲法解釈への賛成法学者」を「たくさんいる」と強弁した管さんの、面目躍如たる発言である。こんな態度では、ヘイトスピーチも無くなるわけがないし、日韓関係は永久にうまくいかず、その責任はあげて日本側にあるということにしかならないだろう。


【 興味のある方は・・・ (文科系)2015-06-05 14:10:05
 この日韓(憎悪)関係のことを去年の5月15,17,18,23日とここに4回連載している。その3回目に「韓国義士 安重根」のことを書いた文章があるから、抜粋させていただく。

『 こういう(対朝鮮制圧)諸事件の一つの結末が、1910年の朝鮮併合である。韓国ではこの併合のことを普通に、その年の呼び名を付けて「庚戌国恥」と呼んでいる。安重根事件はその前年のこと。1909年にハルピンで日本朝鮮総統・伊藤博文を暗殺したのである。記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記していた。

 さて、この「義挙」に関わってこの1月、日本でこんな出来事があった。伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が安重根記念館を開館して韓国が謝意を表したという問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反発意見を表明したのである。正式抗議もしたようだ。どっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題のようだが、安倍政権のこの態度を以下のように批判したい。

 当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。が、35年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたい。これで言えば、前回に書いた日本による江華島事件などはどう批判したらよいのか。国際法に違反して一方的に首都近くまで艦砲砲撃を進め、城や民家を焼いて35人を殺しているのである。これだけでも安重根の罪よりもはるかに重いはずだ。前にもここで述べたことだが、安重根テロリスト論はさらに、こんなふうに批判できると思う。

 さて次に起こるはずのこの理解はどうか。
「ならば、向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」
 僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。
 こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる。

 全く安倍政権はどういう外交論理を持ち、どういう神経をしているのだろう。相手の立場の尊重という一片の理性も見えず、言ってみるならば「人間関係はケンカ、対立が当たり前。こちらの論理を語るだけ」と述べているに等しい。社会ダーウィニズムを思い起こさせるような幼稚さだと思う。』】

 社会ダーウィニズムとはこういうもの。今の世を生きる実感、感性にも合致しやすい理論と言えると思う。既に誤りだと明らかになっているこんな理論なのだが。
 動物の進化は適者生存から起こった。弱肉強食世界を生き抜いていくための適応の必要から自分の身を上手く変えた動物が生き残り、また栄えてきたという理論である。それを人間社会にも適用したものが社会ダーウィニズム。人間やその社会、国家などでも、この競争と優勝劣敗法則、変身適者理論が支配すると説くものである。こういう理論からすれば、国家関係も対立か利用かしかないということになるはずだ。国の間の相互理解とか友情とかも、利用手段としてしか存在しないというように。
 過去に強者の立場だった者が、自らが虐げた弱者の立場だった者にこんな理論で対すれば、相手が怒るのは当たり前である。
コメント (8)
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