九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

朝鮮日報より    らくせき

2015年09月01日 18時57分26秒 | Weblog
英フィナンシャル・タイムズ中国語版は31日、「中国の軍事パレードをめぐり、米中日露4カ国が『四国志』状態となっている」と報道した。中国の大国アピールと米国のアジア重視政策の衝突に加えて関係各国の戦略が入り乱れ、確執が生じているというのだ。また、「米国は不安、日本は不服、中国は不満、ロシアは不虧(損することはない)」と分析した。


 米政府は、中国の域内覇権主義や軍事大国化などがアジア・太平洋地域に不安をもたらし、世界平和にも影響を与えるものと見ている。バラク・オバマ大統領は早々に軍事パレード出席を拒否し、周辺国にも同様の行動を求めた。


 日本は軍事パレードそのものが気に入らない。軍事パレードの名称に「抗日戦争勝利」という文言が付いているからだ。同紙が指摘しているように、日本は太平洋戦争に中国のせいで負けたわけではないので、中国の「抗日戦争勝利軍事パレード」は受け入れられないのだ。日本は31日にも潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の出席に対しあらためて批判した。


 欧州各国の多くの首脳も、今回の軍事パレードに出席しない。米国とほぼ同じ考え方をしているためだ。その一方でロシアは、中国が欧米などの西側諸国から孤立すればするほど中国との関係を強化できるため「悪くはない」と考えている。
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随筆 日韓不幸の源   文科系

2015年09月01日 15時32分16秒 | 文芸作品
 随筆 日韓不幸の源

 ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて愚考を開陳してみたい。

 六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が韓国に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。これは、「ペリー来航・即首都への川をさかのぼり砲撃しつつ侵略」と言えるようなものであって、韓国にとっては大事件であった。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。日本軍隊が平時の常時外国多数駐留を認めさせたのも朝鮮が初だし、九五年には、こんな大事件も起こった。
 夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた朝鮮の反日行動に対する日本側の憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕は思う。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、三五年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。

 一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末なのである。併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいない。

(本年6月23日、初出)
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朝鮮日報より   らくせき

2015年09月01日 12時42分44秒 | Weblog

日本の海上自衛隊が今月27日に進水させたヘリコプター搭載護衛艦に「かが」と命名したことに対し、中国が強く反発している。第2次世界大戦中の日本の主力航空母艦「加賀」と発音が同じという理由からだ。中国共産党機関紙「人民日報」の国際版・環球時報など中国メディアは「日本で右翼の勢力が強まる中、軍国主義を連想させる軍艦が生き返った」と批判した。なぜ中国は「かが」という名前にこれほど拒否反応を示すのだろうか。


 台湾の日刊紙・旺報によると、中国人たちはかつて、空母「加賀」を「悪魔艦」と呼んでいたという。第2次世界大戦当時、日本には「赤城」「飛竜」などの空母があったが、その中でも「加賀」は主に中国侵略のために投入されていたからだ。


 空母「加賀」が初めて実戦に参加したのは、1932年に中国と日本が上海付近で軍事衝突した「第1次上海事変」だった。世界の海戦史上、空母が実戦に参加したのはこれが初めてだった。その後も「加賀」は、日中戦争の発端となった37年の盧溝橋事件など、主に中国との戦闘に参加した。41年にはハワイの真珠湾攻撃に参加したが、米海軍が太平洋で初めて日本に勝利した42年のミッドウェー海戦で「加賀」は沈没した。


 空母「加賀」と護衛艦「かが」は、名前が同じだけではない。全長も248メートルでほぼ同じだ。「かが」は名目上はヘリコプター搭載護衛艦だが、有事の際には垂直離着陸ステルス戦闘機F35Bを搭載し、「加賀」のように空母として使用することもできる。一方、日本の当局は「『かが』は石川県の旧国名で、同県の都市の名前でもある。四つの候補の中から中谷元・防衛相が決定した」と説明した。


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