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ハリルジャパン(24) 国内組との違い   文科系

2015年09月04日 19時40分56秒 | スポーツ
 カンボジア戦は30いくつかのシュートチャンスを作った。そして、3得点。これについての見方をどう持つか、それがこのゲームで評価が分かれる最大のポイントだと思う。「30チャンスで3得点」と見るか、「30もチャンスを作った」と観るかということだ。

 僕は、国内組では到底こうはいかなかったと思う。アジアカップを覚えていれば分かることだが、昨夜のゲームは敵にボールを奪われた場合の反転が、国内組に比べてずっと厳しかったと思う。すぐにボールを奪っていたから、相手はこちらの陣地になかなか来られなかったほどである。この点はハリルが、国内組、というよりもJリーグのぬるさ、欠点としてずっと指摘してきた所だ。

 現代サッカーは、ボールが奪えなければ、その奪取が出来るだけ前の方で出来なければ、始まらないのである。バルサの出現を経て、近年はドルトムントのサッカーが、ブラジル大会を以前の大会とは全く別物にしたと言えるほどなのだから。Jリーグの最も旧式の点はこの弱さである。一言で言えば、相手ボールへの詰めが甘い。
 ちなみに、ヨーロッパへ移籍した日本選手が最も苦労する点もここなのである。宇佐美ほど得点力がある選手でも、ボール奪取に関わる守備が出来なかったからドイツにはいられなかった。逆に、西欧に定着した選手にはこれだけで飯を食っている人もいる。細貝がその典型だし、長谷部もこの部類に入るだろう。長谷部曰く、「鬼監督・マガトの指摘によって、守備の体力を付けることだけで1~2年が必死だった」と。

 5バックにした上に、あれだけゴール前を固めた相手に対して「30もシュートチャンスを作った」。そこは凄く評価したい。それが出来たのは更に、敵にボールを奪われたときにすぐに前の方で取り返せたという守備の厳しさにあったと評価したい。
 あとは、こういう覚悟だろう。アジア相手にはこれぐらいチャンスが作れると見込んで、それでこそ余裕を持ってシュートも打てると。ただ、香川が中へ入りすぎたり、武藤が前に出すぎたりしていたのは頂けない。皆が目一杯シュートを狙うのではなく、それぞれの仕事をまずすべきなのだ。ハリルも狙っているという中距離シュートならば、全員の仕事だろうが、第一のシューターはハリルが「ペナルティーエリアにいて下がってくるな」と命じた岡崎の仕事。現在までの実績や、ハリルが岡崎に与えた任務から言っても、周囲は彼をリスペクトしなければならない。その両脇とかすぐ後ろとかは、彼にスルーやクロスを出し、次に彼と連携して点も取ると。その意味では、岡崎によいボールがほとんど行かなかったのは周囲の責任とも言えて、これが全く頂けない。「俺が俺」が強すぎて、帰って失敗を重ねることになったのではないか。点が入らない一因として、チーム戦略がこのように乱れていた現実がなかったか。

 
 
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中央日報より   らくせき

2015年09月04日 09時31分58秒 | Weblog
場面1
4年前、苦労して大企業に就職した。ソン・ミンホさん(32、京畿道城南市)の喜びはつかの間だった。きつい業務とストレス、解決方法はなかった。友人の慰労の効果も長くは続かなかった。「休職と転職を真剣に悩んだ」。脱出口は意外にも「古典」だった。昨年、「20・30代の古典の会」に入った。毎週『論語』や『孟子』を勉強した。そして古詩「人生不満百 常懐千歳憂」(人生は百年を満たせないが、常に千年の憂いを抱く)という一節に接した時、胸のつかえが取れた。「全く予想外のところで癒やされた。古典を読んで討論しながら、世の中を見る目が徐々に開かれていった」。

場面2
「子どもたちはなぜ言うことを聞かないのだろうか」。中学校の国語の教師イ・ヘンミンさん(44、光州広域市)は生活に疲れていた。「いくら生徒を叱って指示しても変わらなかった」。学校生活は虚しく、生活の意味も感じられなかった。悩んだ末、同僚の教師と哲学書籍を耽読した。哲学の教授を招待して講演を聞き、「暴力の最小化、自由の最大化」という話を聞いて考え方が変わった。「哲学は一つ事案もさまざまな視点で見る。そこから多くのことを学んだ」。以前は問題が多い生徒をただ「問題児」だと考えた。「なぜか」は問わなかった。「哲学に接してからは『その理由』を探すようになった。どんな環境や事情があってそうなったのか」。その後からは生徒との関係が良くなった。イさんは「今は学校生活が本当楽しい」と話す。

大韓民国は光復(解放)後70年間、産業化と民主化の両輪で前だけを見て走ってきた。そこには自分の生活を振り返る人文学的な省察が割り込む隙がなかった。チン・ジュングォン東洋大教養学部教授は「時々、CEOを対象に人文学の講演をする。周囲の目ではあらゆることを成し遂げた人たちだ。しかし実際に講演会場に行けばその方から『生活の虚しさ』が感じられる。それを満たすためにここに来たのかという思いになる」と話した。

国内で人文学の門を叩く人が増えている。余裕がある人たちの「ぜいたく」程度と見られる時期もあった。今は人文学の大衆化時代ともいえる。特に「講演人文学」が主軸となっている。有名講師の講演にショッピングセンターでも容易に接することができる。にもかかわらず人文学の需要者は依然として受動的な姿だ。「生活人文学」への進化が今後の課題として提起される。全南大のチャン・ボクドン教授(哲学科)は「あちこちで自発的な人文学サークルが出てこなければいけない。また、参加者が発表者となる自己主導的な人文学が活性化しなければならない。そうなれば、自分の生活の問題を解決し、生活の質を高めるうえで実質的に寄与する」と強調した。


生活の質は「真の3万ドル時代」の必要条件だ。北欧では日常の人文学が生活の隙間を満たしている。スウェーデンは人口全体の60%が自発的に人文学サークルに参加するほどだ。スウェーデンで26年間過ごしたファン・ソンジュン慶南教育研究情報院長は「地域の隣人、職場の同僚と本を回し読みして討論する文化がスウェーデンでは自然な日常だ。それ自体が幸せな生活だ。幼い頃から本を読んで自分の考えを述べる文化が形成されている。人文学が生活の中に深く溶け込む背景だ」と述べた。

一言で人文学の力だ。その力は生活の質にとどまらない。例えば人文コードは韓国料理にも適用される。米ニューヨーク・マンハッタンで5年前に精進料理グローバル化行事が開かれた。韓国の各寺院の料理が盛大に準備された。仏教曹渓宗(チョゲチョン)は味と形にこだわった。ところがニューヨーカーの反応は違った。「私たちは飲食に込められたストーリーを期待していた。韓国の歴史と自然、その中に込められた哲学を味わいたかった」と語った。飲食に「人文解説」という料理材料が抜けていたということだ。韓国料理の味と形に劣らず、そこに込められた「哲学」も重要な吟味ポイントだった。

人文の精神は韓流、デザイン、伝統文化遺産、ファッションなどと結合する時、さらに大きな力となる。漢陽大のパク・ギス教授(文化コンテンツ学科)は「その間、韓流はエンターテインメント産業に限定されていた。韓流は今後さらに一歩踏み出さなければいけない。韓流が文化全般に拡散するためには人類の普遍的な人文精神を込めるべき」と述べた。そうしてこそ「持続可能な韓流」が可能だと語った。

人文学は生活の中の香りだ。3万ドル時代は人文の香りが日常に染みこむ。「群鶏一鶴」でなく「群鶏多鶴」の時代ともいえる。放送通信大のユ・ボムサン教授(行政学科)は「人文学ブームが一過性の教養に終わってはいけない。今は『生活人文学』を通じて誰もが人文学を勉強し、誰でも『個人人文学者』になることができる」と強調した。

コメント (2)
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