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ハリルジャパン(38) 組織的精緻!サンフレッチェの闘い  文科系

2015年12月14日 13時53分19秒 | スポーツ
 現在日本で進行中の世界クラブ・カップ戦の、サンフレッチェ広島ここまでの2戦を観た。ここまで心を動かされたゲームは近年覚えがないというのが僕の気持ちであり、「何と精緻な戦い方か!有り難う、サンフレッチェ!」とさえ叫んだもの。どこがそうなのかを書く前に、本当に腹が立ったテレビ局への大苦情を先ず書いておく。
 
 どこのどういうプロデューサーがこの放映番組を作ったかは知らないが、これだけのゲームの後の監督談話をば、途中で打ち切ってしまった。その後広告を入れて、さらにまだ場面放映時間も取っていたにも拘わらずである。馬鹿と違うか!と言いたい。これはもう、日本サッカー(その代表チームだ)とサンフレッチェ、森安監督への侮辱とさえ言いうる。あんなことをしたプロデューサーは僕が上役なら、減点・降格にする。日本サッカー協会はあのキー放送局に抗議すべきだ。それが筋というものである。サッカー現場を原則的な意味で喜ばせて、なおかつ数々の良い波及効果が生まれる抗議、措置のはずだ。

 さて、アフリカ代表クラブ・マゼンベ戦である。
 前半の20分くらいまでのマゼンベは、攻めた、攻めた! 得意の基礎体力、凄まじいスピードに物を言わせて、これでもかという勢いだった。身体のスピードばかりではない。パスも速いし、判断も速く、ボールを回す技術もあった。
 対する広島は、この20分をどう戦ったか。ゲーム前から公約していたようにただ一言、「闘いに負けない」。これである。ちなみに、日本チームが外国とやる場合、代表戦でも実はここで負ける。アジアチャンピオンズリーグでも、初めて出る日本チームなどはまず例外なく、ここで躓く。特に、相手からボールを奪う、あるいは、奪われない、そういう1対1局面で勝ちきることが外国勢とやる場合の肝腎のこと。広島をこれを見事にやってみせた。

 前半20分を過ぎ、25分ほどになってくると、広島のこの点が少しずつゲームを優位に変え始めたのである。なによりも、マゼンベよりも選手1人1人の視野がちょっと広いのである。相手の動きを見定め、1対1の闘いになりそうな局面において、広島の方が少しずつ位置取り・出足がよくなって、言わば相手を見切り始めていく。広い視野に裏付けられた精緻な組織技術と言ったところだろう。ワンタッチパスが多用され始めたのが何よりのこの証拠で、そう思ってみていたら44分に1点。右コーナーキックから速いニアへのクロスをフリック・ヘッド。と言っても、ほとんどコースを変えないストレートなファーへのパスになった。これに走り込んだ1人がゴール前でちょこんと合わせた。
 後半に入っても11分、右コーナーキックを中央の高いヘディング得点。33分には3対0である。

 準々決勝相手は、南米王者・アルゼンチンの名門・リーベルプレートである。これだけの相手が、このゲームを全員一塊で観ていたのだから、容易な予測など到底できない。が、これは相手も同じはず。広島の視野の広さ、精緻な組織を十分に確認したはずであって、出だしは極めて慎重な闘いになるはずだ。まー、相手の個人技対、精緻な組織の闘いとまとめられようが、楽しみで仕方ない。広島には視野の広さに裏付けられた戦略の柔軟さを感じるからである。
 もう一方の準決勝は、アジア代表クラブ・中国の広州恒大がFCバルセロナと闘う。ガンバ大阪がアジア準決勝で惜しくも敗れた相手・広州恒大がバルサ相手にどれだけやれるか、これはこれでまた大いに期待している。この金持ちチームには、ブラジル代表、あのパウリーニョがいるのだし。
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随筆紹介 万葉からだ歌(九) 「足」靴はけ我が背    文科系

2015年12月14日 12時59分31秒 | 文芸作品
万葉からだ歌(九)「足」靴はけ我が背   N・Rさんの作品

 朝戸出の君が足結ぬらす露
 はやく起き出で我も裾ぬらさな
(十一・二三五七)
──朝早く帰って行かれるあなたの足を濡らす露よ。私も早く出て裾をぬらしてお送りしよう。君をぬらす同じ露で──

 足も手とおなじように、よく動いてよくしゃべる。「手足をもがれる」「足手まとい」「足がつく」などと。手はからだの上(カミ)、足は下(シモ)。そんな意識からか、後年になると、下の足は、手よりも扱いが悪くなってしまった。「足げにする」「あげ足をとる」「蛇足」「逃げ足が速い」「足軽」等、きりがない。

 この点、万葉時代は、まだ上下の意識が希薄で「足」「脚」の分け書きを上手に使い分けて情緒的な足の方が多い。「日脚が長くなる」「雨脚に追われて」「足りたるを知る」ときれいに詠み込んでいる。
 現代、女性の美しさをたたえる「脚線美」に近い言い方で「白きすんなりのおみ脚」「仏足にぬかずきて」と、まで。

 それでも、欧系の人が大切にしている足とは、少々考え方がちがう。洋画などでは、男女がホテルに入ったとき、最後に女が脱ぐのは靴とストッキング。これが合意のサインになっている。日本では、女が男の前で靴を脱いだからといって、そんな意識は、もうとうない。靴などは、玄関先で、とっくに脱いできている。外は土足、家の中では素足が暮らし向き。

 信濃道は今のはり道刈りばむに
足踏ましむな沓はけ我が背
(十四・三三九九)
──信州の新しい道は、切り株がたくさんある。これに足をとられて怪我などしないでください。あなたは靴を、馬にもわらじをはかせてやってほしい。くれぐれも足元にお気をつけて──。



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