万葉からだ歌-(十五) 「からだ」痩せと太っちょ N・Rさんの作品です
石麻呂に我物申す夏痩せに
良くというものそ鰻捕り喫せ
ーーあなた、痩せすぎです。どうぞ鰻でも食べて大切な体を太らせて下さいーー
ほかにも、朝影のように細くなった私の体、あなたに恋い焦がれているからですーーなどと太った、痩せこけてしまった体の歌は多い。それでも手足、指、胸、髪のおしゃべりに比べると「体」表記は無口にちかい。これは体のことらしいと感じさせるくらいのこと。
これについて宮地敦子さんの『身心話の史的研究書』によると、「からだ」は「から」のこと。漢字で書けば「殻」で、内部の魂が抜けてしまった「からっぽ」を言う。だから、万葉、平安末期の文章言葉だと、死体、「亡骸」=なきがら=。喜んで使われなかったのは当然だと力説する。
そうなんだ、英語ではボディ、車なら車体のこと。中身を包む周りのもの。ラテン語、これも、何かが抜けてしまった「コープス」=死体という意味=。・日本古語に多く現れなくて当然かも。
「体」「身体」「躰」と書いて「からだ」と読ませ、「肉体」「体を張る」「体格」「体力」などの慣用語が生まれて日常語になったのは、いつごろからだろう。
これぞ明治の「国民皆兵」「富国強兵」の思想によるものだ。「体格」「体力検査」をして運動能力を調べ、国民すべてを甲乙丙丁とふり分けて、これを“体力は国力なり”とした。国策だからと学校教育、スポーツを通して軍事国家への道をひたすら押しすすめてきた。
身体一つ我がものにあらずーーそんな怖い時代が長かった。
それなら万葉集の恋の歌一首の方がやさしく、平和でよい。
わけがため我が手もすまに
抜ける茅花そ召して肥えませ
ーーこの薬草ツバナは、あなたのために春の野で摘んできました。これを食べてもっと太って下さいませーー
わが君に我は恋ふらし賜りたる
茅花を喫めどいや痩せに痩す
ーーせっかくの薬だから、ありがたくいただいた。でも、君に恋い焦がれている私は、さっぱり太りませんーー