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随筆紹介 万葉からだ歌(八) 「手」情愛に解れる  文科系

2015年12月12日 12時21分41秒 | 文芸作品
 万葉からだ歌ー(八) 「手」情愛に解れる   N・Rさんの作品

 稲掲けばかかる我が手を今夜もか
殿の若手が取りて嘆かむ
──”かかる”は手のあか切れ。働く私の手は美しくない。それでもやさしい若さまは「可愛いね」と解れさすってくださる──

 万葉歌の情愛は、考えるよりも、まずは感じるが先。だから、見る、聴く五感のなかでも、相手を知り合ういちばんの手だてとしてきた。絆も解れ合いで育つ──が日常生活のなかに生きてきた。手が解れて、強く握りあえば握手。親密度が深まると。

なるほど、多くの人は、しきりとさわりたがってきた。どこの神社にも”おさわり地蔵”とか信仰を得る宝石があって、特有のふれる手の文化に育ててきた。原点は、手当て、手厚い介護で、誰もが祖母、父母の手で解れさすられて癒されてきた。
 手こそが人間の情愛を伝えあうものとして、手相でその人の定めをさぐる。手形、手切れ金、手を結ぶ、救いの手、手ぬかり、相手にしない──など、手は多弁、雄弁。万葉東歌の一首にも、こんな詩がある。
 多摩川にさらす手作りさらさらに
 なにそこの児のここだかなしき
 ──”さらさらに”はやさしく、”ここだかなしき”は、こんなにいとしいの意──
 江藤淳の作品「妻と私」のなかには、病床の妻を見舞いに来た友人のひとりが、いつまでも、いつまでも病人の手をさすって語りかけ、夫を感動させる。

もう一首万葉歌を──
万代に心は解けて我が背子が
 揉みし手見つつ忍びかねつも
 ──仲直りした女が「これからは、もっと大切にしようね」と、手を捻り合う。その痛みさえも、忘れまいとする愛の証しだったにちがいない。
 手荒に手でふりはらうより、招き猫よろしく”まねく”の方が姿が美しい。

コメント (2)
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