WBCを昨夜観たら、相手のチェコってアマチュアチームだったから、思わず笑ってしまった。アメリカ・大リーグにいたとか、米大学で野球選手だったとかの選手がいても、それで世界大会って?? 例えばボクシングでこんなカードを組んだら、井上尚弥の相手などは殺されるかもしれないのである。そんなゲームが、ゲームとして果たして成り立つものなのか? それも世界大会として?? 組んだ人々はそう思わなかったのだろうか。これも、野球プロがある「数少ない国」のうちのいくつかが相談しあった商業主義の所業なのだろうなどと思い沈んでいたところだ。
サッカーでも商業主義は嫌われる。イングランドサッカーが世界的人気があるのは、用具費がかからないことの他に商業主義臭が比較的少ないことがあるからなのだと思ってきた。だから逆にサッカーが世界に広がり、今やアメリカや中東の富豪から高く買われ始めたというのが、なんとも皮肉である。観るスポーツ、娯楽としてのスポーツも、アマチュアスポーツとてを携え合って進んでいくべきなのだと希望する。
野球選手には何の恨みもなく、昔の落合、今の佐々木などは純粋に凄いと思うが、その商業主義は嫌いで、これが真のスポーツを毒してきたとずっと考えてきた。都会ではアマがなくなったに等しい相撲などは、廃れていく一方だろう。大相撲など、タニマチがいなくなったら、もうすでに即潰れるんじゃないか。あの懸賞金という制度など、何か露骨すぎて嫌いだ。今のスポーツとしてはもう野暮で、垢抜けてないというもの。「懸賞金いくつあった??!」って?
「ネイマール」で有名になった時にネイマールについてここで、「イングランドサッカーはもう決してネイマールを取らないだろう」と書いた事があるが、これは現実のこととなった。世界的名選手ネイマールが、その全盛期にイングランドではもうプレーできなかったわけだ。ブラジル・サッカーの習慣「マリーシア」の結末なのである。