
今回の戦跡巡りは、東海放送人九条の会の企画に参加させていただいたという非常にラッキ ーな戦跡巡りでした。その様子を何回かに分けて報告します。
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幸い天候もよくなり曇りがちでしたが見学には絶好の日和となりました。
碑や像のある半田市雁宿公園に集合したのは、昭和区九条の会七名、東海放送人九条の会四名、現地案内の半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さん・榊原さんの計十三人でした。
☆半田戦災犠牲者追悼記念碑と殉難学徒之像 これらは伊勢湾が遠望できる小高い丘の上にあって、両方とも花が手向けられていました。
A半田戦災犠牲者追悼平和記念碑
半田は中島飛行機製作所があり米軍の攻撃目標とされました。1945年七月二十四日午前十時半空襲が実行されました。曇りなので当時のレーダーに正確に映らず78機のB29が投下した2140発の250キロ爆弾が工場とその周りの集落に落され、一種の無差別攻撃となりました。
此の時同時に多数の戦闘機による銃撃もあり犠牲者が増えました。
犠牲となったのは工場に働く工員学徒、付近の集落、学徒女子寮の生徒など270人以上が犠牲となりました。終戦三週間前でした。
碑は終戦50周年記念に市民の寄付で建立。なおここには、その他の戦争犠牲者を含め437名の名が刻まれています。
B殉難学徒之像 平和記念碑の隣には、終戦間際にここを襲い、中島工場などで働いていた多くの学徒97名を追悼するブロンズ女神像が1959年に遺族によって建立された。
このほか、近くに建てられている地元の文学者小栗風葉の碑の説明などもあり、半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さんの眼前に浮かぶよぅな詳しい説明に参加者全員時の経つのも忘れました。
何故、アメリカは原爆を二つも落としたのでしょう。一歩譲って長崎か広島のどちらかでも良かったと思います。もう日本の敗戦は、決まっていたのも同然でした。
保守系さんは、それを承知ですか?
まあ結局占領したほうが、強いのでしょうか?
尖閣列島も自衛隊や民間人を上陸させるのが一番良いのです。
但し戦争の良い所は決着がつくことです。ひとまずですが・・。
どちらが仕掛けたのか?
それも大切でしょうが、その戦いがもたらした
戦禍を知り、戦争の悪に想いをはせるべきでは ないでしょうか。
問題は、何故、イギリス・アメリカ・フランスなどと戦争にいたったのかを学ぶべきでしょうね。日本が何か米国・英国に先に戦争を仕掛けたのでしょうか?日本が先にしかけたならその理由があるはずです。