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桜井よし子さん、お気を確かに。    リベラル21の田畑論文より

2007年07月18日 20時51分11秒 | Weblog
すっかり保守系論客のスターとなっている桜井よし子がまたまた珍説・暴論を披露しているようである。それを痛快に批判した一文が私の愛読するプログ「リベラル21」の田畑氏によつて書かれている。是非紹介したい。 -ネット虫ー

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またまたこの問題だが、6月14日の米紙『ワシントン・ポスト』に日本の評論家や国会議員が「事実」と題する全面広告を出し、それがかえって米国内で反感を買い、決議を成立させる方向に働いたとされる、その広告について発起人の一人の桜井よし子氏が『文藝春秋』8月号にその内容と意図を紹介してくれたので、今回はそれに絞って取り上げる。

 桜井さんの文章は「米国民に訴える『慰安婦』意見広告」と題するもので、まずマイク・ホンダ議員の「決議案には事実関係において決定的な間違いがある。アメリカの心ある政界や知識人に『事実』を伝えなければ、永遠に日本は誤解され続けるという思いから、意見広告を掲載する運びとなった」と、その意図を説明する。

 そしてその決議案の決定的な間違いとは、「日本国政府は(戦争中、アジア及び太平洋諸地域で)世界に『慰安婦』として知られる、若い女性を日本帝国陸軍が強制的に性的奴隷化したことに対する歴史的な責任を、(認め、謝罪すべきである)」という部分であるという。

 「広告」は「FACT 1」から「FACT 5」までを挙げて、反論を加える。

 「FACT 1」を引用する。「(前略)数多く保管されている戦時中の内閣や軍部の通達を調査した結果、強制的に慰安婦を募集したという文章は存在しませんでした。その逆に、本人の意思に反して慰安婦にしてはならないとの指示が数多く業者に出されています。一例を挙げれば、一九三八年三月四日陸支密二一九七号では募集に当たっては軍部の名前を不正に利用したり誘拐に類する方法を用いたりしてはならないとしています。またそのようなことをした業者は処罰されている例があると警告しています。一九三八年二月十八日の警保局警発乙第七七号は慰安婦募集に際しては国際法を遵守すること、また婦女売買や誘拐などを禁じております。(後略)」

 「強制したという通達は存在せず、逆に強制してはならないという指示が出されている」というのが挙げられた「事実」である。この「事実」から、「したがって、強制はなかった」というのが、桜井さんたちの出す結論である。しかし、桜井さん、気を確かに持って欲しい。通常「なになにしてはならない」という指示なり、命令なりが出されるということは、そういうことが「おこなわれているから」だと考えるのが、常識というものである。おこなわれてもいないことをあらかじめ禁止するというのは奇妙だし、現に引用した中にすでに「そのようなことをした業者は処罰されている」とあるではないか。つまりせっかくの「FACT 1」も、論理的には「強制は存在した」と物語っているとしか解釈しようがないものでる。

 それから「内閣や軍部の通達」に強制的に募集したという文章がないということが挙げられているが、これも至極当然である。一方で「してはならない」と言いながら、もう一方でその禁止した行為を「した」という文書を作ることはありえない。およそ官僚組織において、ある行為を「した」という文書がないからといって、そういう行為がなかったとか、ないとかいう結論を出すことは馬鹿げている。それは後世の人が現在の官庁の文書を調べて、「業者に談合をさせるな」という通達はあるが、「談合をさせた」という文章はなかった。だから「官製談合はなかった」と決論するようなものである。

 「FACT 1」について、もう1点。「軍部の名前を不正に利用したり」が禁止されている。これも雄弁な一句だ。不正に利用しなければ、軍部の名において慰安婦を募集することが公認されていたことを自ら明らかにしている。桜井さんたちがことあるごとに否定しようとしている「軍の関与」が本当に存在しなかったならば、「慰安婦の募集に軍部の名前を出すことは一切まかりならぬ」という通達が出ただろうし、もっともそうであれば、募集方法に軍があれこれ注文をつけること自体、説明がつかなくなる。

 続く「FACT 2」は、本人の意思に反して強制的に女性を慰安婦にした業者が警察に処罰されたという、一九三九年八月の『東亜日報』(朝鮮の新聞)を紹介し、これを「日本政府が人道にもとる罪を厳しく処罰していた証拠です」としている。

 「FACT 3」は有名なインドネシア・スマランの事例。オランダ人女性を本人の意思に反して慰安婦として働かせた慰安所が軍命令で閉鎖され、責任者の将校が処罰された事実を挙げる。

 もう言うまでもなく、いずれも「強制」の存在を肯定する「事実」でしかない。桜井さんたちは、こういう「事実」を挙げて、なぜ「強制はなかった」証拠となると考えられるのか、私には不思議でならない。あえて忖度すれば、日本軍は人道的な組織であったとどうしても信じたい一心が、資料を見る目を曇らせ、「強制」はこの例外的な2件しかない、軍が禁止していることがそうそう起るはずがないと思いこませているのではないだろうか。

 もう一度言う。気を確かに持ってほしい。「FACT 1」は、政府なり軍なりが表向きは「誘拐に類する方法」で慰安婦を募集することを禁じた、ということを意味するものでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。「FACT 2」、「FACT 3」は、それでも実際には「強制はあった」ことを示している。この2件しかなかった、などとは言えないし、逆に「いたるところで強制があった」とも、これだけでは言えないことも明らかである。

 「FACT 4」以下にも触れておこう。4ではマイク・ホンダ氏の決議案などが、元慰安婦たちの証言を根拠としていることについてこう言う。「この人たちの最初の証言には軍部や行政機関が慰安婦になることを強制したことを示すものは全くありませんでした。これが対日非難キャンペーンの発動後、大幅に変化してきます。米下院公聴会で証言した女性達も、『連行』を行ったのは当初は業者としていたのが、『官憲らしき服装の者』に変わっていくなど、証言が変化しています」

 そうかもしれない。そういうことはありうる。しかし、「軍、行政機関が・・・全くありませんでした」が事実かどうか、それも桜井さんたちの主観に属することであるから、客観的な検証が必要だろう。「政府や軍の指示」にしろ、「証言」にしろ、なにごともそれだけで「事実」と判断することは危険であることは言うまでもない。

 「FACT 5」は、慰安婦達は決して性奴隷ではなかっとのべて、こう続く。「彼女達は当時世界的に常識であった公娼制度の下で、佐官や将軍を遥かに上回る収入を得ていた例も数多くあり、大切に扱われていたという証言も多くあります」

 「数多く」かどうかは別として、大きな収入を得た人もいたかもしれない。大事に扱われた人もいたかもしれない。しかし、そういう個別事例があったとしても、そしてそういう事例をいくら並べても、それはそれだけのことにすぎないのは考え方の基本だ。それに意味を持たせるには、全体の状況を明らかにした上でのことである。「FACT」と言って提出するほどのものではない。

 この部分の末尾には、括弧にくくられてこんな一文がついている。「一九四五年、アメリカ軍が日本に進駐したとき、アメリカ兵が強姦事件を起すのを予防するためにGHQが日本政府に慰安所を設置し衛生管理、安全管理などを行うよう要請した事実もあります」

 だからどうだと言いたいのか。「あなた方には日本を非難する資格はない」と言いたいのだろうか。それならそうとはっきり言うべきである。それ抜きでこれだけをいたちのなんとかのように浴びせるのは、相手を不快にさせるためとしか受け取れない。

 桜井さんたちの「広告」の序文には、4月末の『ワシントン・ポスト』に掲載された「慰安婦の真実」という(決議支持派の)広告を批判して、こうある。「しかし、その主張は『事実』とはほど遠く、事実より『信仰』に基づいたもののように見受けられました」

 この言葉は残念ながら、桜井さんたちの広告にこそあてはまるようである。

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2 コメント

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桜井さんは看板を下ろすように (楽石)
2007-07-18 09:28:11
普通のジャーナリスト教育を受けた人なら
常識に類するような文書の読み方です。
ご指摘のとおり。

歴史的な資料(戦前の軍関係のものも)を
読む時は、どう読むのか?
資料批判は常識です。

手紙の、あなたが好きです。と、書いてあっても
その真意は背景によって逆にもなります。

桜井さんは、ジャーナリストという看板を
下ろして欲しいものです。

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最近の櫻井さん (文科系)
2017-04-04 10:14:44
 2年ほど前のここに書いたことだが、エントリーの07年から見れば最近のこととして一言ご紹介。憲法学者の小林節が櫻井について語ったことで、右翼議論のある誤りを見事に衝いたものだと感心した次第。

 「憲法には権利ばかり書いてあって、義務がほとんどない」
 この右翼議論を当然の「見識」のように、櫻井がある討論の場所で語ったとのこと。同じ場所に出ていた小林がこういう痛烈な批判をすぐに展開したとのこと。
「義務が少ないのは当たり前である。
 第一に憲法とはそもそも、為政者に対して国民にこれだけの権利を保障せよとして出来たものであって、よく言われるような『国民のお約束』ではないのだから。
 第二に、それでもすべての権利に別項としてこういう条件が付いているのをご存じか。『公共の福祉に反さない限り(この権利は守られる)』と。つまり、この別項付帯条件は全ての権利に対して付けられた『義務』とも言えるものである」

 小林のこの批判に櫻井は「顔面蒼白」になって一言もなかったそうだ。そして、事後にこの事件に対する櫻井のこんな話、感想を、小林が他の人から聞いたとのこと。
「私はこれと言って専門がないから、そこがちょっと、弱いのよね・・・。」

 ちょっと弱いのなら、いろんな所に出て学者然として偉そうに語らなければよい。中身がないのに右翼論客大看板やってきたから、叩かれる。
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