
新聞の書評で「買い物難民」という書名が目についた。
「あっ、あの事か」と思った。
読んでみるとやっぱりそうだった。全国各地で、買い物や病院通いなどの外出に、タクシーやバスを利用せざるを得ないお年寄りが増えている。
著者はそうしたお年寄りを「買い物難民」と名づけていた。
私の住んでいるのは、名古屋の中心に近い古い住宅街で行政から老人特別指定学区になっている。独居老人の比率も高く、近所の老人が買い物に手押し車を押してかなりの距離のスーパーに出かける姿を良く見かける。以前知り合いの八十近い方に声を掛けると「いつまで独りで来れるかわからんけどよう。まだ、このスーパーがあるで助かるわ。」との答えだった。
地震ではないが生存に関わる日常的ライフラインの確保の問題である。
スーパーなどが遠い地方都市、農村などでは事態はもっと深刻であろう。
買い物難民は明日の私の姿である。
「あっ、あの事か」と思った。
読んでみるとやっぱりそうだった。全国各地で、買い物や病院通いなどの外出に、タクシーやバスを利用せざるを得ないお年寄りが増えている。
著者はそうしたお年寄りを「買い物難民」と名づけていた。
私の住んでいるのは、名古屋の中心に近い古い住宅街で行政から老人特別指定学区になっている。独居老人の比率も高く、近所の老人が買い物に手押し車を押してかなりの距離のスーパーに出かける姿を良く見かける。以前知り合いの八十近い方に声を掛けると「いつまで独りで来れるかわからんけどよう。まだ、このスーパーがあるで助かるわ。」との答えだった。
地震ではないが生存に関わる日常的ライフラインの確保の問題である。
スーパーなどが遠い地方都市、農村などでは事態はもっと深刻であろう。
買い物難民は明日の私の姿である。
どうなるかと見ていましたが。
この問題は僕も前から、心配してたことで、問題にするのは大賛成。
今の都会の高齢者は本当に大変です。父母と同居したとき、つくづくそう感じました。別居時代には父母がそういう悲鳴をあげていたのを全く知らなかったということを、悪かったなーと恥ずかしく感じたものでした。
信号無視もあるから一人では交差点もおっかなびっくり。脳卒中などで脚の不自由な人には、信号時間が短すぎることもある。
免許証があっても、怖くなるから、返却しているしね。
それでいて、スーパーに小売店などが潰されてるから、もー大変!
ちょっとした修繕などにも、困ってしまう。電気製品などはすぐに買うことに。お金がある家庭はまだよいけど、これからの年金じゃ、冷蔵庫や洗濯機などが壊れたら果たして買えるのかなー? ただでさえ高齢者は貧困家庭の率が高いが、自営業などでやってきた人々はこれからもっとそうなっていくんじゃないかな。子供は二人ぐらいで、就職にも必死だから全国どこへでも行っちゃうしね。
人生、終わりよければすべてよしっていうけど、今の日本、そうでない人がどんどんどんどん増えていくんでしょうね。今の50代、40代は、「世界に冠たる貯蓄王国の親の世代」より貯金もどんどん少なくなるんだろうし。
これで自民党が長期政権でいられたのは、やっぱり公明党のせいとみて間違いなしね。なんで公明党な自民の支え手になったんだろう?
基本的な食料を週3回です。
もちろん近所のコンビニも利用しています。
私は地域の年金者組合というのに参加しているのですが、政治的な課題だけでなくね具体的な困りごとを考え解決していく方策にも目をもっと向けなければと感じています。
しかし、ここまで老人や弱者に矛盾が広がってくると根本的な改革がどうしても必要ですね。
職業のためなどに都会へ来たけれど、なんと、人々がバラバラなことだろう。田舎の「つながり」は煩わしいことも、面倒なこともいっぱいあったけれど、老いたとき、死ぬときなどは良かったと思う。旧友や馴染んだ顔に見送られて、通夜も俺の昔話などが語られることだろうと本当に思えるのだから。
僕は都会では自分の葬式をやりたいとは、全く思わない。連れ合いらにも「すぐに焼いて、父母のお墓に入れてはいけない。散骨ね」と言ってあるし、そう遺言も書こうと思う。都会の葬式は、人を煩わせるだけだとしか思えない。
墓なんて、その存在価値は長く見てもまず20年ね。
このエントリーを読んだお人がいるらしく、ベスト10に入ってきたのだが,そんなことを思い出していた。