
栄交差点での、タレントの天野鎮雄氏や韓国九条の会の訴えに参加しました。交差点は2000人程の人で埋まりました。
内心準備不足や、タレントの玉不足など心配で、下手をすると1000人を下回るかと思ったけれど、予定人数近く集まってよかったと思います。(東海テレビ五十周年のイベントに助けられたのも幸いしたが。)
でも、会員の中には「どうして公会堂を止めて栄のパフォーマンスなんかにしたの? 確りした講師の話を期待していて、せっかくお友達と行こうとおもったのに。」との声もあります。
今回の催しに変更した意味。そして今日までの紆余曲折をしっかり総括し、垣間見える企画の杜撰さも反省して来年に備えて欲しいと思う。
まかり間違っても「大成功!!!」等と言う総括をしないで欲しいものだ。
内心準備不足や、タレントの玉不足など心配で、下手をすると1000人を下回るかと思ったけれど、予定人数近く集まってよかったと思います。(東海テレビ五十周年のイベントに助けられたのも幸いしたが。)
でも、会員の中には「どうして公会堂を止めて栄のパフォーマンスなんかにしたの? 確りした講師の話を期待していて、せっかくお友達と行こうとおもったのに。」との声もあります。
今回の催しに変更した意味。そして今日までの紆余曲折をしっかり総括し、垣間見える企画の杜撰さも反省して来年に備えて欲しいと思う。
まかり間違っても「大成功!!!」等と言う総括をしないで欲しいものだ。
他方、全般的危機は資本主義諸国間の戦争の原因になる場合もありましたね。大戦の10年ほど前にあの大恐慌があったわけですし、戦前日本の閉塞感が人々を満州雄飛に駆り立てたものです。現代でも、就職氷河期の若者に「窮状・戦争待望論」というようなものがありますね。
要は、社会変革は客観的な社会の困難以上に、それを変える主体の育てあいこそ要であるということでしょう? 社会の危機的様相は反動にもつながるのですから。
そして、戦後左翼は世界的にも、ことごとくそのことに失敗してきたということがあります。そして今はつまり、変革主体の形成に寄与できる理論がないという問題があるのではないでしょうか。
前の理論はこんなものでしたでしょうか。①恐慌があるなどから、失うモノのない労働者が立ち上がる。②その中から、「変革の筋道」を自覚した共産党が大きく育っていく。③労働者と共産党とが相互に自覚を強めあって、政権を奪取する。④その国家を民主化しつつ、それと国家外の運動とが手を携えあい、育ちあってこそ、大資本の規制など必要な社会改善を進めあっていく。
このどこが、全く誤り、もしくは不十分だったのでしょうか?
ある本の著者は『革命』は200年後、
と言っています。
急がばまわれです。
ジュリーが窮状の歌を作っても
すぐにリリースしませんでした。
じっと機会を待っていたようです。
待つ我慢も。
平和は我慢比べ?
ご指摘の様に説明不足でヒステリックだったと反省しています。
しかし、思うところはいろいろあるので、もう少し整理して建設的批判を近々述べたいと思います。
ご指摘の様に説明不足でヒステリックだったと反省しています。
しかし、思うところはいろいろあるので、もう少し整理して建設的批判を近々述べたいと思います。
「今回の催しに変更した意味。そして今日までの紆余曲折をしっかり総括し、垣間見える企画の杜撰さも反省して来年に備えて欲しいと思う。」
「県九条の会の企画力や実践能力ばかりでなく、県九条の会ありかたについての認識に疑問を感じます。」
講演ならこれも本当に御苦労さま、というくらいあちこちで行ってみえます。
少しでも外へ働きかけようということなのかなーと思っていました。
しかし、県九条の会の企画力や実践能力ばかりでなく、県九条の会ありかたについての認識に疑問を感じます。
どうお考えですか?