
昨日の中日新聞の「編集局デスク」のコラムに加藤幹敏氏が赤塚不二夫さんに哀悼の意を込めて、こんな事を書いていた。
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赤塚不二夫さんは旧満州で生まれ育ち、敗戦で一家の生活が激変する。略奪や暴動の相次ぐ瀋陽で九歳だった赤塚少年も生死の境をさ迷い、父親はシベリアに送られ、残された母子五人は翌年命からがらで日本に引き揚げた。 末の妹は栄養失調で死に、彼も「握り締めていたおふくろの服のすそから手を離したら、残留孤児になっていた。」と振り返った。また「家族を悲惨な目に遭わせる戦争だけは、もう二度と起こしてはならない。」と語っていた。
実は赤塚さんには珍しく硬派の漫画がある。
子供向けに憲法を紹介した「日本国憲法なのだ!」。この中で彼は語っている。
「悔しいのは、終戦になって、民間人の僕たちは、軍隊が守ってくれるどころか置き去りにされた事ですよ。最初に逃げたのが軍部だった。」「いくら政府が自衛のための軍隊だ、なんて説明しても、僕を守ってくれるものじゃないって、てんで信用してないの。」
「ギャグの神様」も戦争と軍隊だけは「これでいいのだ!」と受け入れる事を拒んだ。私たちは貴重な語り部の一人を失ったのだ。
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赤塚不二夫さんは旧満州で生まれ育ち、敗戦で一家の生活が激変する。略奪や暴動の相次ぐ瀋陽で九歳だった赤塚少年も生死の境をさ迷い、父親はシベリアに送られ、残された母子五人は翌年命からがらで日本に引き揚げた。 末の妹は栄養失調で死に、彼も「握り締めていたおふくろの服のすそから手を離したら、残留孤児になっていた。」と振り返った。また「家族を悲惨な目に遭わせる戦争だけは、もう二度と起こしてはならない。」と語っていた。
実は赤塚さんには珍しく硬派の漫画がある。
子供向けに憲法を紹介した「日本国憲法なのだ!」。この中で彼は語っている。
「悔しいのは、終戦になって、民間人の僕たちは、軍隊が守ってくれるどころか置き去りにされた事ですよ。最初に逃げたのが軍部だった。」「いくら政府が自衛のための軍隊だ、なんて説明しても、僕を守ってくれるものじゃないって、てんで信用してないの。」
「ギャグの神様」も戦争と軍隊だけは「これでいいのだ!」と受け入れる事を拒んだ。私たちは貴重な語り部の一人を失ったのだ。
田島真一中日新聞生活部記者が摘発された。
中日新聞社は極秘に田島記者を3月15日付で停職3カ月とし、
社内に緘口令を敷き事実を隠匿した。
しかし、田島記者が起訴され公判が開かれることが決定すると、
あわてて記者職を外し、データベース部に異動、
9月に検察の求刑が出された時点で他紙に嗅ぎ付けられたため、
懲役10ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が出た9月8日に報道、
しかし他紙が実名報道するなか匿名にとどめる。
さらに田島記者が2005年3月から1年間、署名入りで書いていた連載記事において、
他社の書籍のイラストの継続的な盗用が発覚。しかし処分は上司のみに下される。
これら一連の田島記者をめぐる中日新聞社の不可解な行動には理由がある。
田島記者の親族に父親の田島暁中日新聞論説主幹ならび
叔父の田島力東京新聞論説委員と二人の幹部がいたのである。
この二人に加藤幹敏中日新聞編集局長が配慮した結果だったのだ。
加藤編集局長は将来の社長候補である。
つまり自身の出世のために田島家に恩を売ったのである。
一方で判決後、事態が明るみになった責任を取り、田島暁中日新聞論説主幹は論説委員に降格した。
これにより加藤編集局長は社内でよりいっそう発言力を高めることになった。
名古屋市民、日本国民よ、このような自己の利益のみに執着する人間を許してはならない。
加藤幹敏ならび田島一族、そしてこのような輩が君臨する中日新聞社をジャーナリストと認めてはならない。