★私の愛読する天木ブログhttp://www.amakiblog.com/blog/で小沢辞任以降の日本の政治的展望について書いている。天木氏は「小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ」の持論を展開している。教えられるところも多いので紹介したい。 (ネット虫)
小沢代表辞任表明のインパクト
―政界大混乱と真の政界再編の予感
・・・・ 国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の考えであった。
果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚とメディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。
しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。
小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。
この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。
小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台にしてうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますますいい国になる。
しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。
そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。
小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。
過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎にエールを送るのだ。
小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。
その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を踊ってもらいたい。
これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎にエールを送りたい。
最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。
そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党やメディアの狼狽ぶりが如実に示している。
辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判のしようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向けることになる。
それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようとしている。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていないとか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。
辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感がありありと感じられる。
小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持してきたメディアなのだ。
しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、民主党は壊滅的に追い詰められる。
なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。
そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に立たされるからだ。
私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのための党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めたとすれば、大きな誤りだ。
もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。
しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。
その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンスでもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。
重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすればいいか。どう情勢が展開していけばいいか。
政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであってはむしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙ですぐに実現しなければならないものでもない。
結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。
私がそう提案する根拠はもちろんある。
ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ないということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。
だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、政界再編の動きが出てくる可能性がある。
ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなったとしても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、民主党は解体される運命にあるかもしれない。
今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体になれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に居場所がなくなるのだ。小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代はない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。
三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。
日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首の発言によってその限界を露呈した。この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。
そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、という私の提案が現実的である事がわかるだろう。
小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。
その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。
戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。
民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。
結果として政権を左右する政党になれるに違いない。
小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようとする必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を裏切らずに歩め。必ず道は開ける。
なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
小沢代表辞任表明のインパクト
―政界大混乱と真の政界再編の予感
・・・・ 国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の考えであった。
果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚とメディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。
しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。
小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。
この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。
小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台にしてうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますますいい国になる。
しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。
そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。
小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。
過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎にエールを送るのだ。
小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。
その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を踊ってもらいたい。
これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎にエールを送りたい。
最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。
そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党やメディアの狼狽ぶりが如実に示している。
辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判のしようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向けることになる。
それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようとしている。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていないとか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。
辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感がありありと感じられる。
小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持してきたメディアなのだ。
しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、民主党は壊滅的に追い詰められる。
なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。
そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に立たされるからだ。
私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのための党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めたとすれば、大きな誤りだ。
もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。
しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。
その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンスでもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。
重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすればいいか。どう情勢が展開していけばいいか。
政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであってはむしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙ですぐに実現しなければならないものでもない。
結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。
私がそう提案する根拠はもちろんある。
ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ないということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。
だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、政界再編の動きが出てくる可能性がある。
ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなったとしても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、民主党は解体される運命にあるかもしれない。
今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体になれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に居場所がなくなるのだ。小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代はない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。
三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。
日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首の発言によってその限界を露呈した。この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。
そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、という私の提案が現実的である事がわかるだろう。
小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。
その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。
戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。
民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。
結果として政権を左右する政党になれるに違いない。
小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようとする必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を裏切らずに歩め。必ず道は開ける。
なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
印象に残ったのはこんなところ。
【 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感がありありと感じられる。
小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持してきたメディアなのだ。
しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、民主党は壊滅的に追い詰められる。】
【 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。
日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首の発言によってその限界を露呈した。この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に未来はない。】
【 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。
その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。
戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、そういうだけで十分だ。】
このごろ、コメントが少なすぎると思う。いつも言ってきたことだが、投稿者はその本数以上のコメントを書く義務があるはずだ。言いっぱなしで、「これを読め」と言うだけの人は、利己的に過ぎると思う。
誰でも自分の文章は読んで欲しい。しかし、読んで欲しいと行動するばかりで「読んだよ」と応えない人は、やがて「読んで欲しい」という場所も失っていく人だろう。つまり、長い目で見ればブログを潰す方向の人だということではないか。
すこし前だったら、おそらく自公は過半数を割っただろう。しかし、いまはどうか分からない。民主党小沢党首の政治献金問題がおこったし、それに定額給付金の給付が始まった。内閣支持率もかなり上昇している。
自公は苦戦するだろうが、ぎりぎりで過半数を維持するか、自公も民主党も過半数に達しないか、民主党が過半数を制するか、いま現在の時点ではだれにも分からない。このままでいけば、麻生自公対小沢民主の対決になるのだろうが、さて選挙戦を有利にすすめるため、党首が交代しないとも限らない。
ただひとつ明らかなのは、自公が「3分の2」を失うのは確実だということである。「3分の2」条項を使った再可決はできなくなる。だから、選挙後も政界の動向には目が離せない。
自公の議席が過半数に達した場合、自公による参議院での多数派工作が活発になるだろう。民主などから自公へ移籍するものが出ないとはかぎらない。自公も民主も過半数を取れなかった場合、今度は民主が自民に手を突っ込むだろう。いずれにしても民主党が過半数を制しないかぎり、政界再編の公算は小さくないとわたしは思う。
もうひとつの可能性は、自と民との大連立だ。自公がぎりぎりで過半数を取るか、自公も民主党も過半数に達しないかの場合には大連立の動きも出てくるだろう。このときに、だれより窮地に陥るのは公明党だろう。
わたしは定額給付金には本当にあきれた。巨額のお金を使うのに、景気対策としてはあまり効果がない。なにより、まったく雇用対策にならない。大量の失業者が出て、明日の生活にも困っているのに、そのいちばん困っているひとたちを尻目にお金をばらまく。
そして、ばらまかれたお金を目当てに、今度は小売業者だの商店街だの旅行業者だのが、やれ何を買いましょう、かにを買いましょう、旅行に行きましょうと、浮かれ気分をつくり、やかましく騒ぎ立てる。繰り返していうが、派遣切りやリストラの嵐が吹きまくっているのに、である。経営が悪化し、アップアップいっている企業が続出しているのに、である。
こういう事態を招くことを、政策と称していいのだろうか?自民党政治家の中に「(定額給付金は)連立コスト」などと、ふざけたことをのたまった御仁がいた。こういう「連立コスト」を払うくらいなら、「大連立コスト」を払ったほうがよほどマシだ。わたしは以前、3分の2の議席を保持しているのに与党が大連立を望むのは筋が通らない、と書いた。そして、野党が大連立に乗るのはおかしなことではないと書いた。
いまでもその考えは変わらない。ただし、来たる総選挙のあとの大連立は民主党にとっては相当に難しいことになると思う。
どうなるか不明。
天木さんの小澤さんへのエールは
情熱家の勇み足かな?
自民・民主ともに過半数に達せず
連立ということになる可能性が
かなり高いかも。
そうなれば政界再編で大連立もありうる。
でも、これはチョット願い下げです。
政権交代は、一日にしてならずかも。
http://www.youtube.com/watch?v=_jxiFy3tR8c&hl=ja
でも小沢教徒なら何も言う事はないな‥
金権体質。
小澤さんも同じ体質。
でも、検察はなぜ今、この時点で
小澤さんを狙ったのか?
こんな簡単なことが、なぜ
問題にされない?
問題設定の仕方に問題がある。
マスコミの大きな力の源泉は
この問題設定にあるんですよ。
見方を少しずれせば、全然違って見える。
それを承知した議論にしないと。
それに多くは小澤信徒ではなく
政権交代信徒ですよ。
言葉は正確に。
愛国者なら日本語を正確に。
どうぞ。
落石さんの上の文章、短いが、日本政治今現在の最大問題が、ほとんど入っていると思う。
国民が見るべきは先ず第一に
【自民党のもともとある金権体質 】
これが官僚の特権と結びついた既得権群。そりゃー60年以上もこの二つが力を合わせて国家財政などを私物化してくれば、そうなりますよ。
「権力は腐敗する」ね。ただ60年も続いてくると、国民は既得権群のほんの一部しか具体的には知らないはず。上手く隠す技術にも習熟しているから。隠して置いたまま、なし崩しに修正していくつもりだった。
ついで、これね。
【 問題設定の仕方に問題がある。マスコミの大きな力の源泉はこの問題設定にあるんですよ。見方を少しずれせば、全然違って見える】
マスコミの今の問題設定は多分以下ね。
「世界経済などが百年に一度のどん詰まり、大変な時。国家財政も大赤字で、抜本的な手は打てない。これを乗り切るには、自民党は無能過ぎる。やっぱり大罪があるとはいえ積み重ねのある官僚しかないだろう。そこを今がたがたにしたら、日本は大変なことになる。としたら、民主になるにしても、岡田民主の方が官僚体制に優しい分、ましだろう」
対して、僕は小沢に期待するね。人間変わるものと期待値も込めてね。彼も今はいろいろ反省しているんじゃないかな。それで外交は「離米、国連中心主義」と、内政は「官僚大掃除」。マスコミは一方しかできないと思っているかも知れないが、両方を平行してやらないとダメだよ。小沢ならそれが出来ると思う。憲法問題など害もいっぱいあるが、当面はそれを控えるだろうとも期待してね。
なお、世界で日本にしかない最良最大の好条件もある。このことは極めて大事なことだと強調したい。新政権はこれを最大の武器に出来る。アメリカはこれを狙って郵政民営化などを図ったのだが、成功しなかったというわけね。
世界でずば抜けて大きい個人金融資産と不動産目減りの少なさだ。日本の若者は、年寄りに感謝すべきだね。
金融資産は1割も目減りしていないはず。アメリカはその数倍も減っているだろうけれど。
不動産価格は世界で半値、アメリカでは8割減とも言われているが、バブル弾けの教訓をこの間に生かした日本は遙かに値下がりが少ない。
この世界最良条件を生かせれれれば、新政権は世界有数のかなりのことが出来ると思う。
小沢さんが潰れたのは彼自身の問題ゆえだったろう。
金を巡る問題、今回の偽装企業献金、説明不足で不可解な態度・・。
天木氏は、これらを権力側、官僚、メディアの小沢おろし攻撃のせいに帰する。
だから逆に小沢を支持したいのだって?
天木所感は元官僚らしからぬレベルの思考回路、感情表白。
その他あれこれ相当な支離滅裂ぶり。
失礼ながら、倒錯した論理はちょっとね・・と思います。
僕は何度も言うように、小沢の献金問題をたいしたことないと語っているのではない。もちろんそれ自身を擁護したいのでもないし、擁護しているのでもない。天木氏もそうだと思う。僕はまず、こう語ってきたのだが、これは間違いか?
記帳献金と隠し献金と、つまり小沢と二階とで、後者のが悪くないのかと。
次に、それでいて、二階を問題にせず小沢を問題にするのは、問題にされている当のことが献金の違法性ではないのだと。小沢落としとか、民主党削りとか、別の狙いがあるのだと。別の狙いがあるのに、献金の違法性だけを語り続ける貴方も、同じ議論をする日本共産党も、いかにもピントはずれだろうと。ためにする議論に乗るものだろうと。違いますか?
そこから次の問題も出てきますから、やはり答えてくださいね。
こういう状況の中での貴方のような主張は、二階や自民党の助けになるばかりだと思いますが、どうでしょう。検察庁のような不公正を働いてでも、民主党よりも自民党に勝って欲しいのですか。検察庁や官僚やマスコミが小沢問題を全てに優先させるのは、そういう狙いを持っていると思うのですけどね。それに味方するのですか。
ある一つのことを、それにまつわる他の一切に目もくれず語り続けるのは、形而上学的誤りといいます。
あなたがどうしても理解力がないようなので、一つ比喩としての例を挙げてみましょう。
A社長が、自分をけ落としつつあるB常務をどうしても抹殺したいと考えていた。そんなときたまたまAがBの公金横領を見つけて、大騒ぎをし始めた。A自身はもっと大きな横領をしているのに。
この場合先ず、Aは違法献金自身を問題にしているのではないですよね。ところでそんなときに、両方の横領を知っているCが、Bの横領だけを「悪い悪い」と声を大にして言い続け始めた。と、まー、貴方のしていることはこんなもんです。
誰が見ても、Cも違法献金自身を問題にしているのではない。そしてやはり誰が見ても、こんなCは、A一派ですなー。世間の常識的判断に属することだと思いますが。
重なりましたね。
ブログで問題意識を喚起されて、調べるうち、事実解明を待つ留保をしつつも、国策捜査論等を理由にして小沢民主を擁護し切れるものではないと考えるようになりました。その一部をコメントしました。
小沢さん支持の意見はあってよいのですが、私にはさほど明確とは思えない理由で、特定政党、政治家個人支持の主張が延々と続けられることに違和感を覚えたのも事実です。
調査、勉強の機を与えて下さったこのブログには感謝しています。
②「僕は小沢の献金問題をたいしたことないと語っているのではない。もちろんそれ自身を擁護したいのでもない。天木氏もそうだと思う。」
このブログの特定の個人の意見を否定する意図は私にはありません。それを理解していただいたうえで言います。
「小沢献金を大したことはないと語っているのではない」のなら、献金の偽装性と、受け取った政治家の説明ぶりが疑惑や批判の対象になっている現実を率直に見たらどうでしょうか。
かつての細川内閣は不明朗な資金が原因で辞職しました。不明朗資金問題は政治家の命取りになります。
③「小沢と二階とで、後者のが悪くないのかと」
私は「政治資金オンブズマン」の二階告発に賛成します。東京地検は、予想外にも?渋ったりすることなく速やかに告発を受理したそうです。
小沢・二階問題は、どちらかが悪くどちらかが悪くないという問題ではありません。
誰であれ、偽装的献金、迂回献金等々、政治資金の実態を偽るのは、政治資金規正法の根本趣旨に反し、民主主義政治制度を歪めますから、反省してもらいたいことです。
なお、二階関係者が起訴されないから、小沢関係者を逮捕すべきでない、起訴してはならないということにはなりません。
④「献金の違法性だけを語り続ける貴方も、同じ議論をする日本共産党も、いかにもピントはずれだろうと。」
小沢問題の核は偽装的企業献金疑惑だと私は理解します。
*私は小沢関係者の政治資金規正法上の「違法性、有罪」を断じていません。
ここで共産党を持ち出して、私が同じ議論をしているという論法は極めて!不適切です。
また私が「違法性『だけ』」を語り続けていますか?そうではないはずです。
国策捜査論とかマスコミ論だとか政権交代論とかを強調するときに、私のコメントが不都合ですか。
私のコメントを理解されていないようです。
⑤「ためにする議論に乗るものだろうと。違いますか?」
もちろん違います。
私が、イラク侵略戦争に協力し、米軍に多額の便宜を図る等々の自民党施策を助けるために、民主党をつぶそうとしてコメントしているとでもお考えか。末端ながら九条の会の会員のつもりです。
疑惑を晴らすなり認めるなり納得できる説明を求めるのは国民の自然の要求だということに異論はないでしょう。説明に努めるべきだと考えることは「ためにする議論に乗るもの」ではあり得ません。
国策捜査論等がどの程度に確かなものかと考えることも「ためにする議論に乗るもの」ではありません。
⑥「貴方のような主張は、二階や自民党の助けになるばかりだと思いますが」
私のコメントが自民党や二階を利する「ばかりだ」とはいかがなものでしょう。政党支持主張をしているわけでもない。
私を含めた九条の会の会員の多くは普通の市民です。率直な感想、意見、客観的事実を知りたいと思う意見が妨げられてはなりません。
政治的な立場の方には政治的な発言作法があるのかもしれませんが、政治的ないし政局的な立場をもって、私(私だけではありませんが)のコメントに政治的色彩を与えて価値づけようとするのはやめていただきたいと申し上げます。発言を封じかねない色分け的な質問の仕方も不適切です。悪意の意図のない意見に対し、自民党の助けになるので止めるべし、言い続けると自民党支援者(反民主党)とみなされるという考え方には与しません。
⑦「検察庁のような不公正を働いてでも、民主党よりも自民党に勝って欲しいのですか」
冗談で質問されたのですか?
質問設定自体が不適切です。
検察の不公正と支持政党の選択に直接的な関係はありません。
「検察庁が不公正を働いた」という前提で話が組立てられるようですが、そう言う以外には説明できないような、責任ある確たる証明事実をお持ちですか。捜査時期、逮捕という手段、小沢秘書が逮捕されて二階関係者が起訴されていないこと等から、「不公正」を推測しておられると理解しますが、それらが直ちに「不公正」を証拠づけるものではありません。かえって捜査上の必然、常道ということもあり得ます。仮に検察が「立件、逮捕は総選挙後まで待つ」と采配して時効をやり過ごしたら、職務怠慢、政略的捜査だと批判されましょう。等々。自白報道も検察の意図的(虚偽)リークによると断言するだけの根拠は不明です。
冷静に見れば、現時点では「疑念もあり得る」という程度のものと認めるしかないでしょう(謀略とはそういうものであるとしても)。一応そのことを認めながら議論を見直し深めることが大切になってくるのでしょう。
現時点で検証不足の事実を所与の前提であるようにして、さらに屋上屋を重ねて論を発展させてしまうことは危険だということです。説得力を欠くことになります。
前記「政治資金オンブズマン」の告発状は、若干の留保を付しつつも小沢秘書逮捕と起訴を「法の趣旨に合致する」としました。国沢被告、大久保秘書の法廷では、収集された関係者の供述、物的資料、補強資料が出されるのでしょう。どの程度のものなのか知りませんが、それらが十分な裏付けとなって、容疑のメスが入ったのなら妥当だといわざるを得ません。
ただし秘書さんは無罪の推定を受けます。裁判所による法解釈、適用次第では、検察の見解と異なって、証拠上は無罪、あるいは軽い刑の適用の可能性もあり得ます。もちろん全面有罪の可能性も。
民の疑問が有罪か無罪かだけで国解消されるとは限らないのですが。
マスコミに情報の垂れ流し傾向があるらしいと感じることはありますが、現時点では、権力と気脈を通じて意図的な小沢下ろしのキャンペーンをしたと断定できるほどの証拠は集まっていないでしょう。自白リークについても誰がどこで誤解?手違い?故意?を生じさせたのか分かっていません。また説明責任を求めるのは前述のとおり正当と考えられます。
こう言ったからとて、私が検察、官僚、マスコミがいつも中立、公平だなどと考えているわけではありません。
⑧「ある一つのことを、それにまつわる他の一切に目もくれず語り続けるのは、形而上学的誤りといいます。」
皮肉のおつもりでしょうか。まともに十分な論議を重ねておらず考え方も知り得ていない相手に、わずかばかりの言葉の端をもって、ぶしつけなことと申し上げます。
お言葉を返上させていただきます。
書き込みやコメントの頻度等から推察すると、ブログは一定年代以上の年配の方々が中心になっておられるようです。
若輩が出過ぎて失礼に及ぶことがあったとすればお許し下さい。
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昨夜のコメントが追加されたようです。以下追加分について。
⑨「あなたがどうしても理解力がないようなので」
「と、まー、貴方のしていることはこんなもんです。」
公のブログを使って、私を個人攻撃し、侮辱しておられるのですね。
意見、論理に依るのでなく。
私のコメントを自民党や二階を助けるものだと言い、共産党と同じ議論だときめつけ、勝手に政治的色分けのようなものを施したうえ、
さらに「どうしても理解力がない」「まー、こんなもんです」と評価、採点にまで及んでみられた。・・はてさて・・
それで、鬱憤は晴れましたか。
私は文科系さんに自分のコメントの色分けや採点をお願いしていません。私への色分けも間違っています。
九条の会は政治的立場や所属・支持政党を超えて、憲法九条の実現を願う人たちが自由に集う組織だと理解しています。また様々な意見の違いを超えて、基本的な一致点を信じ合おうとする方々だと理解してきました。
今後もそうあっていただきたいと願います。
僕のこの「じれったさ」の発生源として、何よりも貴方との論議そのもののすれ違い、もしくは僕の論議の立場というようなものを説明申し上げて、今回のお返事としたいと思います。
先ずこのこと。公の場である命題を主張すれば、好むと好まざるとにかかわらず批判がでるし、論議が起こるということです。さらに加えてこんなこともあります。ことが政治の世界のことでもありますから純粋な議論では済まないし、その政治の世界で逮捕、立件という激しい争いが出発点にあることとて、さらに論議は厳しくならざるを得ないということです。ましてこの逮捕が不当か否かと争っているといった問題でもありますから、なおさらそうなるとも付け加えたいです。
さて、僕のこういう問題意識の出発点は具体的にはこれです。よって初めから感情的にさせられていますよ。検察、国家がそうさせるわけです。
「政治家の表献金に関わって初めての逮捕劇が起こった。それもこういう場合の通常立件の目安であった『1億円』よりも遙かに少ない金額においてである。他方では与党の莫大な裏献金が放置されている。しかも、こういう『初めて尽くし』が、「政権交代か』といわれる選挙直前の野党党首に対して行われた。これを政治的な国策捜査といわずしてなにをそう語りうるか」
失礼ですがけやきさん、このこと自身に触れて頂かなければ、僕は感情的にならざるを得ないですよ。こういう検察、国家に腹を立てているわけですからね。
さて、こういう対立的なシビアーな問題は、なかなか上品な論議をするのが難しいですね。このこともなんとかお認めいただかなければならない。こういう問題に一端触れたならば、貴方も僕も「こういうつむじ風のなかに巻き込まれる」わけです。つまり、初めから「気分が良いような話し合い」では済んでいかないということです。