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らくせきさん記事の紹介、「世界記憶遺産、日本の身勝手」  文科系

2015年10月13日 14時18分51秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
『 朝鮮日報より (らくせき)  2015-10-13 10:06:11

日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)を批准したのは1992年だ。この条約が発効したのは75年のことだから、かなり遅かった。韓国は88年、中国は85年と、日本より先に批准した。日本は分担金をどれだけ支払うかについても、ユネスコと駆け引きをして決定が遅れた。遅刻してきた日本だが、米国に次ぐ多くの基金をこれまで支払っている。金を出した分だけのことはしてもらおうという腹積もりなのだろうか。その後の日本の欲は並外れていた。


 批准の翌年、一度に4件の世界遺産を登録したのを皮切りに、これまで19件の登録に成功している。アジアでは「人類文明の発祥の地」中国・インドに次いで3番目に多い。日本ほどユネスコ世界遺産をPR用に利用している国も珍しいだろう。閉山して人けのない「石見銀山」を世界遺産に登録し、屈指の観光地にしたのが8年前のことだ。その時に自信が付いたのか、韓国人にとっては強制労働の恨(ハン=晴らせない無念の思い)が宿る廃鉱まで、今年登録リストに追加した。おかげで観光客は数倍に増えたという。


 政治的利用度で言うと、1996年に登録された世界遺産「原爆ドーム」をしのぐ遺産はない。米国の原爆投下で骨組みだけ残った広島の中心地にある象徴的な建物だ。登録当時、米国は「被害だけを強調し、加害は忘れようとしている」と批判した。日本は「平和の象徴」と言って押し通し、米国は積極的には反対しなかった。平和と共存を重視する国連の精神を尊重したからだ。


 世界遺産による日本の「被害国アピール」はこれで終わりではない。今月8日にユネスコ世界記憶遺産になった「舞鶴への生還」記録は第二次世界大戦時にシベリアに連行された日本人の抑留手記570点を指す。この中には民間人もいたが、主に中国を侵略してソ連軍に捕虜として連行された日本軍兵士たちだ。登録に成功した日本は万歳と叫んだが、ロシアは不愉快だっただろう。それでもロシアはおくびにも出さなかった。国連の精神がそうだからだ。


 同じ日、中国の「南京虐殺」の資料も世界記憶遺産になった。日中戦争当時、旧日本軍が南京で犯した蛮行とその惨状を記録した中国側の資料だ。すると、日本政府は顔色を変えた。資料に含まれている犠牲者数を問題視し、「極めて遺憾」と過敏に反応した。さらに、菅義偉官房長官は「(ユネスコの)今の制度そのものを変える必要がある」として、ユネスコに対する日本の拠出金の削減や停止を検討する考えを示した。自民党からは「ユネスコ分担金を白紙化する」という発言まで出たという。カネをちょっと出しているばかりに、世界を下に見ているようだ。安倍政権の傍若無人ぶりは感じていたが、これほどまでに品格がなくなっていたとは思いも寄らなかった。』


 らくせきさん本日のコメントが極めて価値の高い貴重なものなので、文科系がエントリーとして紹介させて頂きました。実に説得力のある記事内容だと考えます。この判断力に比べて、日本政府の上に解説された行動「原理」は、なんたる恥知らずな傲岸不遜。アメリカと連んでいる内にこういう態度まで身につけてしまったのでしょう。アメリカの国連安保理決議に対するここ数十年の拒否権発動回数は、他国全部を合わせたよりも多いのではないでしょうか。
 僕はこんな日米には、こう言いたいほどの気持ちですね。それほど他国を見下すなら、国連から出たらよい。そして、日米の世界遺産など全部外してしまえばよい。もっとも実際にそういうわけにはいきませんが。

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2 コメント

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Unknown (neo)
2015-10-14 14:11:31
虐殺されたはずの南京市民

http://japan-plus.net/238/

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虐殺されたはずの南京市民 | JAPAN+ttp://japan-plus.net/238/
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映像も色々 (文科系)
2015-10-14 15:02:42
 「大本営発表」を知っている世代なら、この映像の「背後」についてみんな豊富な体験的認識がある。
 戦場には、従軍記者と戦争協力を強制された作家などがいて、こういう映像通りの管理され、演出も含めて作られた情報だけを国民に流したもの。アサヒグラフも一緒だ。

 ところで、僕は逆に、中国側の写真を多く見た。そこにはもちろん、上の映像にもあった松井岩根の入城写真も付いていた。
 揚子江沿岸の膨大な死体群は、逃げられなかった兵の方が多かったという史実の通り。10数メートルの城壁の中から、十重二十重と囲んだ日本軍を乗り越えては逃げられんでしょう。
 薪を積んで石油をかけて焼かれた膨大な黒こげ死体もあったし、捕虜群の集合写真もあったし、それを片端から首切り、銃剣串刺しそのものの写真も。

 あとは、僕のいくつかの文章を読み返して総合判断を求めると言うだけだ。
 なお、この1937年から敗戦までの8年間で南京は日本が占領していたのだから、証拠などすぐに消されただろう。そして、君が示した大本営発表映像と文章だけが残された。戦争ってそういうものだ。
 満州事変以降の戦争は特に、国連決議による違法戦争だったから、国内世論工作が大事だったのだ。戦意高揚というやつね。東條は特に、これで国民を熱狂させた。アメリカのある種のアフガン、イラク戦争やベトナム戦争賛美映画と一緒。
 逆に、小説などの反戦文章のある部分が日本検閲で黒塗りにされたということは君も知っているだろう。
 
 どこかに書いたけど200年後の高校生が日本憲法9条を見て「すげーっ、当時の日本は軍隊はなかったのだ」と思うのと一緒に思えるね。。
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