中国提出の南京大虐殺資料がユネスコ世界記憶遺産に登録されて、日本政府が抗議しています。死者数が不確定という抗議内容なのでしょう。
何と情けない外交でしょうか。中国側は死者30万人と算定し、連合国戦後裁判では20万人とあり、最近の日中両国歴史学者合同検討会における日本学者たちさえが、4~20万人と(無責任な数ですが)確認しています。日本政府にやる気があれば出来たはずのこととして、臨戦兵士たちの聞き取り調査さえやっていないのです。歴代政府に調査をする気もなかったということでしょう。
これで「死者数不確定」、抗議って、無責任を通り越して恥知らずとさえ思います。自分らが宣戦布告もなく、仕掛けた戦争なのですから。上海決戦を「第1次大戦のヴェルダン攻防戦に匹敵する苛酷な闘い」と評したのは、中国の上海要塞作りや防御訓練等に関わったドイツ軍将校たちでした。この苛烈な上海事変の一か月ほど後にこれの延長として起こったのが、南京包囲戦でした。日本兵士たちも、さぞかし鬼に変じていたことでしょう。
南京事件6年前の満州事変でさえ、国際連盟で違法戦争と決議されています。反対1国という圧倒的多数ですから、上海・南京の戦争もそうなること確実だったもの。国際連盟を飛び出したから免れただけのことです。
ちょっと前には、こんなこともありました。
2014年1月、伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が記念館を開館して韓国が謝意を表した問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と抗議の意見を表明しました。
当時の「法律」から見たら当然テロリストでしょうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなるでしょう。ただ、安倍政権側に全く欠落した観点を一つ書いてみます。
日本は、独立国であった朝鮮を明治維新以来40年かかって占領しました。この40年の日本は、朝鮮に対して不法な侵略行為、暴力行為を何度も重ねています。1875年の江華島事件に始まって、帝国初の大軍隊平時駐留は早くも1882年に朝鮮に対して行われたのですし、日清戦争も朝鮮併合問題に絡んで起こっています。そして、この暗殺事件は1910年の正式併合の1年前09年に初代朝鮮総統に対して行われました。こういう歴史的諸事実を前にして、これに対するに「当時は植民地は許されていた!」とか「どんな法でもやはり法なのであって、当時は有効!」とだけ語るのでなければ、「テロリスト」との論理は成り立たないだろうと、これが僕の論拠です。
すると、次に起こるはずのこの理解はどうでしょうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。こういう理解にも賛成しかねます。
今が民主主義の世界になっているのですから、やはり植民地は悪いことだったのです。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずですから。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたいのです。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのでしょうか。
今回のユネスコへの抗議と、ハルピン安重根記念館への抗議とこの二つは、1国民としてとても恥ずかしいことだと感じました。自らの大暴力を知らぬフリして、居丈高に開き直っているとさえ感じたものです。
何と情けない外交でしょうか。中国側は死者30万人と算定し、連合国戦後裁判では20万人とあり、最近の日中両国歴史学者合同検討会における日本学者たちさえが、4~20万人と(無責任な数ですが)確認しています。日本政府にやる気があれば出来たはずのこととして、臨戦兵士たちの聞き取り調査さえやっていないのです。歴代政府に調査をする気もなかったということでしょう。
これで「死者数不確定」、抗議って、無責任を通り越して恥知らずとさえ思います。自分らが宣戦布告もなく、仕掛けた戦争なのですから。上海決戦を「第1次大戦のヴェルダン攻防戦に匹敵する苛酷な闘い」と評したのは、中国の上海要塞作りや防御訓練等に関わったドイツ軍将校たちでした。この苛烈な上海事変の一か月ほど後にこれの延長として起こったのが、南京包囲戦でした。日本兵士たちも、さぞかし鬼に変じていたことでしょう。
南京事件6年前の満州事変でさえ、国際連盟で違法戦争と決議されています。反対1国という圧倒的多数ですから、上海・南京の戦争もそうなること確実だったもの。国際連盟を飛び出したから免れただけのことです。
ちょっと前には、こんなこともありました。
2014年1月、伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が記念館を開館して韓国が謝意を表した問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と抗議の意見を表明しました。
当時の「法律」から見たら当然テロリストでしょうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなるでしょう。ただ、安倍政権側に全く欠落した観点を一つ書いてみます。
日本は、独立国であった朝鮮を明治維新以来40年かかって占領しました。この40年の日本は、朝鮮に対して不法な侵略行為、暴力行為を何度も重ねています。1875年の江華島事件に始まって、帝国初の大軍隊平時駐留は早くも1882年に朝鮮に対して行われたのですし、日清戦争も朝鮮併合問題に絡んで起こっています。そして、この暗殺事件は1910年の正式併合の1年前09年に初代朝鮮総統に対して行われました。こういう歴史的諸事実を前にして、これに対するに「当時は植民地は許されていた!」とか「どんな法でもやはり法なのであって、当時は有効!」とだけ語るのでなければ、「テロリスト」との論理は成り立たないだろうと、これが僕の論拠です。
すると、次に起こるはずのこの理解はどうでしょうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。こういう理解にも賛成しかねます。
今が民主主義の世界になっているのですから、やはり植民地は悪いことだったのです。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずですから。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたいのです。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのでしょうか。
今回のユネスコへの抗議と、ハルピン安重根記念館への抗議とこの二つは、1国民としてとても恥ずかしいことだと感じました。自らの大暴力を知らぬフリして、居丈高に開き直っているとさえ感じたものです。
に書かれていたように思います。
あいまいな表現でいけないのですが、強烈に印象に残ったものですから。
日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)を批准したのは1992年だ。この条約が発効したのは75年のことだから、かなり遅かった。韓国は88年、中国は85年と、日本より先に批准した。日本は分担金をどれだけ支払うかについても、ユネスコと駆け引きをして決定が遅れた。遅刻してきた日本だが、米国に次ぐ多くの基金をこれまで支払っている。金を出した分だけのことはしてもらおうという腹積もりなのだろうか。その後の日本の欲は並外れていた。
批准の翌年、一度に4件の世界遺産を登録したのを皮切りに、これまで19件の登録に成功している。アジアでは「人類文明の発祥の地」中国・インドに次いで3番目に多い。日本ほどユネスコ世界遺産をPR用に利用している国も珍しいだろう。閉山して人けのない「石見銀山」を世界遺産に登録し、屈指の観光地にしたのが8年前のことだ。その時に自信が付いたのか、韓国人にとっては強制労働の恨(ハン=晴らせない無念の思い)が宿る廃鉱まで、今年登録リストに追加した。おかげで観光客は数倍に増えたという。
政治的利用度で言うと、1996年に登録された世界遺産「原爆ドーム」をしのぐ遺産はない。米国の原爆投下で骨組みだけ残った広島の中心地にある象徴的な建物だ。登録当時、米国は「被害だけを強調し、加害は忘れようとしている」と批判した。日本は「平和の象徴」と言って押し通し、米国は積極的には反対しなかった。平和と共存を重視する国連の精神を尊重したからだ。
世界遺産による日本の「被害国アピール」はこれで終わりではない。今月8日にユネスコ世界記憶遺産になった「舞鶴への生還」記録は第二次世界大戦時にシベリアに連行された日本人の抑留手記570点を指す。この中には民間人もいたが、主に中国を侵略してソ連軍に捕虜として連行された日本軍兵士たちだ。登録に成功した日本は万歳と叫んだが、ロシアは不愉快だっただろう。それでもロシアはおくびにも出さなかった。国連の精神がそうだからだ。
同じ日、中国の「南京虐殺」の資料も世界記憶遺産になった。日中戦争当時、旧日本軍が南京で犯した蛮行とその惨状を記録した中国側の資料だ。すると、日本政府は顔色を変えた。資料に含まれている犠牲者数を問題視し、「極めて遺憾」と過敏に反応した。さらに、菅義偉官房長官は「(ユネスコの)今の制度そのものを変える必要がある」として、ユネスコに対する日本の拠出金の削減や停止を検討する考えを示した。自民党からは「ユネスコ分担金を白紙化する」という発言まで出たという。カネをちょっと出しているばかりに、世界を下に見ているようだ。安倍政権の傍若無人ぶりは感じていたが、これほどまでに品格がなくなっていたとは思いも寄らなかった。
そのくせ、自分に不都合で、隠しおおせておきたいものが認定されると、金をちらつかせて恫喝する。
なんという品位がない卑しい根性なのだ。
世界が認める歴史的事実をカネで捻じ曲げようとする態度は下劣としか言いようがない。
南京虐殺は世界の常識なのだ。これはカネで覆すことはできない。これを教訓にし、どうしてそのような残虐な行為が可能になったのか、そしてどうしたらそうした自体を避けることができるのかを考えることこそが今、求めれれているのだ。
たしかにこれは負の遺産であることには間違いない。しかし、その負を負として自覚することから出発しなければ、残虐は継続し、拡大再生産される。
この歴史的事実を否定する人たちは「日本を取り戻そう」とする人たちとぴったり符合している。
今回の認定は、過去の歴史的事実に対する確認であると同時に、今この国で進行しつつある事態への重要な警告とみなすべきだろう。
これへの頑なな対応は、国際連盟を蹴って出ることにより、泥沼へと大きく前進した戦前の事態を連想させる。
ここらが、極右政治からの転換点だろうと思う。
決まった事は変わらないのかもしれないけど、きちんと抗議する事は、大切な事ですよ。
抗議すべきに抗議する事は、品格を保つ為には、むしろ必要な事。
サヨには「品格」って、難し過ぎる概念かな?
金の話をする前に、ユネスコからもらった世界文化遺産や産業遺産をまずすべて返上したらどうだ。そちらの方だけは経済効果が云々、観光開発が云々とはしゃいでおいて虫が良過ぎはしないか。
こういう卑しい態度のどこに品格があるのか。これこそ世界に対して日本を「凹ませ」ているのではないか。
自分の品格を凹ませているのは、日本政府自身である。偏見無く物事を判断できる人なら、その内9割の人がそう見るだろう。
馬鹿が、こんなことを叫んでいる。
「ちょっと調べれば、中国の捏造だって分かるのに」
何がねつ造か。兵士と民間人合わせて10数万が死んでいるとは、両国歴史学者の共通認識と言って良い状況になってきた。大きな穴を掘ってあるところに集めた人間を、ばかばか殺し落としたというのも、写真付きで実証されていること。そこに、民間人も多く入っていた。
民間人の額を調べて、兵帽の日焼け跡残しを確かめていたらしいが、そんなことを省略して集めてきた人間も無数だったと言う。
揚子江を渡って逃げようとして殺された兵士もまた無数。その集合死体写真は、ねつ造なんかじゃない。
これらを認めない歴史学者は、裁判で負けた東中野修道他偏見を持ったごく少数のはずだ。なんせ、上海・南京戦争の直前に兵士一般向けに、わざわざこんな教育をしてきた日本なのである。
『なお、33年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」には、こういう一文があるという事実も付記しておきたい。わざわざ、兵にこう教えていたのである。
「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『餓死した英霊たち)。(同上書)』(当ブログ15年9月30日拙稿より抜粋)』