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沖縄米軍基地巡り⑦     まもる

2010年03月02日 10時54分42秒 | Weblog
 サンゴの海、ジュゴンの北限の美しい大浦湾の一角に広大な米軍海兵隊基地キャンプシュアブがありました。鉄条網に延々と囲われた基地は国道沿いに海岸側と内陸側に分けられています。基地への入口の検問所もいくつかあり、写真を撮ろうとしたら検問の兵士に写さないよう注意を受けた。                                キャンプ・シュワブの名前の由来は、1947年5月7日沖縄で自らの命を危険にさらし、勇敢かつ剛勇に活躍して名誉勲章を受章したアルバート・E・シュワブ一等兵にちなんで名付けられました。 同施設は沖縄北中央部の久志岳下方傾斜にある小さな半島に位置し、海兵隊で最も歴史の古い第四海兵連隊の本拠地でもあります 。そして部隊配備プログラムに参加している2つの歩兵部隊、戦闘攻撃大隊と第三偵察大隊もすべてキャンプ・シュワブに駐在しています。

 即応物資中隊の弾薬小隊、即応物資大隊、第三海兵役務支援軍もまたキャンプ・シュワブに属し、辺野古弾薬補給所の運営をしています。

 1944年、日本の海軍潜水艦基地がタンキ浜ビーチ(現在の大浦湾ビーチ)に建設されました。 同施設は、1945年3月に米軍による空爆と砲撃により崩壊されました。 1945年4月5日、米軍がこの地域を占領して補給基地として使用しました。 6月25日、今帰仁村、伊江島、本部町の住民がこの地域に引っ越してきました。 それで人口が4万人近くに増え、大浦崎市と改名されました。 1946年6月にはこの地域に駐在する米軍が撤退し、芋、米やサトウキビ等が耕作されました。 1956年11月、県内でいくつかの基地候補地交渉が行われ、辺野古地区に隣接する大浦崎市が選ばれました。 そして1959年11月、建設工事が終ると最初の海兵隊の部隊がキャンプ・シュワブに到着しました。

 キャンプ・シュワブの任務は、訓練施設の整備と運営をして第三海兵遠征軍を支援することです。
 基地内には、教会、メデイカルクリニック、ビーチヘッドクラブ、PX、映画館、ジム、郵便局、図書館、ボーリングセンター、水泳センター、食堂、宿泊施設、カーケアー、スケートパーク、USO等至れり尽くせりの施設が運営されています。-------------------------------------------------------------------
 地域への関与
キャンプ・シュワブの海兵隊員たちは、友好協議会、シュワブ スポーツディやボランティアの福祉活動など、年間を通してさまざまな地域交流プロジェクトを実施しています。 また同基地の海兵隊員たちは、辺野古や名護市の住民と共に辺野古スポーツ ディ、名護ハーリーや沖縄相撲大会、大綱引き大会、名護桜祭等の文化交流プログラムに参加しています。

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