
受験大阪出張
入営して二週間程経った頃、大阪に受験のため出張を命じられた。
この年のはじめ特別幹部候補生の受験資格があるので願書を出していた。
大阪城内の連隊で試験がある。
部隊から受験者二名いるので同行して行くようにという命令であった。
大阪市内に指定旅館があるそこに宿泊する事、
候補生であるから行動には厳重に注意することを申告。
往復切符を持って大阪まで出かけた。
まだ一つ星の兵隊兵営の外を歩くのは初めて緊張してでかけた。
受験は、問題の解答は全く出来なかった事だけはよく覚えている。
しかし久しぶりの旅館の夕食は旨かった。
手足をゆっくり伸ばして寝た。地獄から天国とはこのことかと思った。
翌日は朝真っ直ぐに部隊まで戻った。
昭和二十年元旦。私は三重県斉宮村第七航空通信連隊で迎えた。
アメリカのB29爆撃機は、昭和十九年大晦日から東京、
名古屋、博多にお年玉の無差別空襲を行った。
年末からB29の名古屋空襲は伊勢湾を目標として東海地方へと北上する。
伊勢湾に近い部隊では必ず空襲警報発令となり、
兵隊は部隊のまわりに警備の展開をする。
真っ暗闇の中で真っ赤に燃える名古屋方面の空を
呆然と眺めていた年末年始であった。
昭和二十年の元旦は大根畑の中で、凍った大根をかじりながら迎えた。
空襲が終わったB29の大編隊を見送ると、
空襲警報解除となり警備完了して部隊に戻る。
完全な戦時編成で年末年始の休日もなく元日も正月給与の記憶は全くない。
さらに三日には大規模な名古屋大空襲があった。
この日の名古屋方面の空は静寂の中すべて真っ赤に彩られ、
一生涯忘れられない音のない戦争音風景となった。
毎晩往復のB29の大編隊の爆音はいまでも耳の中に残っている。
つづく
★写真は、名古屋大空襲による名古屋城の炎上。