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代表・岡崎慎司が成長を語る  文科系

2009年07月10日 23時59分52秒 | スポーツ
岡崎慎司のことは、去年からここで何回も書いてきた。代表の代表・「点取りの顔」が生まれるという予感からだった。そんな時、スポーツグラフィック・ナンバー最新号に彼へのインタビューが載った。その内容は、最近の自分が成長したと思う点を語っていて、それもかなり深いと感じた。そこを、彼の言葉として要約する形式で紹介し、いくらかのコメントをつけたい。サッカーの最新点取り術紹介というところだろう。

①「自分が動けば良いパスが来る」
去年11月、シリアとのテストマッチで先発しましたがある反省がありました。「自分は、味方のパスに合わせて動いているだけのFWだ」と。これに対して、今年の1月ごろにこう決心したんです。「自分は止まった状態で足元にボールを受けても何もできない。自分から動き出そう」と。すると、良いパスが来るんです。だから、パサーがパスする前に「ここに欲しい」というのを示すんです。もう身振り手振りを入れながらね。

②迷いをなく動くこと
「僕はこっちに行きたいけど、パサーはなんか違うところを見てるんじゃないかな」、なんてやってると、遅れてしまい、相手より先にボールにさわれなかったりします。自分を信じて、とにかく迷いを捨てて自分から動くことにしました。

③自分の長所と、これから身につけたいプレー
去年の代表戦でも確かに、自分は運動量があったし、チャンスも作れていたと思う。今年のチリ戦では、フィジカルコンタクトでも負けていないなと感じた。(その上で、上記の変化があったということなのだ)
僕のゴールを目指す姿勢は、相手のDFラインを下げさせると思うんです。すると、相手の、DFラインとボランチの間にスペースが生まれます。そこで僕がボールを受けられるようになって、さて何ができるかと。これが、次のステップへの課題です。


さて僕、文科系は以上の内容から、中田英寿と中山雅史の間にあったこんな会話を思いだす。多分、まだ中田が日本にいた97年頃のことだ。20歳の代表新人が、日本のエースアタッカーの1人に堂々と助言した話であって、いわゆる「体育会系」組織ではあり得ないようなエピソードとして、強烈な印象を受けた覚えがある。

英「中山さん、あんなに敵DFを背負ってちゃパスを出せませんよ。何でも良いですから、敵のいないところへ全力で走ってってください。そこにパスを出しますから」
中山は、半信半疑ながら言われるとおりにやってみたら「すげー!」と目から鱗だったと述べている。ぎりぎり届くあたりに、厳しいパスが来たのである。ゴール枠に入りやすい絶好の場所で、かつ自由にシュートが打てるということなのだ。
ちなみにこの話が多分、全盛期の磐田を作るのに生きたはずなのである。磐田のパスサッカーはこれ以降に、点とり屋の中山の動きに合わせて組織全体が動くようになったという磐田選手の話を聞いたことがあるからだ。この時の磐田がどれだけ強かったかは次のことで分かる。02年に中山の相棒・高原がJリーグ得点王になったのだが、これ以来日本人得点王は出ていない。

なお、中田・中山のこの歴史的やりとりにも関連することだが、当時の中田にはサッカー関係者の大多数からずっと、こんな批判が集中していたことも思い出す。
「不親切なパスばかりを出す奴」
「アタッカーに『全速力でそこまで動け。届くはずだ』という生意気で、不遜なパスだ」
そのすぐ後には、「中田のパスこそ世界標準である」と変わっていったというおまけが付く話であった。代表での相棒トリオを形成した名波、山口や、岡田監督が中田のこのパスを高評価したからである。
中田へのこの批判から、当時の僕は、評論家とか専門家とかが案外当てにならぬなと思ったものだった。20歳の中田が、日本サッカー関係者全体を大変革したというエピソードでもあって、非常に興味深い。
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3 コメント

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異質だからこそ (只今)
2009-07-11 11:09:33
 右翼につけ回された中田と、箪笥にゴン!の中山という、両極に位置した二人であったからこその逸話と興味深く聞かせていただきました。
 それにしても、この二人をそれとなく見守り助けた人物はいなかったのでしょうか。
 例えば、グルノーブルを一軍に引上げた祖母井(うばがい)のようなゼネラルマネージャーはいなかったのでしょうか。
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只今さん (文科系)
2009-07-11 13:39:21
良い指摘をありがとうございます。

見守る人はいませんでした。日本が井の中の蛙だったから。ワールドカップは出たことがないし、外国へ行った選手もいない。いても語れなかったのでしょう。
中田がこれだけになったのは、ジュニアユース時代からすべての世界大会に出た初めての世代だからです。中田自身が、こう語っています。「外国の同世代対戦相手から学んだ」
具体的にはナイジェリアのヌワンコ・カヌー、スペインのラウールなどです。

祖母井はすごい人物ですね。若くしてヨーロッパサッカーを学び、千葉のGM時代だったかに、オシムを日本に呼んだのは彼でしょう?
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只今さん、追加です (文科系)
2009-07-11 13:49:07
どうどうと注文した中田も偉いけど、10歳も年上なのに聞き入れた中山も偉いと思う。中山がまだ現役でいられるのは、こういう学習態度からだと思う。
中山は、ワールドカップはフランスも日韓も出たけど、帝王と言われても三浦は両方とも出ていない。こういう違いが原因だと思う。

俊輔や遠藤も、中田を見て成長したのではないか。他方、10代も早くから天才と言われた小野、稲本はもう消えていきそうだ。中山と三浦の違いと同じものを感じます。
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