7月初めにもここで報告しましたが、当ブログアクセス数などの絶好調が3週続いています。1週間合計のアクセス数、閲覧数ともにちょっとした「質的変化」の時期にあると述べて良いほど。管理人さんと違って、僕のような立場のほうが手放しで喜んでみせられるでしょうから、以下は例によって、そういう立場からの報告です。
6/28~7/4日 1,792人、6,117面
7/5~11日 1,670人、6,009面
7/12~18日 1,701人、6,765面
さて参考のために、過去最高はこうなっています。
アクセス数は1,468人(本年5/31~6/6日)で、閲覧数は5,281面(同、3/8~3/14日)です。つまり、上記第1週の1,792人アクセスと、第3週の6,765面はこのブログの新記録なんです。
gooブログ総数は125万ほどあるそうですが、その4000番目ほどのにぎわいだそうです。
そして、ここまでの推移はこんなふう。
発足半年ほどは週200人、1000面弱が当たり前でした。これが2年目に入るとまもなく、400人、1500面ほどになりました。500人、2000面が当たり前になったのは、発足後1年半ほどのことです。1000人、3000面が常となったのは、それからさらに1年ほどたった去年の春ごろからのことでした。
継続は力ですし、数は力と言っても良いと思います。これまでここをのぞかれ、コメントを書かれ、投稿されてきた皆さんとともに今回の隆盛を大いに喜び合いたいものです。
そして最後に、このブログに臨んでいる僕の気持ち、動機を書いたに等しい短い随筆を添えたいと思い立ちました。僕はこんな気持ちで書いているというわけです。別の所に書いたものですがご笑覧下さい。
【 苛立っていて、怒りっぽくなった。とばっちりを食う連れ合いなどはずいぶんいい迷惑だ。根が激しい質どうし、夫婦げんかも止め処を知らぬ。苛立ちの元は、世の中の中心から全体へと広く深く染み渡っていく厚顔無恥な羊頭狗肉ぶり。お金の信用不安はやがて取り戻せても、若者らにも広がっている「言葉の信用不安」は一体どうやって取り戻すのか。
1929年の世界大恐慌直後たった2回の選挙で極小政党ナチを巨大にし、あっという間にヒトラーを大統領にまで上り詰めさせたドイツ国民。昨今「世論調査」の日本人も、その結果を喧伝する現代日本マスコミも、あれに似て何でも景気と取引してしまいそう。「そりゃ、あんまりです」とつぶやくのも虚しいようなことばかりが多すぎはしないか。】
6/28~7/4日 1,792人、6,117面
7/5~11日 1,670人、6,009面
7/12~18日 1,701人、6,765面
さて参考のために、過去最高はこうなっています。
アクセス数は1,468人(本年5/31~6/6日)で、閲覧数は5,281面(同、3/8~3/14日)です。つまり、上記第1週の1,792人アクセスと、第3週の6,765面はこのブログの新記録なんです。
gooブログ総数は125万ほどあるそうですが、その4000番目ほどのにぎわいだそうです。
そして、ここまでの推移はこんなふう。
発足半年ほどは週200人、1000面弱が当たり前でした。これが2年目に入るとまもなく、400人、1500面ほどになりました。500人、2000面が当たり前になったのは、発足後1年半ほどのことです。1000人、3000面が常となったのは、それからさらに1年ほどたった去年の春ごろからのことでした。
継続は力ですし、数は力と言っても良いと思います。これまでここをのぞかれ、コメントを書かれ、投稿されてきた皆さんとともに今回の隆盛を大いに喜び合いたいものです。
そして最後に、このブログに臨んでいる僕の気持ち、動機を書いたに等しい短い随筆を添えたいと思い立ちました。僕はこんな気持ちで書いているというわけです。別の所に書いたものですがご笑覧下さい。
【 苛立っていて、怒りっぽくなった。とばっちりを食う連れ合いなどはずいぶんいい迷惑だ。根が激しい質どうし、夫婦げんかも止め処を知らぬ。苛立ちの元は、世の中の中心から全体へと広く深く染み渡っていく厚顔無恥な羊頭狗肉ぶり。お金の信用不安はやがて取り戻せても、若者らにも広がっている「言葉の信用不安」は一体どうやって取り戻すのか。
1929年の世界大恐慌直後たった2回の選挙で極小政党ナチを巨大にし、あっという間にヒトラーを大統領にまで上り詰めさせたドイツ国民。昨今「世論調査」の日本人も、その結果を喧伝する現代日本マスコミも、あれに似て何でも景気と取引してしまいそう。「そりゃ、あんまりです」とつぶやくのも虚しいようなことばかりが多すぎはしないか。】
ちょっと政治家の悪口をいうと
「そんな評論家のような
エラソウナ口で・・・」
と、哂われる。
このブログで言いたいことをいう。
それが家庭の平安です。
男は政治が目的であっても熱中してしまいますが・・・
女は政治は手段であるときちんと認識しているみたいです。
選挙の開票日など深夜まで握りこぶしで熱中出来るのは男。
女は明日のためにあっさり寝てしまいますね。
女房いわく、明日の新聞見れば解説までしてあるわよ。
あんたが徹夜してなにか変るの?
ゴモットモ
政治的会話では意見が合うことが多いのですが、すれ違い、行き違い、誤解のようなものに端を発するケンカがおおいですね。生活の基本的発想法、話の進め方が逆みたいだからでしょう。僕が演繹というなら、連れ合いは帰納ですし、僕が”文化的楽しみ”なら、あちらは”仕事、生活実務”と言ったところ。
にしても、このブログ、よくここまで成長してきたもんですね。堅い話題で、組織に半分足を突っ込んだものなのに。