10月31日に「護憲派からの正しい自衛隊育成論が必要な時」という投稿をした。
それは天木氏が産経のスクープの「防衛力を整備するあらたな局を新設しそこに自衛官を多数配置するという改革案」と言う記事を材料に、防衛省の変質に危惧を示した事を書いたのを受けて、護憲派がもっと防衛省を監視・教育せねばならぬ事を記事にした。
まさにそうした制服組の台頭が、思想・教育面でも浸透し、危険な防衛省の体質の現れとして、今回早速「田母神幕僚長」の懸賞論文問題で露呈された。
その後の報道では、論文応募は省内研修の一環として推奨され、78人が応募し幕僚長と同趣旨の侵略戦争美化の論文もあったと言う。
政府見解に真っ向から否定する「侵略戦争肯定」の思想・史観を、幕僚長が先頭になって部下の幹部に流布誘導する。恐ろしいことである。 問題の本質を深く追求し解明しなければならない重大問題である。 悪しき芽はすぐに摘め。
それは天木氏が産経のスクープの「防衛力を整備するあらたな局を新設しそこに自衛官を多数配置するという改革案」と言う記事を材料に、防衛省の変質に危惧を示した事を書いたのを受けて、護憲派がもっと防衛省を監視・教育せねばならぬ事を記事にした。
まさにそうした制服組の台頭が、思想・教育面でも浸透し、危険な防衛省の体質の現れとして、今回早速「田母神幕僚長」の懸賞論文問題で露呈された。
その後の報道では、論文応募は省内研修の一環として推奨され、78人が応募し幕僚長と同趣旨の侵略戦争美化の論文もあったと言う。
政府見解に真っ向から否定する「侵略戦争肯定」の思想・史観を、幕僚長が先頭になって部下の幹部に流布誘導する。恐ろしいことである。 問題の本質を深く追求し解明しなければならない重大問題である。 悪しき芽はすぐに摘め。
今度の懸賞論文事件にしても、多数の自衛官が応募している事が明らかになった(11月2日毎日)。
おまけに11月4日の産経新聞「政論探求」で花岡信昭客員編集委員が認めているように、今回の懸賞論文は、彼自身が渡部昇一氏らと並んで審査委員を務めていたという「真の近現代史観」懸賞論文である。
つまり政府の歴史観を最初から否定する事が決まっている論文の競い合いであったのだ。
だからこそ、花岡委員が11月4日の産経紙上で認めているように、審査をしながら、政治記者時代の直感で、「ただではすまない」と今日の事態を予感した、というのである。
このような制服組の暴走を防衛省が知らなかったはずはない。
そしてそれに当惑していなかったはずはない。
それにもかかわらず、止めさせる事ができなかったところにこの問題の深刻さがある。
政治の弱さがある。
浜田防衛相は報道陣に、「かなり思い切った事を言う方だな、というのは聞いていた」と述べたらしい(11月3日朝日)が、この事がそれを物語っている。
知っていながら適切な対応をしなかった、できなかったのだ。
なぜ今回の事件が起きるまで黙認され続けたのか。
それは、今度の事件が発覚してもなお田母神元幕僚長を懲罰できず、腫れ物に触るように定年退職の形を整えてお引取り願っている、政府、防衛省の対応をみても明らかだ。
制服組みに遠慮しているのである。近年の政治の緩みが制服組を次第に増長させていたのである。
シビリアンコントロールが、もはや機能していないという事である。
その行き着く先が、11月3日の田母神前航空幕僚長の退任記者会見である。
自分は正しいと開き直り、政府の方針と異なる事をいう事を許されない日本は北朝鮮と同じであるなどと繰返す。
しかし田母神元幕僚長の言動には最大の矛盾と限界がある。
侵略戦争を否定することは占領国米国が裁いた東京裁判を否定することだ。
「テロとの戦い」に協力し、米軍と一体化しつつある自衛隊の幹部が、もっと言えば米軍の指揮・命令のもとに米国の傭兵と化しつつある自衛隊の幹部が、その親分の米国に向かって「日本は侵略国家ではなかった」と言えるのか。
信念であるというのならもう一度米国に向かって言ってみればいい。
それが出来ないようでは、しょせんアジア蔑視の空威張りでしかない。
田母神論文の本当の問題はそこにあるのに違いない。
http://www.amakiblog.com/blog/
2008-11-07 17:04:55
この問題、僕も大いに喋りたい。ただ、もうちょっと多面的に論じてみたいです。
この問題を語るとき、どうして守屋問題が出てこないのでしょう。彼は制服組じゃないですね。制服も背広も、防衛庁全体がはとにかく超ルーズになって、腐っているということでしょう?
また、どうして政治家が出てこないのでしょう。久間とか額賀とか、アメリカと繋がっていた大臣、やつらです。
立場上彼らこそ、制服組、背広組の指導者でしょう?あのアホ面だけでなく、甘く見られていたということ以外の何ものでもない。彼らの利権が周知の事実だったんじゃないですか? だからこそ、守屋もあんなにルーズなことができた。
また、これ自身はこういう日本イデオロギー問題であって、実質的損得だけを考えているはずのアメリカをこれの主人のように出してくるのも反対です。
アメリカの軍需産業との癒着。
海外派兵を推進すること。
イデオロギーとして聖戦観を持つこと。
これを実現するために政治的な力を持つこと。
これらは航空幕僚長の頭のなかでは
一体でしょうね。
敗戦も、軍人が威張り散らすことが
なくなって良かったと、父の話。
また、そんな時代が来ないように。
文科系さんの軍人が威張っていた時代は、あったのでしょうが、現在の日本の自衛隊の置かれた状況は異常です。この状況下で、国家・国民を守れという方がおかしいのです。
司馬史観というように、明治時代の日清・日露
戦争は、自衛戦争のうちにはいるが、昭和の時代の戦争は、侵略戦争だという思想は、間違いです。
国家・国民を守る自衛隊の扱いを、戦後、あのアホな九条を変えることなく、ここまで来た、来させて我々国民と政治家の責任が大きいとまずは思う事でしょう。前幕僚長こそが当たり前の考えです。こういう主張に対して、政治家が逃げてしまう事が、いけないのです。戦後も60年以上もたって、未だに東京裁判の呪縛から抜け出していないのです。
こうした意見を封殺してしまってはいけないのです。
ドイツとは、日本がここが異なるのが残念です。
あなたのは、歴史認識自身の問題です。二つの歴史認識でどちらが正しいかという問題ですね。
それに対して、まもるさんのはこういうこと。どちらが正しいかではなく、政府がこう表明してきたのだから、制服組はそれに従わなければいけないと、こういうことです。
防衛政策上のどんな基本政策にも異論はありえます。その場合に、制服組は政府方針と違うことを言動してはいけないということです。この決まりは、歴史論自身とは無関係です。
政府が国会決定と違うことをやってはいけないのと同じ問題です。それをやってよしといえば、国としての行動があちこちむちゃちゃになってしまう。
国としての方針に反対の人、場合は当然あるでしょう。ただしその場合は、その表明も自由ですが、その方針を作る国家機関から変えていかなければいけないわけです。
貴方だって、ある教員が「日の丸がいかに国旗ではないか」と生徒に教えたとしたら、「そんな奴、首にせよ」と息巻いて、怒るでしょう。その時に日の丸を引きずり下ろした人が「日の丸は正しくない。こういう意味で」と叫び始めたら、「その問題はあるかも知れないが、今は問題が違うと」言いませんか。