10月17日に投稿した「狂った世界」にはコメント、討論が多くって、18にものぼっている。このエントリーを書いた僕としても、これを重視して多くのコメントを書いてきたし。この週に当ブログ閲覧数が4ヶ月ぶりに週1万を越えたのは、連載中サッカー記事の人気(常時100程のブログで紹介されている)だけではなく、これの影響もあったと僕は見ているほどだ。
さて、この投稿に昨日付けた二つのコメントを手直しして、再掲したい。現代世界の左翼の方々にはどうしても必要な戦略的知識に関わってくると考えるから。どうかお読み願い、ご意見をお寄せ願いたい。
「狂った世界」について、みなさんへ 2010-10-31 09:56:18
ここでの論議、コメントやり取りは、是非よく頭に入れておいていただきたいと思います。右翼、我々の論敵が、意識しようとしまいと社会ダーウィニズム思想に傾いてくるということをです。むしろ、こう語った方がよいかも知れない。現代世界をなんらか肯定しようとすると、結局そういう思想に行くしかないと。グローバリズムを支持するって、そういうことだと思うのですね。つまり、新自由主義経済やその国家を基本支持することは、「社会ダーウィニズム(の感性)」と親類同然なのであって、この感性にはなんというかヒューマンなものが欠けているということ、です。
以上のことは当ブログ07年7月8日、16日の拙稿、「日本主義の形について」(その1,2)で初めて気付き、書いたことでしたが、興味ある方はこれに目を通して下さい。出し方は、こうです。
①右欄外最下方の「年月」欄をスクロールして07年7月を出し、これをクリックする。
②すると、右欄外最上方のカレンダーが、07年7月分に変わっているはずですので、その8日をクリックする。
③すると、投稿欄そのものが、07年7月8日分の投稿全てに変わりますから、そこから「日本主義の形」を探して下さい。
さらに一言 2010-10-31 14:47:22
社会ダーウィニズムについてさらに一言。
世界経済が大不況な分、生死をかけたような競争がいつでもどこでも、激烈になる。世界的にも同業者間の競争がそうなり、そういう世界企業の下請けでもどんどん競争を強いられる。一企業の中とか、どこに就職するかでも人々は争い、不況下ではサービス業の値下げ競争も激烈だ。
さて、こんな社会では、社会ダーウィニズムはまさに、この渦中にある自己をぴったりと表現してくれる思想と言えないだろうか。こんな標語が、時代にマッチしてくるということだ。
「ヒューマニズムなんて甘っちょろい!」
「権利としての平等? そんなもん幻想だよ。人間には差があるもの。さぼっとる奴が貧しくなるのは当たり前だろう!」
「平和? 国だってもっと争うようになる。戦争はなくならんし、日本に攻めてくる国も必ずある。甘っちょろい幻想をふりまき、人々を誤らせるもんじゃないと言いたいね!」
「とにかく世界もこの社会も、国家同士も、ますます生きるか死ぬか」
「存在が意識を規定し、意識が存在を支える武器にもなる」とすれば、上の「存在と思想の相互作用、相互補完状況」には、一つの現実的根拠があることになる。「ヒューマニズム」や「平和」よりも、「社会ダーウィニズム」の方が、時代に密着した反省の少ない感性にはより親密感が湧くということだろう。だからこそ、言葉だけでの批判が、難しくなるのだと思う。それだけでは、反論根拠の方が逆に幻想的な「古い思想」とだけ扱われかねないのではないだろうか。我々の世代が、子どもらに「こういう世界」を残したことも事実なのだし。難しいことである。
(注 昨日の閲覧数が、何故か非常に高い数値になっていて、2、722。普通の2日分だ。アクセス数自身は293と、むしろ少ないのである。上に書いた方法で、過去記事にアクセスしてくれた人が多かったとしたら、とても嬉しいな!それよりもまーネット虫さんの番組紹介がみんなに読まれたという可能性の方が高いと思うけど。 みなさん、コメントで誰かも勿体ないと語っていたことですし、ご自分の過去の記事も時には問題化し、論議しあいましょう!)
さて、この投稿に昨日付けた二つのコメントを手直しして、再掲したい。現代世界の左翼の方々にはどうしても必要な戦略的知識に関わってくると考えるから。どうかお読み願い、ご意見をお寄せ願いたい。
「狂った世界」について、みなさんへ 2010-10-31 09:56:18
ここでの論議、コメントやり取りは、是非よく頭に入れておいていただきたいと思います。右翼、我々の論敵が、意識しようとしまいと社会ダーウィニズム思想に傾いてくるということをです。むしろ、こう語った方がよいかも知れない。現代世界をなんらか肯定しようとすると、結局そういう思想に行くしかないと。グローバリズムを支持するって、そういうことだと思うのですね。つまり、新自由主義経済やその国家を基本支持することは、「社会ダーウィニズム(の感性)」と親類同然なのであって、この感性にはなんというかヒューマンなものが欠けているということ、です。
以上のことは当ブログ07年7月8日、16日の拙稿、「日本主義の形について」(その1,2)で初めて気付き、書いたことでしたが、興味ある方はこれに目を通して下さい。出し方は、こうです。
①右欄外最下方の「年月」欄をスクロールして07年7月を出し、これをクリックする。
②すると、右欄外最上方のカレンダーが、07年7月分に変わっているはずですので、その8日をクリックする。
③すると、投稿欄そのものが、07年7月8日分の投稿全てに変わりますから、そこから「日本主義の形」を探して下さい。
さらに一言 2010-10-31 14:47:22
社会ダーウィニズムについてさらに一言。
世界経済が大不況な分、生死をかけたような競争がいつでもどこでも、激烈になる。世界的にも同業者間の競争がそうなり、そういう世界企業の下請けでもどんどん競争を強いられる。一企業の中とか、どこに就職するかでも人々は争い、不況下ではサービス業の値下げ競争も激烈だ。
さて、こんな社会では、社会ダーウィニズムはまさに、この渦中にある自己をぴったりと表現してくれる思想と言えないだろうか。こんな標語が、時代にマッチしてくるということだ。
「ヒューマニズムなんて甘っちょろい!」
「権利としての平等? そんなもん幻想だよ。人間には差があるもの。さぼっとる奴が貧しくなるのは当たり前だろう!」
「平和? 国だってもっと争うようになる。戦争はなくならんし、日本に攻めてくる国も必ずある。甘っちょろい幻想をふりまき、人々を誤らせるもんじゃないと言いたいね!」
「とにかく世界もこの社会も、国家同士も、ますます生きるか死ぬか」
「存在が意識を規定し、意識が存在を支える武器にもなる」とすれば、上の「存在と思想の相互作用、相互補完状況」には、一つの現実的根拠があることになる。「ヒューマニズム」や「平和」よりも、「社会ダーウィニズム」の方が、時代に密着した反省の少ない感性にはより親密感が湧くということだろう。だからこそ、言葉だけでの批判が、難しくなるのだと思う。それだけでは、反論根拠の方が逆に幻想的な「古い思想」とだけ扱われかねないのではないだろうか。我々の世代が、子どもらに「こういう世界」を残したことも事実なのだし。難しいことである。
(注 昨日の閲覧数が、何故か非常に高い数値になっていて、2、722。普通の2日分だ。アクセス数自身は293と、むしろ少ないのである。上に書いた方法で、過去記事にアクセスしてくれた人が多かったとしたら、とても嬉しいな!それよりもまーネット虫さんの番組紹介がみんなに読まれたという可能性の方が高いと思うけど。 みなさん、コメントで誰かも勿体ないと語っていたことですし、ご自分の過去の記事も時には問題化し、論議しあいましょう!)
でもそれって、何の意味があるの?
①ある新聞にくだらない記事があると言って、そのあらゆる記事が嘘ということにはなりません。
②陰謀論というのが簡単に言える事じゃないと、まだ理解できないの? ある事件が陰謀によるものか否かは、裁判みたいな長い事実検証でやっと分かること。「そんなこというのは陰謀だ」なんて、簡単にその真偽が出ることじゃないでしょう? よって、ほとんどの人のすべての判断が、それなりの総合的状況判断ね。
③ナンバーの記事も同じ事。あなたは、何が劣化かを、そもそも語ってないでしょう?
人々が例えば僕のサッカー連載を読むのは、内容が良いと判断するからです。貴方がサッカー物書くとして、僕の連載のように100のブログで紹介なんかされる?
このブログが賑わうのがなんか憎らしければ、貴方も僕の真似してお客をとったら良いんだよ。
チャチャを上手に入れて下さい。
今回のはザブトン上げられないな・・・
①人間も動物。争うもの。戦争は必ず起こるし、日本も必ず巻き込まれる。
②よって、「国民、国民生活自身」のためにも、国家責務の第一は国防。
③国際平和とか地球的ヒューマニズムなどという価値のようなものは、幻想である。
こういう大命題からこんな外交理念、方向が出て来るのは、明白なことです。
①防衛以外の国家目的は比重が軽くなる。
②自衛隊は専守防衛目的。自分から侵略などするわけがない。ただし、その明治~昭和観にも見えるように「国防」の概念を恐ろしく広げる傾向がある。
③内政は、国民を一丸にする愛国心の涵養こそ重大事。「国民、国民生活安定」も主としてそういう観点から見るから、国家目的ではなく手段的なものになるのではないか。国民の生活が大事ならば、同様に他国民の生活も大事なはずだが、そうはなっていないようだ。
④外国とは、敢えて言えば利用すべき対象である。
僕は、以上を唱えて止まない人々が、これを本気で信じているとも見ていません。なぜならば、戦争で人を脅し「戦争を防ぐ」「そのための日本」という以外の積極的人類価値はほとんど語らず、諸外国文化自身の勉強などをしているようにも見えないからです。もっとも人類理念というものがないから日本主義と、僕は呼ぶわけですが。
なお、こういう「戦争で人を脅す、『オオカミ少年思想』」は現実には多分、戦争、国際紛争を待望しているにも等しいものとも考えています。戦争の悲劇を語りながら、反戦運動などには嘲笑を持って対する人々が多いからです。丁度人が、ヒイキのチームの勝ちを願うようなものでしょう。
さて、こういう思想のどこに、どういう価値が見いだせるでしょうか? 価値観というものは無いと思います。現実論というだけが存在する、ニヒリズムに近い物だとも見ています。
もちろん我が身を振り返ると、実現できない価値観では、これを幻想と言われても仕方ないわけですが。