九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ワジワジーな想い。        風の外間さんのメール

2007年10月01日 12時11分45秒 | Weblog
※風の仲間、外間さんからの熱いメールが届きました紹介します。まもる  
************************************

ワジワジーといううちなーぐち(沖縄方言)をご存知ですか?
胸の中が煮えたぎっているというニュアンスです。
「集団自決」には日本軍の強制はなかったというように高校日本史を書き直せという政府・文科省の圧力には、全ての沖縄県民が怒りに怒っているのです。
だから11万人もの方々が集まったのです。一人ひとりがそれぞれの思いを抱いて、自発的に。
僕はやまとぅの地に45年住んでいますが、沖縄人(うちなーんちゅー)としてのアイデンティティーはずっとあります。いつの時代も逞しく生きてきたという誇りと、人間の尊厳も持ち合わせているつもりです。
29日の県民大集会には参加できませんでした。当日、世話人をしている地元の九条の会の会合が重なっていて。
27日の首都圏プレ集会には参加しました。
参議院議員の山内徳信さんのご挨拶も、報告、講演なさった皆さんの声、主張も、全て頷けるものでした。
沖縄タイムス、琉球新報の2紙が世論をリードしているのに比べ、やまとぅの商業紙は報道が少ないですね。「温度差」を感じます。
沖縄の問題で、自分には関係ないと思っていらっしゃる方が、皆さんの周りには多いのではないでしょうか?
全国の高校生が使う教科書で、全ての出版社が書き換えを強制されているのですよ。
もう決まったことはどうしようもない・・・そんなことはありません。
80年代初めに、やはり沖縄戦で、日本軍の住民虐殺の事実を教科書から抹殺しようとしたことに対して、沖縄ではそれこそ島ぐるみの運動が盛り上がった。
政治的無関心の方々も、ワジワジーして。
今度も全国でこの運動を盛り上げて行きましょうよ。
お願いします。
議会に働きかけたり、署名を集めたり、周りの皆さんに、働きかけて下さい。
この国の未来をどう作って行くか、教育とはどうあるべきかということも。
津嘉山君、照屋さんが2人で、高校生代表として集会で「おじぃおばぁはうそついていない」と題して、訴えていますね。「分厚い歴史教科書の一文、一行。その中には失われた尊い命があります。二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思い思いがある」と。
そして、二人は声を揃えて訴える「教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないで欲しい。たとえ醜くとも真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」11万人の前でしっかりと訴えて、万雷の拍手だったようです。
ワジワジー!!!
48年前に、中学3年の担任が声を荒げて、ゴムまりは押さえつけてばかりだと、やがて爆発すると、僕たちに語ったものです。
石川市(今はうるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落して、死傷者138人(!!!)の「事件」に対してです。(1959年6月30日)
虫けら同然に扱われ、戦争で死を強制され、防空壕を追い出され(我が家は2回も!)、食糧を強奪され(僕を負ぶった母も)、このようなことを隠し、また再現するのですか?
軍は住民を守れないどころか、危害を加えた。
沖縄戦でのこの歴然たる事実を覆い隠そうというのが、今回の教科書改ざん、歴史の偽造問題の間違いです。
そのことが間違いだと気づきながら、自分は何もしなかったなら、後々まで悔いを残すことになります。
みなさん、力を合わせましょう。政党支持の問題など、小さいものです。
大同の原則で。
僕は生後すぐに沖縄戦に巻き込まれ、母に守られて奇跡的に生き残ったものとして、「ゼロ歳の僕の沖縄戦体験」を語り続けています。高校生に授業の中で。退職後は小学生からお年寄りにまで。「戦争のない時代に生まれたかった」と言う言葉を残して、19歳で戦死した鉄血勤皇師範隊の宮良英加さんの思いと合わせて。この方は捕虜の米兵に食糧を上げたことが日本軍に判って、おばけのように顔が変形するまでリンチを加えられたという、博愛で平和主義者です。彼に危害を加えた日本軍はまた沖縄住民をスパイ容疑などで多く殺害しています。
「集団自決」を強制した日本軍と本質が同じです。
真実から目を背けずに、未来を創っていきたいものですね。

「風」の総会でも、熱い心でこの問題を論議していただきたい。
強く要望します。

なお、どこにでも語りに行きます。命の尊さを、平和の大切さを。
聴いてくださった方々はどなたも、涙をこらえながら聴いた。感動したと感想を語ってくださいます。真実の持つ重みです。きれいな水も飲めず、母が駆けつける前夜に、3歳で写真一枚残せずに、戦争に殺された兄の魂を込めて語ります。

集団自決の起きた一部の慶良間のきれいな海、きれいな景色を拙ブログでご覧下さい。去年の3月に沖縄平和の旅を案内して、終了後残って座間味島で撮ったものです。
『うちなー讃歌』というささやかな写真詩集には、ゼロ歳の僕の沖縄戦体験を散文で載せています。
http://blogs.yahoo.co.jp/gppdq762

外間喜明(ほかまきめい)
コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 当時の熱い思いで9条を語ろ... | トップ | 当時の熱い思いで9条を語ろ... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沖縄タイムスの記事より (ネット虫)
2007-10-01 12:46:39
「22万の瞳にこたえよ」  タイムス視点

 強い日差しの中、時折心地よい風が吹いた。会場に入りきれない人々は、公園や隣の建物、小道、雑木林の中に座り、遠くで聞こえるマイクの声にじっと聞き入った。ステージが遠くても、見えなくても、そこに集まった二十二万の瞳は、検定撤回を求めるスピーチが続く舞台を静かに見詰め続けていた。
 けれども、あなたはそこにはいなかった。

 内間敏子さん=当時(19)。りんとしたまなざし、ピンクのブラウスがよく似合ったあなたは、座間味国民学校の教師。音楽が好きで、あなたがオルガンで奏でた重厚なハーモニーに感動し、戦後音楽の道へ進んだ教え子もいた。そのことをあなたは知らない。一九四五年三月二十六日、座間味村の「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。

 自ら手にかけなければならない子どもたちをぎゅっと抱きしめ、「こんなに大きくなったのに。生まれてこなければよかったね。ごめんね」と号泣した宮里盛秀さん=当時(33)。戦時下、座間味村助役兼兵事主任だったあなたは、「集団自決」の軍命を伝えることで、軍と住民の板挟みになり苦しんだ。「父が生きていれば、自分が見識がもっと広く、大局的な見方ができたらと悔やんでいたと思う」。一人残された娘の山城美枝子さん(66)は、あなたに代わって会場に立った。

 なぜ、あなたたちは死に追い詰められたのか。残された人々が、私たちに語ってくれたことで、真実が伝えられた。

 魂の底から震えるように、軍の命令で家族が手をかけ合った「集団自決」を話した。戦後、片時も忘れることができない体験。請われて語ることで自らも傷ついた。それでも、「集団自決」が、沖縄戦のようなことが再び起こらないように、奮い立ってくれた。

 しかし、軍強制を削除した教科書検定は、「集団自決」の真実と、残された人々の心痛をも全て消し去った。

 検定に連なる背景には、日本軍の加害を「自虐的」とし、名誉回復を目指す歴史修正主義の動きがある。「集団自決」は標的にされたのだ。

 軍の名誉を守るために「集団自決」の真実を否定し、苦しさを乗り越え語る人々の心を踏みにじる。沖縄と、そこに生きる人々を踏みつけなければ、回復できない名誉とは、なんと狭量で、薄っぺらであることか。

 時代が違えば、「集団自決」に追い込まれたのは、今、沖縄に生きる私たちだった。

 沖縄戦を胸に刻んできた体験者、沖縄戦を考えることが心に芽吹いた若者たち。「集団自決」で死んで行ったあなたを、残された人々を、決して一人では立たせないとの思いで結集した。

 十一万六千人もの人々が共に立ち、誓った。私たちの生きてきた歴史を奪うことは許さない。「集団自決」の事実を、沖縄戦の歴史を歪めることは許さない。舞台を静かに見据えた瞳はそう語っていた。

 政府は、この二十二万の瞳にこたえよ。(編集委員・謝花直美)



返信する
真実は譲らない。 沖縄タイムズ (ネット虫)
2007-10-01 12:50:48
2007年9月30日(日) 朝刊 27面

「人の波 怒り秘め/真実は譲らない」

 私たちの歴史は変えさせない。二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた宜野湾海浜公園には、主催者の予想をはるかに上回る十一万人が集まった。県民の十人に一人近くが参加し、復帰後最大の規模に膨れ上がった。「たとえ醜くても、真実を伝えたい」。沖縄戦で体験した地獄を語る勇気と、受け継ぐ覚悟。静かな会場に、世代を超えた県民の決意が満ちた。検定の標的にされた「集団自決(強制集団死)」の体験者は、失った家族に向けて涙ながらに成功を報告した。宮古、八重山の会場にも合わせて六千人が結集した。すべての視線が、文部科学省に向けられた。
 午後三時に大会が始まってからも、会場を目指す人の波は続いた。車いすのお年寄りと、乳児を乗せたベビーカーが、並んで進む。うるま市の山城真理子さん(54)は「大人から子どもまで、本当に県民こぞっての集まり」と、感激の面持ちを浮かべた。

 会場の広大な芝生は人で埋め尽くされ、周辺の敷地にも参加者があふれ返った。あらゆる木陰や車の陰に人、また人。

 「一九九五年の大会ではこの辺りまではいなかった。きょうは二倍いるんじゃないか」と驚く沖縄市の照屋哲さん(68)。ステージは遠く見えないものの、私語はほとんどない。訴えにじっと耳を傾け拍手を送った。

 家族連れや若い世代の姿も目立った。浦添市の下地正也さん(42)は、十二歳と八歳の息子の手を引いて参加。「まだ大会の意義は分からないと思うが、参加した記憶が残れば。これをきっかけに将来、自分で学んでほしい」と願いを込めた。

 球陽高校三年の真壁科子さん(17)は、チビチリガマがある読谷村から来た。一緒に参加した両親などから、「集団自決」への軍関与を聞かされて育った。「夢は教員。でも教科書が書き換えられてしまったら、悲劇をどう生徒に伝えればいいの」と、心配顔になった。

 体調が悪く、不参加を決めていた豊見城市の金城範子さん(64)は、朝起きてすぐに意を決し、足を運んだ。「私の後ろには、参加したくてもできない戦没者やお年寄りがたくさんいる。責任に押された」。最前列に一人で座り、「日本兵を恨みはしない。ただ、自分の名誉のために歴史全体を曲げることだけはしないでほしい」と訴えた。

 「きょうはうれしい一日だよ」。「集団自決」を体験した座間味村出身の宮城恒彦さん(73)は、帰路に就く人々を見詰めながら語った。「普段おとなしい県民のマグマが噴火した。何度踏みにじられても、沖縄の命運が懸かった問題では十万以上の人が動いた。戦争を体験していない世代が頼もしく見える」と、目を細めた。


返信する
お2人に感謝します (へそ曲がり)
2007-10-01 16:49:40
 まもるさん、ネット虫さん、すばらしい投稿・コメント、感謝しています。
 以前、訴訟問題の投稿以降、関心を持って新聞などの動きを見てきました。
 あんなにも盛大な集会が開かれるなんて、正直言って、思ってもいませんでした。
 帰宅中に投稿したいとは思ったものの、原稿を作るだけの体力になっていません。
 病室で作った原稿を投稿するだけの力しかありませんでした。
 あせっていたのですが、お2人の内容を読ませていただいてほっとしています。
 あさって、点滴方法についての新しい手術が待っていますが、お2人の投稿・コメントを印刷したのを読んで、新しいエネルギーにしたいと思います。有難うございました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。